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「ファースト・マン」は英雄ニール・アームストロングを一人の人間へと解放するための映画だった

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もし、あなたが、生涯ほとんど自分の心情を語らない、人類史上稀にみる英雄について、その半生を描いて欲しいと言われたらどうするか?

僕は監督の打診を受けても躊躇していた。宇宙に強い思い入れはなかったからね。子どもの頃に宇宙飛行士に憧れたりはしたけど、ニール・アームストロングもアポロ計画もよく知らない。でもある時、原作の本を眺めていたら、突然作品のイメージが湧いたんだ。
『ファースト・マン』デイミアン・チャゼル監督インタビュー

人類初の月面着陸を成し遂げた男ニール・アームストロングは、月面に着陸した後、数多くのセレモニーやTVインタビューを受けた。しかし、彼は教科書通りの答えをするだけで、自分の心情をドラマチックに伝えたりしなかった。そんな中、唯一、本人公認で彼の半生をつづったのが、ジェイムズ・R・ハンセンが書いた本映画の原作「ファースト・マン」だったわけだ。

映画「ファースト・マン」は、人類史上初の月面着陸を達成したニール・アームストロング(以下ニール)の物語だ。2019年アカデミー賞にて視覚効果賞を受賞した作品である。映像としての素晴らしさは後ほど語るが、この映画は教科書に載るくらい有名なアポロ11号の月面着陸がテーマなので、物語としての楽しみはあまり無い。ようは、最初から「ネタバレ」している映画なのだ。

「ファースト・マン」のあらすじ
*****
・ニールが宇宙飛行士になった。
・月面を目指すアポロ計画が始まった。
・ニールは人類初、月面に到着した。
*****
ちょっと暴論かもしれないが、この3行で説明出来てしまう位、物語はシンプルである。

映画を観ていても、
「本当にアポロ11号は月まで行けるのか?」
とハラハラすることもないし、
「ニールが月面に到着した際、どんな感動的な言葉を発するのか?」
これも中学校の教科書に出てくるレベルで有名な話だ。

冒頭に書いたように、チャゼル監督は特に宇宙に強い思いがあったわけでもなく、ニールやアポロ計画もそこまで詳しくなかったらしい。では、あまり興味もなく、ネタバレ満載で演出もしづらいテーマの監督を何故チャゼルは引き受けたのか? 僕は率直にそこに興味を持った。

映画「ファースト・マン」の制作陣

監督は「セッション」でその才能が評価され、「ラ・ラ・ランド」でアカデミー監督賞を最年少で受賞したデイミアン・チャゼルである。脚本がドキュメンタリー系の映画で定評のあるジョシュ・シンガー。製作総指揮にスピルバーグ。周辺を固める音楽、編集、撮影監督などのスタッフは「ラ・ラ・ランド」のメンバーで、主演も「ラ・ラ・ランド」に引き続きライアン・ゴズリングだ。(ちなみに、オファーは「ファースト・マン」が先)



出典:IMDb

「ファースト・マン」は、チャゼル監督の過去作品「セッション」「ラ・ラ・ランド」に比べると、淡々と進む重たい映画だった。SMばりの師弟関係の描写は無いし、耳にずーっと残ってしまうような音楽と映像が絡み合うようなシーンも無い。上映時間141分のうち、80%くらいは粛々と進む宇宙計画への挑戦と、家族とニールの関係を淡々と描いている。出てくる画も、ニールのアップシーンがとても多い。



出典:IMDb

これも。



出典:IMDb

これも。



出典:IMDb

これも。



出典:IMDb

これも。



出典:IMDb

これも。

僕も含めて、観衆に「うーん……冗長かも」と思われるくらいに、なぜチャゼル監督は宇宙への挑戦と家族の日常を淡々と並べていたのか?

