ドキュメンタリー映画って見ますか?
僕はほとんど見たことありません。だって、退屈そうじゃないですか。「感動の真実!」みたいなキャッチコピーがつき、インタビューや記録映像の連続で盛り上がらず終わっていく。そんなイメージ。
しかし、今回とりあげる2012年に亡くなったホイットニー・ヒューストンの人生にせまるドキュメンタリー映画「ホイットニー~オールウェイズ・ラヴ・ユー」で考えが変わりました。インタビューを並べて事実を提示するのがドキュメンタリー映画じゃない。お金をはらい、120分間スクリーンに向き合うだけの価値がある仕掛けが監督によって施されていることがよくわかりました。
そして、とても感動しました。
これまで見た映画の中でもトップクラスだと思います。
「真実の愛に涙が止まらない」とかではない。
得体のしれない感情を押し込まれ、目を背けたい、でも決して忘れてはいけないんだろうと思わせる感動です。
心が大きく揺さぶられました。
出典:映画.com
今作ではじめて明かされる秘密についても言及していくので、ネタバレが気になる方は注意してください。でも、それを知っても映画を見る意味が薄れはしないと断言できます。体感するのがなによりも重要な映画です。
【注】この記事では虚構を用いず実際のままを記録し編集したものをドキュメンタリー映画。創作や役者による演技を撮影し編集したものをドラマ映画と呼ぶようにしています。
過去作からみえる監督のこだわり
監督はケヴィン・マクドナルド。スコットランド出身の英国人です。ドキュメンタリー映画、ドラマ映画と幅広く手がけ、ミュンヘンオリンピックでの立てこもり事件を扱った「ブラックセプテンバー ミュンヘン・テロ事件の真実」で1999年アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞しました。
ケヴィン・マクドナルド監督、かっこいいな…… 出典:IMDb
過去作を見て感じたのが「公正さ」と「2面性」。
ドキュメンタリーを多く手がけている監督なので公正さは当たり前ですが、それでも自分の主義・主張をなるべく入れていない印象がとても強い。くわえて、どちらか一方から光を当てたら別方向からも当てることを忘れないという2面性の強調です。
たとえば「ブラックセプテンバー ミュンヘン・テロ事件の真実」。1972年ミュンヘンオリンピックでパレスチナ武装組織がイスラエル選手を人質にたてこもったテロ事件を追うんですが、犯人グループ唯一の生き残りの男性にインタビューしているんです。被害者側家族や事件関係者のインタビューと同じように編集され、本当に自然なので「え? ほんとに? この人犯人なの?」と思うくらい。両側から光を当てることで事件が立体的にみえるつくりです。しかも、その描き方に監督の主張はほとんど感じられない。淡々とすすんで終わる。
2020年東京五輪は安全に行われてほしいですね。 出典:IMDb
「敵こそ、我が友 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~」もおなじ。第二次世界大戦時ナチスで「リヨンの虐殺者」と呼ばれた男の人生を追うんですが、人間味や温かみもある人だったんだという家族のインタビューもはさんでいきます。事実が事実なのでその言葉は少しむなしいのですが、それでも一方的にはしないという監督のスタンスが反映されています。
2面性の極みなのが、1970年代にウガンダで独裁政治を行ったイディ・アミン大統領を架空のスコットランド人青年の視点で描いたドラマ映画「ラストキング・オブ・スコットランド」。主人公が自分さがしの旅と訪れたウガンダで、すさまじい現実を目にして巻きこまれていきます。
これがとにかく2面性の連続。
お気楽な前半と悲惨な後半でガラッと変わる、楽しげなパーティが行われている裏で虐殺がおこっている、ユーモアたっぷりな会見の裏で妻が殺されている、ハイジャック事件の人質が解放されている裏で主人公が残虐な拷問を受けている等々、ころころ変わっていきます。なにより、アミン大統領を演じたフォレスト・ウィテカーの顔。右と左でまったく表情がちがってみえる。大統領自身の2面性を見事に表現しています。ウィテカーはこの作品でアカデミー賞をはじめとした主要な映画賞の主演男優賞をほぼ独占、納得の演技でした。
