要約すると「ムーンライト✕グレイテストショーマン」!
自分を押し殺し、または押し殺されて世間という価値観に飲み込まれている、全ての人へ。
「サタデーナイト・チャーチ -夢を歌う場所-」(原題:Saturday Church)が2019年2月22日に日本で公開されました。
ニューヨーク、土曜日の教会を舞台に性別に悩む青年の旅立ちを、ミュージカルタッチで描いた感動作です。
海外の映画祭で大絶賛された本作は、自身のアイデンティティに悩む若者たちの姿をで描く青春ドラマ。きっとあなたにも経験があるのではないでしょうか。
出典:IMBd
物語のネタバレはありません。
正直にいうと「LGBTって、同性愛者の総称だよね……?」という程度の知識だった私が、鑑賞をきっかけにLGBTQや彼らが置かれている環境を調べて映画コラムとしてまとめています。
・・目次・・
1.あらすじ
2.ユリシーズの苦悩を分解してみる
:LGBTQとは?
:彼の置かれていた環境は?
①家族想いな優しい性格
②自身がキリスト教徒
③黒人であること3.物語の展開を分解してみる
:全世代の人が共感する普遍的な物語
サタデーナイトチャーチの副題「-夢を歌う場所-」は一般の方からキャッチコピーを公募して、20代女性が応募したコピーが選ばれたんだとか。
1.あらすじ
出典:YouTube
ニューヨークのブロンクスに暮らす15歳ユリシーズ。彼には居場所がなかった。
物語は軍人だった父親が亡くなったシーンから始まる。母アマラが朝から夜遅くまで働くことになったため、8歳になる弟エイブと彼の面倒を叔母ローズが見ることになった。
そんな中、ユリシーズは女性のように美しくなりたいという願望を抑えられずにいた。
母親のハイヒールやストッキングをこっそりと履いていたが、エイブの告げ口により厳格なキリスト教徒であるローズにハイヒールの件を知られてしまう。
ローズに「あなたは男なの、男らしくして」と頭ごなしに叱りつけられてしまう。
・・・・・
思春期で多感な時期にジェンダーに悩むユリシーズ。叔母との件もあり、耐えられずに電車に乗り〈クリストファーストリート〉までやってくる。
そこでトランスジェンダーのエボニーたちと出会う。
出典:ぴあ映画生活
彼らに声をかけられ、一緒に向かった先は〈土曜日の夜の教会(Saturday Church)〉。そこではLGBTQの若者たちを支援するプログラムが開かれていた。
教会では家族にLGBTQを理解をしてもらえず家を出た、もしくは追い出された若者たちに食事が提供され、
彼らは同じような境遇の仲間たちと自由におしゃべりをして笑いあい、またプログラムの一貫としてダンスのレッスンを受けていた。
同じ孤独と葛藤を抱えた人たちとふれあい、ユリシーズは初めて心が満たされるのを感じる。
そしてその日から土曜日の夜を心待ちするようになる。
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出典:ぴあ映画生活
ある夜、エボニーたちに誘われて行った「ヴォーグ・ナイト」では美しく着飾ったLGBTQの人たちがダンスを競い合っていた。
その姿にすっかり見せられてしまったユリシーズはいつかコンテストに出場することを夢見るようになる。
その第一歩として、自分で店に行きハイヒールを買って、エボニーたちの前で晴れ姿を披露するのだった。
徐々に彼が自分自身を認めて信じてあげられるようになる姿が歌とダンスで描かれる。
出典:ぴあ映画生活
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ところが、ある日、ユリシーズの留守中に叔母ローズが部屋に勝手に入りハイヒールを見つけてしまう。
激怒したローズにユリシーズは家を飛び出す。
行く宛は「Saturday Church」しかなかったが、その日は水曜日。教会まで行ってみるも誰もいない。
やがて夜になり、雨が降り出し、ユリシーズは仕方なくホームレス保護施設を訪れる。
一文無しのユリシーズを待ち受けていたさらなる出来事とは……。
2.ユリシーズの苦悩を分解してみる
:LGBTQとは
この映画の主題である「LGBTQ」とは、アメリカで使われている性的マイノリティの総称のことです。
そもそもLGBTとは
・Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)
・Gay(ゲイ、男性同性愛者)
・Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)
・Transgender(トランスジェンダー、性別越境者=出生時の性別と異なる性別で生きようとする人)
の頭文字をとった単語で、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の総称のひとつです。
ちなみに日本人のなかでLGBTQな人は総人口の7.6%と言われており、これは左利きやAB型と同じ程度の割合と言われています。
性については「男性/女性」の2つだけではなく、3つの階層「身体の性」「心の性(性自認)」「好きになる性(性的指向)」も含め、100人いれば100通りの性認識がある。
本作のユリシーズは自分の身体の性と心の性、好きになる性の相違に悩んでいました。
LGBTQのQって?