それは、主人公ニール自身が”淡々と生きる人間”であったからだ。

ニールはモノを語らない男だったらしい。何事にも動じず、粛々と任務を遂行する男だった。ジェイムズ・R・ハンセンの原作『ファースト・マン』を読み、ニールの出生やアポロ計画との向き合い方、家族との関係性、月面着陸後の生き方、知れば知るほどその印象が強くなった。

ニールをひとりの人間として描くためには、チャゼル監督は余計なドラマ性や演出は極力控えて、淡々とニールの内面を映して進めることが必要だった。その方が、ニールらしさがこの映画から観客に伝わるからだ。

映画監督が描きたいテーマというのはころころ変わるのではなく、終始一貫していることが多いと言われる。チャゼル監督は、映像と音楽に徹底的にこだわった美しさと観客に一考を促す文芸的な作品を撮る監督だと僕は思う。

月面着陸という、人類の夢を実現した男ニールを美化し、ロマンティックに語るのではなく、感情と物理、そして精神面での犠牲を内面から描き切る作品を作った。

史上初の月面着陸=ヒーローという先入観

映画を観るまでは、ニール(というか、ニールではなく、僕はアームストロングと認識していたが)は人類で初めて月面に着陸した人だから、パワフルでカリスマ性あるアメリカンヒーローであろう。そして、月に着陸するまでに、ドラマチックな紆余曲折や人間らしい葛藤があったはずだと勝手に思っていた。

ニール自身は、最初に月面に着陸したのは自分であるが、それは一人の栄誉ではなく、アポロ11号までの挑戦で亡くなった何人もの同僚や、地球で支援してくれていたクルー、そして一緒に月面におりたオルドリンも含めて、関わった全員の栄誉だと心底思っていた。しかし、世間がそうは受け取ってくれなかった。



出典:IMDb

映画では、月からの帰還後についてのシーンは多くはなかったが、原作によるとその後のフィーバーは想像を超えるものであったらしい。

ヒューストン⇒メキシコシティ⇒ボゴダ⇒ブエノスアイレス⇒リオデジャネイロ⇒グランカナリア島⇒マドリッド⇒パリ⇒アムステルダム⇒ブリュッセル⇒オスロ⇒ケルン⇒ベルリン⇒ロンドン⇒ローマ⇒ベオグラード⇒アンカラ⇒キンサシャ⇒テヘラン⇒ボンベイ⇒ダッカ⇒バンコク⇒ダーウィン⇒シドニー⇒グアム⇒ソウル⇒東京⇒ホノルル⇒ヒューストン。

書きながら、メガチカチカしてしまうくらいカタカナが羅列されているが、アメリカ合衆国の意思を強調するために世界ツアーが開催され、自分の想いとは相反して、ニールは全人類の英雄として世界から奉られてしまったのだ。



出典:NASA

ちなみに、このツアーの過程でセカンド・マン(月面に2番目に降りた男)だった、バズ・オルドリンは鬱になってしまったらしい。どこへ行っても、2番目として扱われることのストレス、そして、決定的だったのがアポロ11号の記念切手に「月面に初めて降り立った人間(man)」と書かれていたことだった。オルドリンからすると、「人間(man)」ではなく、「人間たち(men)」と表現して欲しかったのだ。ファースト・マンとなったニールの葛藤も強かったが、セカンド・マンのオルドリンも大きな葛藤を抱えていた。

原作本に記載されていた月面着陸の事実

「ファースト・マン」の月面シーンで非常に印象的だったのが、ニールの宇宙服のマスク越しに見える月面の描写だった。



出典:IMDb

広大に広がる月の奥行きをマスクのミラーの中で描くことで、観客の没入感を最大限高めようとした映像だと思っていたが、原作書を読むと全く違う思惑なのでは? と考えを改めることになった。そこには、「アポロ11号をめぐる些細な悲劇の一つが、最初に月に立った人間(=ニール)の写真を大勢の人が見られないことである。」と書いてあった。アポロ計画に知見がある人であれば周知の事実かもしれないが、僕はこの話を知らなかったし、宇宙に強い思い入れが無かったチャゼル監督も知らなかったかもしれない。



