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「ROMA/ローマ」は、悲しみを分けあい家族になる「愛の物語」

金子ゆうき 金子ゆうき


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Netflix配信メインの映画が作品賞をとるのか……。今回ご紹介する「ROMA/ローマ(以下、ROMA)」は先日発表された第91回アカデミー賞の話題の中心にあった作品のひとつ。作品賞は「グリーンブック」にゆずったものの、監督賞・撮影賞・外国語映画賞の3部門受賞。ノミネートだけでいえば最多10部門でした。


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出典:ROMA Twitter公式アカウント

映画界に一石を投じた「ROMA」ですが、評価されたのはなにより中身でしょう。僕もまあ、アカデミー賞前に見とくかくらいに思っていたら見事にやられました。

すんごく良い!

今回も褒めまくります。ネタバレありありの好きマシマシ。見ていることを前提にすすめます。

とにかく見てください! インターネットがあればスマホですぐです。初月無料です。「ROMA」だけで解約したっていいんです!(Netflixとコラボ企画もやっている街クリでこんなこと言っていいのか……)

加入しても僕には1円も入りません、安心してください。

グダグタと前置きしましたが、その隙に見てくれましたね?

それではどうぞ。

監督の記憶に基づくストーリー。

まずですね、「ROMA」はイタリアではありません。

メキシコの首都メキシコ・シティ近郊の地区、コロニア・ローマのことです。中産階級以上のお金持ちが住む地域。1970~71年、コロニア・ローマに暮らす(住所はテペジ通り21番地)白人家族と先住民の使用人の姿を描いていきます。

監督はメキシコ出身のアルフォンソ・キュアロン。「ゼロ・グラビティ」でアカデミー監督賞を受賞。ハリー・ポッターシリーズ3作目「アズカバンの囚人」も監督しています。ハリー・ポッター全然みてないんですけど、バスがムニョ~~ンとなるところとか気持ちよかったですね。2台の車のあいだに突っ込むシーン「ROMA」にもありますけど、ああいうの好きなんですかね。


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出典:IMDb 第91回アカデミー授賞式でのキュアロン監督

さっそく脱線しましたが、監督はNetflix内のメッセージ動画で……

「ROMA」は半自伝的作品
大半が僕の記憶に基づく
町や国の物語でもあるが
究極は人間性について
身近でかつ普遍的な映画にしたかった
誰にでも分かるような
願わくば 何らかの形で-
貴方と貴方の過去
そして記憶につながってほしい
貴方の経験を私や世界と……
共有しませんか

Netflix内のメッセージ動画より引用

と語っています。

監督の記憶・経験から作られた映画です。監督自身の家族がモチーフだし、使用人クレオにもモデルがいます。現在74歳のリボさん。ラストシーンで「para libo(リボへ)」というメッセージが出ます。

当時キュアロン監督は9~10歳。住みこみの使用人で生まれた時から家にいた乳母でもあるリボさん(クレオ)は26歳前後です。リボさんにもインタビューを行い記憶や出来事を可能なかぎり忠実に盛り込んだそうです。監督とリボさんが映る写真も公開されています。見たあとだと写真だけで込みあげるものが……。


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出典:ROMA Twitter公式アカウント

なぜ作ったか?

監督は「償い」だという旨を語っています。メキシコ社会の歪み、白人と先住民との階層差、父性が支配する男女の格差。自分たちの生活の根底にある背景は当時の監督には分からなかった。57歳になり、過去と向きあい映画にすることでリボさんに感謝と謝罪を伝えたかったのです。「自分は恵まれた家庭に育ち、守られる存在だった」と監督は語っています。

きわめて個人的な映画です。でも、見終わったあと監督だけのものではなくなっているんです。メッセージにもあるように監督の記憶が見る人の記憶をも引き出し呼応。大きな共感につながるんですね。

使用人のクレオを演じたのはヤリッツァ・アパリシオ。なんと今作が演技初挑戦。現在25歳でオーディションを受けるまで保育学校に通い幼児教育の学位を取得したそうです。家政婦でシングルマザーのお母さんに育てられていて、クレオとどことなくリンクします。


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出典:IMDb

寡黙ながら家族に愛情をそそぐ自然なようすが表現できていました。その秘訣は演出方法にも。役者には台本を渡さず、シーンごとに動きやセリフが指示されていったそうです。出産シーンですらアパリシオには何が起こるか知らされていなかったといいます!