アメリカでは「LGBTQ」意外にも「LGBT+」「LGBTs」と表記することもあるようで「Q」は「Queer(クィア)」もしくは「Questioning(クエスチョニング)」という2つの言葉を表しています。
① Queer(クィア)とは
セクシュアルマイノリティ全般を表します。
これは、セクシュアルマイノリティでもLGBT(男性同性愛者、女性同性愛者、両性愛者、性別越境者)に当てはまらない〈全ての人を表すため〉のクィアということらしい。
先程述べた「性はグラデーションである」ために、男性愛者でも女性愛者でも両性愛者でも、トランスジェンダーでもない人が多くいるということですね。
② Questioning(クエスショニング)とは
自分の性のあり方を
・ハッキリと決められない人
・まだ迷っている人
・決めたくない人、決めないとしている人
のことを言います。これは性のあり方を「男女」の2種類だけでなく「LGBT」という4種類に分けたときに〈自分の性を明確に決めることができない人 のため〉のクエッショニングなんだとか。
自分の性のあり方に悩むユリシーズ
ユリシーズはハイヒールや女性の服装への憧れている一方で、アダルト雑誌の女性に興奮して自慰をするシーンがあります。
一見すると「トランスジェンダー」のように見えますが、彼自身自分のことを認めることができずに揺れ悩んでいる表現が物語前半の映像に出てきます。
その姿は「② Questioning(クエスチョニング)」=性的指向や性自認が明確に決まっていないようです。
しかしユリシーズはヴォーグダンスに魅了されて、ド派手な女装をしダンスをするパフォーマーになろうとします。
「通常時は男性、女性としては限定的に出していく」としたら、それは「トランスジェンダー」=女性性として生きるという既存を超えた「① Queer(クィア)」=性的指向や性自認が非典型な性表現にあたるといえるでしょう。
ユリシーズの自身の性に対する②クエッションは、自分自身を認めることや他人から認められるという彼の成長によって、①クィアへと変化していくのです。
2.ユリシーズの苦悩を分解してみる
:彼の置かれていた環境は?
