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アカデミー賞受賞作「バイス」は、笑えて、楽しくて、背筋が凍るほど恐ろしい物語だ。

橋口幸生 橋口幸生


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2011年アカデミー賞で「英国王のスピーチ」と「ソーシャル・ネットワーク」がそれぞれ受賞したとき、こんなコメントを出していた人がいました。

”「昭和天皇物語」と「孫正義物語」が受賞したようなものだ。日本ではありえない。”

確かに日本と比べてハリウッドでは、実録ものが賞レースを賑わすことが多いです。今年のアカデミー賞を見ても「グリーンブック」「ボヘミアン・ラプソディ」「ファーストマン」「ブラック・クランズマン」といった作品が受賞しました。

元米国副大統領ディック・チェイニーを描く「バイス」もそのひとつで、8部門ノミネート(監督賞、主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞、編集賞、メイクアップ・ヘアスタイリング賞)、アカデミーメイクアップ&ヘアスタイリング賞獲得という見事な結果を残しています。



出典:IMDb

実際観てみると、これは強烈でした。先に挙げた作品群の中でも、過激さという点ではダントツです。「バイス」という短いタイトルが秀逸で、ダブル・ミーニングになっているんです。ひとつはもちろん、本作の主人公ディック・チェイニーの役職であるバイス・プレジデント=副大統領のバイス。もうひとつの意味は、手元の英和辞典には書かれています。

(道徳上の)悪、悪徳、不道徳、
(道徳上の)悪行

つまり「バイス」はアメリカ副大統領という世界最強の権力者を、ハッキリ「悪」として徹底的に批判する映画なんです。

監督のアダム・マッケイはコメディ出身。彼がコント作家をつとめていたアメリカのお笑い番組「サタデー・ナイト・ライブ」ではコメディアンが実在の政治家を演じるコントが大人気でした。「芸能人は政治の話をするな!」みたいな風潮がある日本とは、ずいぶん違いますよね。



出典:IMDb

しかもアダム・マッケイ (写真左側のおじさんです)がやっていることは、偉い人を茶化して溜飲を下げるとか、そういうレベルではないんです。

9.11同時多発テロ後のイラク戦争。

ISの台頭やシリア内戦。

そしてトランプ大統領誕生まで。

世界が不安定になり、たくさんの人々が死んでいった原因は、すべてディック・チェイニーにあると名指しで告発しているんです。

こう書くと真面目で硬派な作品を想像するかもしれませんが、ぜんぜん違います。「バイス」は政治に興味があっても無くても、理屈抜きで誰もが楽しめるエンターテイメント作品になっています。とにかく笑えるんです。実際、ゴールデン・グローブ賞では「ミュージカル・コメディ部門」の主演男優賞を獲得しています。編集や映像もアイデア満載で、バラエティ番組を見ているような気になります。

あらすじを説明すると、副大統領のチェイニーが大統領であるブッシュ(子)を傀儡にして、事実上の独裁者になるというものです。副大統領は大統領に不測の事態があった時に繰り上がるポジションで、一般に「閑職」とされています。実際チェイニーは独裁者と言われてイメージする、ヒットラーのようなカリスマ性のある人物ではありません。見た目はパッとしないおじさんだし、喋りも下手。監督は「ひとつの名言や名演説も残していない男」と辛辣な評価をしています。選挙ではかわりにスピーチした奥さんの方が人気が出てしまう始末。

一方、大統領のブッシュはバカにされることも多いですが、どこか愛嬌があるんですよね。演じたサム・ロックウェル(本当にソックリ! 必見!)も「驚くほどチャーミングな人物」と評しています。大衆が好むのは優等生よりダメ男。これを地で行くのがブッシュだと思います。



出典:IMDb

ブッシュが大統領として顔の役割を果たす影で、チェイニーは矢面に立たない副大統領というポジションから「バイス」の限りを尽くしていきます。

そのやり方は大きくわけて…

「ウソ」

「言いかえ」

「お友だち人事」

「強引な法解釈」

…の4つです。順番に説明していきます。

「ウソ」
9.11同時多発テロとイラクは無関係で、大量破壊兵器も無かった。今では誰もが知っていることですが、当時もイラクに核兵器はないという調査結果が当時から出ていました。しかしチェイニーの対イラク開戦の意志を変えません。それどころか報復として、事実を報告したCIA捜査官(映画っぽく言えばスパイですね)の身元をマスコミにリークしたんです。この事件も「フェア・ゲーム」というタイトルで、ナオミ・ワッツ主演で映画化されています。ナオミ・ワッツは「バイス」でも政権べったりの報道をするフォックスニュースのキャスター役で出演しています。皮肉のきいた、うまいキャステイングですよね。

「言いかえ」
野党が富裕層への課税を強化するために打ち出した「相続税」。チェイニーが取った対抗策は「相続税」を「死亡税」と言い換えること。「野党は死にまで課税するのか!」と、本来、恩恵を受けるはずの貧しい人たちまで反対させることに成功します。他にも自分の外交やエネルギー政策を実現するために「拷問」を「強化尋問」、「地球温暖化」は「気候変動」と言いかえています。言いかえにあたっては一般人を集めてグループインタビューを行うなど、広告のノウハウを駆使しています。本業がコピーライターの筆者にとっては、つらい気持ちになるシーンでした。

「お友だち人事」
副大統領になると、かつての上司ドナルド・ラムズフェルドを国防長官に起用する等、要職にお友達を配置。政府を自分の意のままに操れるようにします。チェイニーの一番の才能はここにあったようです。「彼は官僚の天才だ。ワシントンD.C.がどう作動するか、誰も知らないことまで理解していた」と監督は評しています。

「強引な法解釈」
チェイニーの事実上の独裁の理論的背景になったのが「一元的執政符論」でした。非常時の大統領は「戦争」「国際条約の無視」「人権の制限」を議会抜き判断できるという理論です。アメリカの法学者の間でも議論が分かれていたのですが、対テロ戦争の中、外交・安全保障分野に適用が拡大されていきました。

こうして並べるとアメリカに限らず、どこの国でも起きていることばかりですね…権力が膨張し、暴走するとき、同じようなルートを辿るものなのでしょう。「バイス」は現代アメリカだけの映画であると同時に、権力をめぐる普遍的な物語であるんです。

議会抜きで戦争なんて、悪魔のような男にちがいない!!!