戸惑い、だんだん理解しながら悲しみが押し寄せてくる表情や仕草には演出の妙もあったんですね。

アパリシオと子どもたちは撮影外でも同じ家で過ごすように手配され、親密さを深める手助けとなったようですし、とにかく自然な関係・空気感を引きだすという監督の意図が詰まっています。

この演出方法、どこかで聞いたことないですか? 「万引き家族」で「ROMA」とおなじくアカデミー外国語映画賞にノミネートされた是枝監督。子どもたちには台本を渡さず自然な演技を引き出すことで知られていますよね。家族をテーマとし、同じ演出方法を使うメキシコと日本の監督が、と考えるとおもしろいです。「万引き家族」も海でのシーンが重要みたいですし(まだを見ていないので言及できませんが……)。


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出典:映画.com 万引き家族見たい……

演技未経験の主演女優、自然な空気と表情を引きだす演出でつくられる物語がどのようになるか。

冒頭から少し追っていきましょう。

最新技術で過去を映す、独特な視点の映像美。

はじまりは床のタイルをアップにした映像で、約4分間つづきます。モノクロです。もっといえば、中間色グレーの濃淡を緻密にとらえた映像。撮影されたカメラがすごい。

その名も、6K 65mmシネマカメラARRI ALEXA 65!!
スーパー35の3倍以上、ハイパフォーマンスMPS(モーションピクチャーセンサー)になるA3X CMOSセンサーが用いられ、標準感度はE.I.800と高感度でダイナミッ……

………

………

超ヤバい高性能カメラです!(語彙力……)。

音響にはDolby Atmosを使用。Dolby Atmosは「ボヘミアン・ラプソディ」で耳にした方も多いと思います(僕もそうです)が、まあ超ヤバい高音質ということでしょう。明確な劇伴がないかわりに、町の雑踏、動物の鳴き声、水や風といった自然の音などクリアで立体的な音響に仕上がり、家族の日常を鮮やかに伝えてくれます。

無教養をさらしてまで言いたかったのは、映像・音響共に現代の最新技術使ったうえでモノクロにして1970年代のメキシコを再現しているということ。ノスタルジックで美しい。先日、江戸の日本画の展覧会にいったのですが伊藤若冲の墨絵にも同じような懐かしさを感じました。日本人の文化的な背景も影響しているのかもしれません。


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出典:MIHO MUSEUM 象と鯨図屏風 伊藤若冲筆

なぜそんなつくりなのか? 監督の意図を語るのはもう少し物語をすすめてからにしましょう。なにしろ映画開始から1分も経っていません。

タイルをながれる水。水面には壁と空が映り、飛行機が横切ります。

何気ないですが、とても重要。

壁に囲まれ行き場がないクレオの心情や環境。一方には自由な世界が広がっていることを示しています。なによりカメラは下を向いている。つまり、クレオも下を向いている。ラストシーンとの対比ですよね。ラスト、カメラは上を向いてクレオも階段を上っていく。そして、空に飛行機が。あのあと屋上での彼女の気持ちは、冒頭で洗濯をしていた時とは違っているはずです。心も身体も不自由だったクレオが上を向き、新しい世界や愛に気づいていく物語でもあるんですね。

ラストシーンには監督の当時の無知への後悔を空に解き放つようなイメージも重ねられているかのようでした。

床掃除を終えたクレオは家の中へ。家の中では固定されたカメラを左右に振るパンが中心。屋外ではカメラドリーを使った右から左、左から右への水平移動が中心。


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出典:IMDb カメラドリーをつかった撮影風景

最新技術を使ったモノクロ映像と特徴的なカメラワーク。なぜこのような映像にしたのか?