物語の序盤「LGBTQに悩む思春期のユリシーズ」の葛藤の理由を分解してみると大きく3つに分解することができます。
①家族想いな優しい性格
②自身がキリスト教徒
③黒人であること
自分が「普通でない」という純粋な悩みのほかに、彼をそこまで縛り付ける呪縛である3つの理由を一つずつ解説していこうと思います。
①母親アマラの愛によって育まれた素直で優しい性格│一般的な家庭の象徴
出典:ぴあ映画生活
ユリシーズは非常に真面目で愛に恵まれた環境であることがわかります。
多感な思春期で母親と距離を持ちたくなる年頃ですが、彼は家族思いで、優しい少年であることが映像の端々から伝わってきます。
汚い言葉遣いもせず、弟に無視されても怒鳴らない優しい性格です。
家族にユリシーズの悩み、すなわち彼自身を認めてもらえていない苛立ちは、たしかに母親へ反抗的な態度として現れますが暴力や犯罪に向かうことはありません。
また「女装が個人的な趣味でやめられるものだ」と考えているローズに頭ごなしに否定されても、ユリシーズは声を出して自己を主張することもありません。
一方で、母親アマラも夫をなくした悲しみの中にいながらも、現実を見て朝早くから夜遅くまで働きます。そんな状況でも彼女は、家族の絆を大切にしようと尽くします。
仕事の合間を縫って会話をする姿からは、母親として子どもたちを悲しみから守ろうという愛が伝わってきます。
彼女の献身的な愛を自覚しているユリシーズは「家族が認めない自分ではいていけない」と葛藤を持っているのです。
②厳格なキリスト教徒である叔母ローズ│非理解者の象徴
出典:ぴあ映画生活
ユリシーズとエイブが、ローズと一緒にミサに参加するシーンがあります。
ローズはミサのあとに聖書研究会に出席をし、ユリシーズに「ミサ仕え」をさせることから熱心なキリスト教であることがわかります。
この「ミサ仕え」は、公式パンフレットによると誰でもできるわけではなく、たくさんの規律をマスターする必要があり、一定期間、修行を積まないとできないそうです。
それをクリアしていたことを踏まえると、ユリシーズは教会のことに熱心だったことがわかります。
しかし〈キリスト教は基本的に同性愛者を認めていません〉。
それを象徴するような存在のローズ。彼女はこの限られた登場人物の中で「世間」を象徴する存在です。
ユリシーズは彼自身の信仰もあり、自分のことを自分で認めてあげられるようになるまでに、大きな葛藤となったのではないでしょうか。
世間がいう「普通ではない自分」を許すことができるかどうか。
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「自分が自分であることを主張することができるようになる」までの成長することがこの物語のテーマであることがここから読み解くことができます。
だからこそ、彼が神の元に仕えているときに音楽を聞き、ダンスを覚えているシーンが物語の中盤で効いてくるのです。
彼が神の前=世間体を超えて自分を認め、そして前に進むことができたことを暗示している象徴的なシーンの1つなのです。
③「黒人の男の子でゲイだなんて」│ダブルマイノリティ
出典:IMBd(ムーンライト)
アメリカのLGBTQ事情として、白人の場合はTVや雑誌、映画などにも登場してある程度の市民権を得ているそうです。
しかし、有色人種(黒人)の場合は、まだケアが十分にされていないそうで、黒人男性に対する「男らしさ」の呪縛が強いのが現状です。
たとえば、白人のLGBTQをテーマにした映画作品は多くありますが、LGBTQで有色人種の彼らが自分自身を投影できる主人公が登場する作品はまだ少ないです。
2016年に「ムーンライト」が黒人のゲイの話として今のアメリカ社会の問題提起している作品であると話題になり、アカデミー賞を受賞したのが記憶に新しいのではないでしょうか。
「ムーンライト」で描かれている〈黒人男性に対する「男らしさ」の呪縛が強い黒人社会〉で苦悩する主人公の姿は、ユリシーズがもしかしたら選んだかもしれない1つの未来とも言えるでしょう。
出典:IMBd(ムーンライト)
それを象徴するかのように、ユリシーズの父親は軍人でした(冒頭の葬式の写真でわかります)。
そこには「黒人男性といえば屈強な男性であるべきだ」という世間のステレオタイプな男性像が表現されています。
ユリシーズは大好きな父親とのホームビデオを見て、また、いなくなった父親が残したセリフが呪縛となって、自分のあり方を葛藤していたのでした。
3.物語の展開を分解してみる:全世代の人が共感する普遍的な物語
ユリシーズを演じたルカ・カインの奥行きのある演技力。