…と思ってしまいがちですが、そうでもないのが、現実のおもしろいところです。ホワイトハウスでは影の独裁者として君臨するチェイニーですが、プライベートでは愛妻家で子煩悩なお父さんだったりします。

温暖化対策反対、銃規制反対、イラク戦争と政策だけを見れば強硬な保守派です。しかし、娘が同性愛者であることがわかった時は、自身の政策を超えて受け入れる優しさも持ち合わせています。この時、チェイニーは娘に

“Look, it doesn’t matter, Mary. We’ll love you no matter what.”
(いいかいメアリー。何があっても、おまえへの愛が変わることはない)

と語りかけます。劇中でもっとも感動的な場面のひとつです。(監督によるとチェイニーが実際に話した言葉だそうです。どうやって裏を取ったのか……)

チェイニーの人物像について、アダム・マッケイ監督はこう言っています。

彼には驚くほどイデオロギーがない。その時々で立場をコロコロ変える。ニクソン政権下でタカ派だったのも、信念からじゃない。キッシンジャーに対抗したかっただけだ。彼は権力のための権力( power-for-the-sake-of-power)を求めているんだよ」

支持層のために温暖化対策や銃規制に反対しているけど、本人に信念があるわけじゃない…というわけです。

そんな空虚なチェイニーを操る「黒幕の黒幕」が、奥さんのリン・チェイニーです。イエール大学中退のチェイニーに対して、リンは成績オールAの超優等生。でも当時のアメリカでは女性というだけで、仕事で成功をつかむことはできない。そこで自分の野心を夫に託し、操り人形として政界に押し上げていきます。実情はわかりませんが、少なくともこの映画は2人の関係をそう解釈しています。



出典:映画com

秘密主義のチェイニーに対して、リンは文学博士号を持つ著述家。自伝も書いているので、映画づくりの参考に使われたそうです。地元のワイオミングでも「彼女と結婚すれば、誰だって副大統領くらいにはなれる」と噂されていたとか。よほどの才女なのでしょう。

夫を操るというイビツな形でしか夢を追えない彼女の姿には、昨今のアメリカ映画で頻繁に取り上げられる女性差別の深刻さを感じざるをえません。もし男性も女性も平等に扱われる社会だったら、イラク戦争は起きなかったのでは…と想像してしまいます。これは補いあいのし上がっていく夫婦を描いたラブ・ストーリーでもあるんです。

チェイニーは悪の皇帝どころか冴えないおじさんのようなキャラだし、個人的に邪悪な野望があるわけでもない。奥さんは女性差別の犠牲者。じゃあ一番悪いのは誰なのか? 映画の最後に明らかになります。同じホワイトハウスを舞台にしたドラマ「ハウス・オブ・カード」のフランク・アンダーウッド大統領のように「第4の壁」を超えて、チェイニーは観客にこう語りかけてくるんです。

——ここからネタバレ——

私は謝罪しない。

あなたの家族や愛する人の安全を守ったんだ。
やるべきことをやっただけだ。

誰のおかげで毎晩、平和に寝ていられると思っているんだ?

あなたのために働けたことを誇りに思っている。
あなたが私を選んだ。
私は頼まれたことをやっただけだ。

——ネタバレ終了——

このセリフはすべてチェイニーの実際の発言を切り貼りしてつくられたものだそうです。

アダム・マッケイ監督はこう言っています。

「権力の監視を怠れば政府は暴走する。自分のすべてをかけてでも疑わなければダメだ。仕事を失い恥をかくかもしれない。でも最後には歴史が証明してくれる。あなたが正しいことをね」

実在かつ存命の政治家の批判には、やはり相当な苦労があったようです。山のような量の調査をしたのはもちろん、関係者をオフレコで取材するためにジャーナリストまで雇っています。報道機関顔負けですね。監督が制作中、心臓病で倒れるトラブルもありました。その際、自分の手術を撮影して、チェイニーの心臓病手術のシーンに使ったそうです。転んでもタダでは起きないというか、どうかしています。公開後は「反政府の偏向映画だ!」と非難されることを見越して、それを茶化すシーンまで入れています。リベラル寄りのハリウッドでもここまで特定の人物をハッキリ「悪」として描くことは珍しいですが、監督はこう説明しています。

「左派はストーリーを語ることを止めてしまった。みんな怖いんだよ。かつてパワフルなストーリーが語られた結果、ヒットラーやスターリンが登場したからね。左派はポピュリズムを恐れている」

反骨精神とユーモアにあふれるアダム・マッケイ監督にとって、トランプ大統領は恰好の題材に思えます。しかしトランプはチェイニー以降のアメリカの政治史の結果に過ぎないので、映画化するつもりはないそうです。

「トランプ自身には何の力もない。トランプを批判することは、強盗が宝石店を襲って逃げた後、そこにやってきてオシッコをした犬を批判するようなものだ。もし私がトランプの映画をつくるとすれば、アニメになるね」

マッケイ監督、トランプのアニメ絶対実現してください!!!!!


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[イラスト]ダニエル

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