現代のキュアロン監督が意識と視点だけでタイムスリップした、いわば幽霊のような存在として当時の様子を見ているかのようにしたかったからだといいます。過去のことなのでモノクロ。自由に浮遊したり動き回るのではなく「ひとつの視点」としてその場にいつづけるようなイメージでしょう。

「ROMA」はアカデミー撮影賞もとっていますが、撮影監督はキュアロン監督が兼任しています。キュアロン作品の撮影監督といえば、エマニュエル・ルベツキです。


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出典:IMDb 「レヴェナント」撮影時のルベツキ

キュアロン監督とのタッグでは「ゼロ・グラビティ」でアカデミー撮影賞を、その後アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督とのタッグで「バードマン」「レヴェナント」と3年連続でアカデミー撮影賞をとっています。長回しによるワンカット(のように見える撮影・編集技術)マジックアワーを使った美しい映像が特徴です。「ROMA」でも当然のようにルベツキに撮影監督をしてもらう予定だったようですが、スケジュールの都合で断念。だったら自分でやるわ! と監督自ら撮影。それで撮影賞をとるんですからあっぱれですよ。撮影方法で付け加えると、海に入るクレオを水平に追っていくシーンでは海に桟橋をつくり、その上をカメラが移動していったようですね。Youtubeに撮影時の動画がアップされていますので興味のある方はご覧ください。


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出典:アルフォンソ・キュアロンTwitter公式アカウント 海での撮影風景

撮影のはなしとは少し変わりますが、現代の監督の視点が当時に戻っているとわかると理解できるのが、末っ子ペペが何回か口にする「Cuando yo era grande」というセリフ。

【スペイン語字幕】Cuando yo era grande
【英語字幕】When I wa old
【日本語字幕】大きかったとき

最初口にした朝食のシーンではクレオも戸惑い「大きくなったら?」と聞きなおしますが「ううん、大きかった」と答える。ペペの身体を借りて当時のリボさん(劇中のクレオ)と会話したかったのではないかと思えてきます。屋上で空を見るシーンもそうですが、ペペとクレオは時間と空間を越えたキュアロン監督とリボさんの交流の象徴のような描かれ方をされていますね。


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出典:IMDb

えー、何の話でしたっけ?
そうそうモノクロでの映像の見せ方でした。

映像が白と黒の濃淡を意識しているように、物語もそうなっていると思えませんか?

冒頭から家族の日常が淡々と映されます。白が強いイメージ。だんだん雲行きが怪しく。ソフィ夫人がカリカリして思いつめる理由が明らかになり、クレオも予想外の妊娠に悩み、悲しむ。そして社会に溢れる政治への不満、暴力の気配。黒がじわじわと広がっていくようです。完全に染まりそうになりなますが、波があらい流し家族はひとつになっていく……。

モノクロの映像とストーリーがリンクした、監督賞も納得の組みたてです。

ここからは「ROMA」の底にある黒い要素のひとつ、メキシコの歴史と社会背景を少しひもといてみます。

白人支配と貧富の差、政治がかかえる矛盾。

1519年にコルテスがアステカ帝国を滅ぼして以降、メキシコは300年以上スペインの植民地でした。1810年代にメキシコ独立革命がおこり独立しますが、革命の中心は「クリオーリョ」といわれるスペイン人を親としてメキシコで産まれた人々です。つまり白人。革命以降もメキシコ社会では白人が階層上部を占めることになります。

白人と先住民の階層差は劇中でも描かれます。

クレオと同僚のアデラが民族の言葉ミシュテカ語で話していると末っ子ペペが「その話し方やめてー」と言いますし、使用人部屋ではロウソクを使わなければならなかった。

クリスマスに家族で訪れた親戚の家。あれはアシエンダというスペイン植民地時代から続く白人所有の大農園です。大地主である白人は絶大な権力と富を所有していました。使用人である先住民たちのパーティは地下で行われていて、上下の階層差がはっきりと示されていました。

ちなみに、パーティにおばけの着ぐるみが登場しますが、あれはクランプスと呼ばれる北欧にみられるクリスマスの風習。なまはげを連想させますが、実際なまはげに影響を与えたという説もあるようです。クランプスの登場も監督やリボさんの記憶にあったんでしょうね。


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出典:IMDb

20世紀になると民主化の動きが。1910年から1917年にかけてディアス大統領(1877年からの長期政権)を打倒しようとする民主革命「メキシコ革命」が起こり成功します。その後、各種政党を統一するかたちで1929年に結党した制度的革命党(PRI)による一党独裁体制が確立。2000年まで71年間つづくことになります。