出典:NASA

世界で最も有名と言っても過言ではないこの月面の写真は、オルドリンの姿だ。僕と同様にこれらの写真を勘違いして、写っているのはニールだと思っている人も多いと思う。



出典:NASA

NASAのサイトを見ても、月面でのニールの写真は無い。あるのは、オルドリンのマスクに反射して見える、ほんのわずかなサイズの姿だけである。
チャゼル監督は、ニールのマスクに焦点を当てた月面の画を撮ることで、「最初に月に立った人間の写真が無かった」という史実をわざと浮き上がらせているのではと思った。



出典:IMDb

また、月面シーンではIMAXカメラを使って、言葉にならないほど観客が没入できるように仕上げている。僕は、初めて映画館で、背もたれから前に身を乗り出して前のめりで映画館の広大な画面を覗き込んだ。

家族との日常を16ミリ、CGをほぼ使わないでリアルにこだわったNASAでの訓練の様子を35ミリで撮影し、70ミリのIMAXカメラで撮影された高解像度の月面シーンを最後に持ってきて、映像の高低差をつくる。そして、冒頭から続く、宇宙船のコクピットの轟音と対比として、月面を完全な無音で見せることで、没入感を提供した。

「セッション」と「ラ・ラ・ランド」のクライマックスは“音”で魅せる。今回の「ファースト・マン」は“無音”で魅せる。IMAXの画角の映像の中で“無音”が続く状況は、今ままで感じたことのない感覚だった。冒頭で書いた徹底的にリアルにこだわる宇宙船内でのニールのアップのシーンと、この月面のシーンの演出こそアカデミー賞の視覚効果賞を取ったポイントだと僕は思う。是非、皆さんにも体感してもらいたい。

チャゼル監督がインスピレーションを受けた箇所とは?

冒頭でチャゼル監督がインタビューで答えていた、「イメージが降ってきた」箇所はどこか? 僕が予想するに、前述した「ニールの月面着陸の映像がほぼなかったこと」と、「寡黙で冷静な男が淡々と粛々と月へ向かう任務を遂行している裏に、娘という存在があったこと」だと思う。



出典:IMDb

「月」は満ち欠けの変化から「死」の象徴と言われている。また、西洋占星術では、月は感受性を示し、「女性」を象徴しているとも言われる。

ニールにとっての「死」と「女性」で想起されるのは、2歳で亡くなってしまった娘のカレンのことだ。象徴的なエピソードとして、映画ではカレンが亡くなった後、娘の「棺」を土葬するシーンが流れる。この映画の中では、「棺」は宇宙船のメタファーであり、土葬された「穴」は月面のクレータのメタファーと解釈できる。

ニールはアポロ11号という「棺」に乗って、カレン(=月)に会いに行ったのだ。

アポロ誘導コンピュータのエラーコード1202の事実

今まで書いていたニールの話とはちょっと離れて、今回の映画評でどうしても言及しておきたいシーンがあった。



出典:NASA

それが、月面着陸船に乗って月に着陸を試みようとした終盤に出た、「エラーコード1202」についてだ。

映画の中では、非常に緊迫したシーンで大きな音とともに、アラームが鳴りやまない状態になった。その際、ニールは管制塔のメンバーにエラーコードの意味を確認する。管制塔からは、「このエラーコードはGOだ」と連絡が返ってくる。「ファースト・マン」の映画の中では、数多くのトラブルが起き、その過程でニールの同僚たちは命を落としてしまう。隣人のエドがテスト飛行の着陸トラブルで亡くなったり、アポロ1号の打ち上げ準備中の火事で同僚が亡くなってしまったりと。ニール自身も、冒頭のX15飛行機が成層圏に突入した際に急上昇して制御不能になったり、ジェミニ8号の宇宙空間でのドッキング試験時に母船が回転して気絶寸前になった。

宇宙では、死に直結するトラブルと隣り合わせだ。そんな状況下で、しかも月面着陸の最終盤でエラーコードが出ているのに、きちんとした説明もなく「着陸はGO」という判断を受け、ニール達は降下して行った。



出典:NASA

なぜ、実際の月面着陸のシーンで「GO」を出せたかと言うと、実は、テストチームが行った事前訓練で1202のエラーコードが出て、訓練を中断したことがあったらしい。その際、システム系のメンバーから「1202のエラーはコンピュータが優先順位をつけて動作しているだけだから、中断せずに着陸を続けるべきだ」と注意された。