監督兼脚本を担当したデイモン・カーダシスによって描かれた愛に溢れた家族であることがわかる脚本。
緻密ながらもやわらかで丁寧な物語構成によって、ユリシーズもしくは母親アマラ、もしくは叔母ローズどの視点からも共感できる一般的な家庭が描かれています。
「サターデーナイトチャーチ」は普遍的な物語
物語を分解するとこのような構成になっています。
①LGBTQに悩む思春期のユリシーズ
②自己表現のできる場を見つける
③自己表現の解放、自己の確立
④思春期の自己形成
青年前期(思春期)の頃は、甘えたいけれど甘えられない、いわゆる「自立と依存の葛藤の時期」といえるでしょう。
ユリシーズもそれに漏れずに「彼の自我のあり方」を悩み葛藤しているのです。
第1フェーズ:LGBTQに悩む思春期のユリシーズ
「① 一般家庭で心優しい少年」であり、「② 熱心なキリスト教徒」として育った「③ 有色人種(黒人)」なユリシーズ。彼がLGBTQを家族に認められない葛藤が物語の前半で丁寧に描かれています。
第2フェーズ:自己表現のできる場を見つける
出典:ぴあ映画生活
ユリシーズがエボニーたちと出会った〈クリストファーストリート〉は、実はゲイ解放運動の発端となる暴動が起こった世界的なLGBTQのメッカです。
日本で言えば新宿2丁目のようなもの。
そこでトランスジェンダーのエボニーたちに出会い、認めあい、大切にしたい人を見つけます。
他者と心を通じ合わせることの心地よさと、自己の開示の難しさを第3フェーズで知ることになります。
第3フェーズ:自己表現の解放、自己の確立
そしてエボニーたちと触れ合うことで、同じような想いを抱えた彼らの前に進む力に影響を受けます。
「ヴォーグダンス」という表現に魅了されたユリシーズは、その第一歩として、表現者としての自己を確立していきます。
それによって本当の心の性を自分自身が求められるようになります。
出典:YouTube
ちなみに動画は現在の「ヴォーグナイト」です。
「ヴォーグナイト」は実際にニューヨークで〈Saturday Church〉のプログラムの一環として定期開催されており、少しずつ音楽もダンスも進化しを遂げて、現在の「kiki」へと発展したそう。
第4フェーズ:思春期の自己形成
自身がようやく認めることができたユリシーズは、ありのままの自分を認めてもらえない家族のもとを飛び出します。
その過程で、彼は自分のことを家族の大切さに気づき、自分のことを伝える勇気をもち、家族とわかり合おうと遮断してい母親と向き合っていくのです。
〈自分を完全に受け入れて進んでいこうとする決断〉を美しいミュージカルシーンで表現されています。
出典:YouTube
誰しもが体験する青春時代 ~初恋、家族愛、そして自我の確立~
出典:IMBd
これは、きっとだれしもが通ってきた青春期ではないだろうか。
ユリシーズの悩みはLGBTQという、少し人とは違う悩みだった。そして、少しだけ人より重い悩みだったかもしれない。
けれど他者との関係を悩み、もがき、前に進んでいく姿は、自我を形成する青春期そのものである。
自己理解、他者理解の難しさと心地よさを全身で受け止めて成長していくユリシーズ。
登場人物たちが経験する孤独や初恋などの感情は国籍も育った国も、国籍や肌の色、セクシュアリティの違いに関係なく共感できるものに違いないのです。
そう、だから、誰もが共感できる普遍的な物語。
LGBTQを知っていても知らなくても、この物語には誰しもが共感し、泣くことができ、そして一緒に成長することができる映画作品なのです。
作品として緻密で考え抜かれた純度の高い構成、背景描写を違和感なく届ける登場人物とそのセリフたち。
無名な監督がここまで作り上げられたのは、彼自身が実際に〈Saturday Church〉のプログラムのボランティアとして参加していたこと、
そして演出者たちが実際のLGBTQの若者たちであることが、「サターデーナイトチャーチ -夢を歌う場所-」を〈嘘のない物語〉として織りなしているのでしょう。これは奇跡の82分です。
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世間や他人にとらわれて、あなたがあなたらしく生きることを忘れてしまった人たちに、ありのままの私でいいことを気づかせてくれる映画「サタデーナイトチャーチ」
もし「サターデーナイトチャーチ」を一人にでも届けられたなら、もう、それ以上に嬉しいことはありません。
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[イラスト]ダニエル