1970~71年は、一党独裁による歪みが大きくでている時期で、劇中でもPRIのロゴに✖が書いてあるポスターがたくさんありました。PRIの政策には社会主義的側面があり、上位階層の資本家がもつ富が社会や貧困層へ再分配されてしかるべきでした。でも、現実はそうではなかった。クレオの地元で実家の土地が政府にとられたと話すシーンがありました。白人たちから土地をとるべきなのに貧しい先住民の土地をとりあげて、ますます貧しくしていたんですね。

不満は学生運動というかたちでも噴出し、政府側は反政府派を鎮圧するために躍起になります。そして、1971年6月1日に「血の木曜日事件」と呼ばれる虐殺が起こる。デパートのシーンで最低男のフェルミンは政府側組織の一員だと分かりました。貧しかったり身寄りがなかったりの少年を政府が訓練し反政府組織に対抗する武装集団とした「ロス・ファルコネス(鷹団)」です。武術に救われたと言っていましたが銃もっていましたね。精神の進化もへったくれもない、暴力集団として政府に利用されていたんです。


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出典:IMDb

不遇な境遇を利用されてるしフェルミンにも多少同情の余地が……いやそれでもないな……。

「ROMA」ではフェルミン、一家の父親アントニオや政府といった父性的ものは徹底的に嫌悪され否定されていますよね。どんな描き方をされていたか、そしてそれがキュアロン監督の映画づくりにどんな影響を与えているのか考えてみます。

幼少期の父性への嫌悪に影響をうけたキュアロン作品。

とつぜんですが、男たちのバカバカしさ描写をダイジェストでどうぞ!

【父アントニオ編】

  • 巨大なフォード・ギャラクシーでご帰宅。クラシックをBGMに華麗なる車庫入れ。仰々しさがコメディ的なんですが、犬(ボラス)の糞をふんづけます。

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    出典:IMDb

  • 出張への出発シーン。ここでも糞をふんづけた後、車で去る。入れ違いに近づく軍隊の演奏隊がひどい不協和音。政府を揶揄した描写でもありますが、やはりアントニオに向けられている印象でした。演奏隊はラストでも家の前を通りますが、更に不協和音がひどくなっていましたね。政治状況が一層不安定になったことの表現でもあるんでしょう。
  • クレオと病院にいく道中、ソフィ夫人がトラックの間にフォード・ギャラクシーで突っ込んで悲惨なことに。フォード・ギャラクーは父アントニオの象徴として終始ひどい扱いをうけます。夫人が酔っぱらいながら駐車し壁にボッコンボッコンもしていましたね。
  • 映画「宇宙からの脱出」を見にいくとき、愛人とイチャコラ走り回るのをクレオや息子、友達から目撃される。家から子どもでも徒歩の距離ですよ、とんでもないアホです!! ちなみに「宇宙からの脱出」を見にいったことには大きな意味があって、「ゼロ・グラビティ」は「宇宙からの脱出」のオマージュでもある。映画監督キュアロンの原点でもあるんですね。

  • https://pbs.twimg.com/media/D1B_uqGUcAANkpC.jpg:large
    出典:アルフォンソ・キュアロンTwitter公式アカウント バカ丸出し。隠せ隠せ……

【フェルミン編】

  • 素っ裸でシャワーカーテンのポールを外し術を披露。股のをしまいなさい。日本の劇場公開時はぼかし入りますかね、さすがに……。

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    出典:IMDb アレ丸出し。隠せ隠せ……

  • クレオが妊娠してるかもと告げたときに上映されていたのは、フランスのコメディ映画「大進撃」。グライダーで逃げる主人公達を狙うものの味方の飛行機を撃ってしまうナチスを面白おかしく描いているシーンだと思われます。上着も忘れて逃亡するフェルミンの滑稽さとリンクしますね。

父性への嫌悪は、「ROMA」だけではなく監督の過去作にも共通したテーマに感じられます。子どもが生まれなくなったディストピアを描く「トゥモロー・ワールド」では奇跡的に妊娠した少女を利用しようと近寄ってくるのは男性ばかり。女性は彼女たちを逃がすために犠牲にもなっていきます。「ゼロ・グラビティ」でも死ぬのは男性宇宙飛行士。主人公の女性宇宙飛行士を助ける存在としては描かれますが、それでも生かしてはもらえない。そして「ROMA」です。