1202のエラーコードについて少し説明すると、月面着陸船のシステム処理がオーバーフロー(アポロ誘導コンピュータの容量オーバー)した際に起きるエラーコードであり、もし万が一、何らかの原因でコンピューターがフリーズしそうになったら、プログラムを一度全て終了し、宇宙飛行士の生死に関わる重要なプログラムだけを再起動させる。 それを知らせるためのアラームが「エラーコード1202」だった。しかも、当時のアポロ11号のコンピューターは、今のスマホやファミコンと比べ物にならないほど劣っていたらしい。

この経験があったので、月面着陸直前に鳴り響いたエラーコードにも、地球の管制官は慌てずに「このエラーコードはGOだ」という判断ができた。そして、この時「GO」の判断をしたベールズは、管制チームと宇宙飛行士たちを代表して大統領自由勲章を得ることにもつながった。(ただし、ニールもオルドリンも事前に確認済みのエラーコードということは知らされてなかったようだが……)

この話の詳細は、宇宙兄弟オフィシャルサイト「〈一千億分の八〉アポロ11号の危機を救った女性プログラマー、マーガレット・ハミルトン」に、アポロ誘導コンピューターとともに、当時のエラーコード1202について記載されているので、詳しく背景を知りたい場合は一読をおススメする。このエピソード、僕は大好きです。

終わりに

映画「ファースト・マン」は、チャゼル監督が何故この映画を撮ったのか? ニールとはどういう人だったのか? を推察して観ると心底グッとくる興味深い映画だが、”141分の映画”として観ると、正直言ってかなり人を選ぶと思う。

アポロ計画やニールについてあまり前知識もなく、エンタメとして映画館に足を運ぶと、賛否両論が起こるだろう。僕も鑑賞後、友人に感想を聞かれた際「うーん、個人的には好きな映画だけど……考えさせられる映画という感じかな」というなんとも微妙な言葉で、この映画を表現していた。

「ファースト・マン」を観るまでは、宇宙飛行士のイメージは「アポロ13号」のトムハンクスだったし、さらにヒーロー性を求めるならば「アルマゲドン」のブルース・ウィルスだったし、マンガで言うと宇宙兄弟のムッタだった。それ以外の宇宙飛行士を描いた映画としては、「インターステラー」や「ゼログラビティ」など、過去にも多数あるが、それらと比べてもこの映画は圧倒的に淡々と粛々と出来事が並べられている映画だ。

この感覚は、オリバー・ストーン監督の映画「JFK」を学生時代に見た時の感覚と同様である。当時、恋人とJFKを見たのだが、途中で恋人は熟睡してしまった。「JFK」は、僕にとっては好奇心を掻き立てるに十分な映画だったし、静かな炎を燃やしてくれる作品だった。一方、恋人にとっては相当退屈な作品だったようだ。ちなみに、その恋人は今の僕の嫁なのだけれども、映画の趣味趣向が合わなくても幸せな結婚はできるし、嫁に「ファースト・マン」を進めることは無いと思う教訓は確かだ。

一応、普段マーケティングの端くれにいる僕としては、そういう風に好きと嫌いが分かれる映画こそ興味深いし、意見が分かれる映画の感想を書けることは非常に光栄である。映画評を書くためというきっかけであったが、チャゼル監督のインタビューを読み漁り、原作本の『ファースト・マン』を手に取り、より映画の深さを感じ、そして映画を愛せるようになった。



出典:IMDb

誰もが知っているニールの月面着陸後の名言。

「ひとりの人間にとってはただの一歩だが、人類にとっては大きな跳躍だ。」

この言葉と映画「ファースト・マン」を照らし合わせると、チャゼル監督は、ニールを父親として、夫として、宇宙飛行士という職業に就いた男として描き切ることで、”人類の英雄”という神話から、”ひとりの人間”へと解放したのだと思った。

参考文献:ジェイムズ・R・ハンセン(2019)『ファースト・マン上・下』河出文庫


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[イラスト]ダニエル

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