子どもの頃の経験。権威を誇示しながら母や家族を傷つける父、クレオを傷つけたフェルミンや政府。それがキュアロン監督の作品づくりに影響を与えているということが良く分かります。

悲しみを分け合うことで繋がる家族の愛。

嫌悪の対象として描かれたフェルミンですが、もうひとつ非常に重要な役割を与えられています。
「ROMA」が「愛」の物語であることを示す存在として。

フェルミンは愛と正反対でしょう? と思いますよね。
でも、あるシーンでだけでは「愛」をもたらすんです。

ベビーベッドを買いにデパートにいった時。

  • デモを抜け、デパートに到着。窓ガラスに文字が書かれたデパート正面が映る。
  •   ↓

  • デパートの中から窓ガラスを映す。正面からとは文字が逆さまに。
  •   ↓

  • デモ隊と政府側が衝突。若者が乱入し、クレオたちにも銃が。
  •   ↓

  • 若者が射殺され、犯人は立ち去る。
  •   ↓

  • 銃を向けていたのはフェルミン。

という流れ。

重要なのはフェルミンが着ているTシャツ

amor es …… と書かれています。
amor(アモール)は「愛」。

「ROMA」を逆から読むと「AMOR」

「ROMA」=「AMOR」。
「ROMA」は愛の物語なんです。

逆から読むと伝えるために正面と中のショットを連続させたのでしょう。
愛を示すのがフェルミンなのは痛烈な皮肉に感じますが。


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出典:IMDb

「AMOR」はギリシャ神話の愛の神のことでもあります。思えばクレオは愛の神のよう。家族に献身的に尽くし、素っ裸で棒を振り回すフェルミンにも優しい微笑みを向けるし、失踪したことを責めもしない。


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出典:IMDb

しかし、愛の神にかなしい試練がおとずれます。病院への到着が遅れ、死産になってしまう。

クレオの気を晴らすため、父アントニオが荷物を運び出すため、フォード・ギャラクシーで最後の旅行へ。子どもたちを助けるために泳げないクレオは海の中に。大事にはいたらず、抱き合う家族にクレオが告白する。

「生まれてほしくなかったんです……」

キュアロン監督は海や水辺での「生まれなおし」ととれる展開を頻繁に用います。出産のメタでしょう。

愛の神クレオが人間として生まれなおし、素直な心を放った瞬間です。両親の別居と合わせ、秘密と本音を共有したクレオたちは抱きあい、強い絆で結ばれる家族になった。


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出典:IMDb ルベツキを彷彿とさせるマジックアワーの光を使った神々しいシーン

悲しみを分け合い共有した時、家族になるんじゃないか。

僕は実体験からもそう思っています。長男が産まれる前、妻が流産をしました。泣きじゃくる妻と向き合いながら、ああ家族になるというのはこういうことなんだな。たのしいとか嬉しいとかだけじゃなく、悲しい出来事を共有して悲しさを分け合い乗り越えることが大切なんだと心に刻みました。死んでしまったわが子を抱くクレオのなんとも言えない表情、正直な気持ちを吐き出す姿を見ながら、産まれなかった僕自身分の子どもに想いをはせました。

そして、キュアロン監督と僕の記憶・経験がつながった感覚になりました。

個人的な強い想いが生む共感。

フォークデュオゆずが2009年にリリースした『逢いたい』という曲があります。北川悠仁さんが2008年にお父さんを亡くした経験から作った曲です。

冒頭の歌詞を引用します。

もしも願いが叶うのなら
どんな願い願いを叶えますか?
僕は迷わず答えるだろう
もう一度あなたに逢いたい
作詞:北川悠仁

サビでは「逢いたい 逢いたい 忘れはしない」と繰り返されます。
大切な人に対する素直な想いが表現されていて心をうつ名曲だと思います。

ライブのMCでこの曲について「個人的な想いでつくった曲が、いつの間にかみんなの曲になっていた」と語っていたことがありました。

ひとりの経験や想いが伝わり、広がり共感を生む。

「ROMA」も同じだと思います。
監督のメッセージにあった「経験の共有」です。

それぞれの経験は違うはずですが、そこに溢れる想いでつながる。そんな共感もあるんです。

「ROMA」を通してあなたはどんな記憶・経験を共有したでしょうか。

いつか、その話を聞かせてください。

 

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[イラスト]ダニエル
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