フォレスト・ウィテカー。写真からも左右の顔の違いがよくわかります。 出典:IMDb
対象の2面性に光をあて、主義・主張を露骨にいれないマクドナルド監督の特徴は「ホイットニー~オールウェイズ・ラヴ・ユー」でもあますことなく発揮されています。
白人と黒人をつないだホイットニーの歌声
オープニング、カラフルなメイク・アクセサリーで歌う姿に「悪魔に追いかけれる夢を見るの」という言葉が重ねられその生涯を象徴するかのよう。
そして突然、戦場のような映像に切り替わる。
1967年夏に故郷ニューアークで起こった黒人による暴動とそれを鎮圧するために警察・州兵が衝突した「ニューアーク暴動」です。海外での戦争ではなくアメリカ国内で50年ちょっと前に実際に撮影された映像なんですね。同時期、アメリカ各地で同様の暴動が発生しました。そのうちのひとつ、デトロイト暴動のようすが「デトロイト」のタイトルで映画化されています。「ハートロッカー」でアカデミー賞をとったキャスリン・ビグローが監督。実際の映像もたくさん使われていて、当時の様子がうかがい知れるので興味のある方はぜひご覧ください。
デトロイトより。戦争状態のようです。 出典:IMDb
暴動当時ホイットニーは3歳。彼女自身が「家の中にも銃弾がとんできた」と語っていましたが、「デトロイト」をみるとそれが本当なんだとよくわかります。
デトロイトより。マンションの窓から少女が覗いたのを狙撃手と判断して銃撃する衝撃的なシーン。 出典:IMDb
白人と黒人の断絶が深かった当時の映像をつかうことで、その後のホイットニーの成功が単に黒人歌手が人気者になったということだけでなく、アメリカ社会の断絶を乗り越える存在としてとても重要だったことが印象づけられました。
『すてきなSomebody』が印象的に流れるシーンではコカ・コーラ、マクドナルドなど元気なアメリカという当時の空気感が伝わる映像がたくさん使われていましたね。80年代にレーガン大統領がすすめた「マッチョ・アメリカ」という時代の空気と共にホイットニーの人気が広がったことが良くわ
かります。レーガン大統領の映像も使われていました。90年代の映像にはクリントン大統領も使われていましたね。
コカ・コーラはコカイン(薬物)常用の暗喩として使わていたようにも思うのですがどうなんでしょうか。
デビューから一気に成功したホイットニー。
2つの曲によってそのピークを迎えます。
ひとつは、マーヴィン・ゲイによる1983年NBAオールスターでの自由な歌い方を参考にしたという、1991年スーパーボウルでの国歌『星条旗』。湾岸戦争真っただ中のアメリカ、戦地でも流れたことでしょう。
まずは、自由すぎるマーヴィン・ゲイをご覧ください。
出典:Youtube
日本では絶対に考えられない自由さです。
そして、ホイットニー。
出典:Youtube
圧倒的です。
この国家斉唱がどれだけアメリカで評価されているかを示す事実が書かれたコラムがありましたので引用します。
2017年のスーパーボウル直前に、CBSスポーツ、ビルボード、ローリングストーン、MSNといったメディアが、歴代の国歌斉唱パフォーマンスのランキングを発表したのだが、示し合わせたかのように、全社ともホイットニーを1位にしていた。USAトゥデイに至っては「ホイットニー以外のランキング」を発表していたほどであった。もちろん、彼女が圧倒的1位だという米国民のコンセンサスがあるという前提だろう。
神が舞い降りた! ホイットニーの国歌斉唱@第25回スーパーボウル
すごすぎますね。
生歌ではなく事前に録音されたもの。シングルCDとしても発売され、「Billboard Hot 100チャート」の20位にランクイン。その10年後2001年の同時多発テロ後にも発売され、そのときは6位にはいりました。
劇中でも称賛する声が白人黒人とほぼ均等に使われます。黒人の伝統的音楽にならい3拍子を4拍子に変更したエピソードも盛り込まれました。細かい2面性の見せかたが監督は上手なんですよね。作品全体としてもそうだし短いシーンでも2つの面を交互にみせていきます。
そして、もうひとつ。
国家斉唱でアメリカをひとつにしたともいえるホイットニーですが、さらに世界まで広がるのが映画「ボディガード」、そして『オールウェイズ・ラブ・ユー』です。1974年ドリー・パートンがリリースしたもののカヴァー。収録されたサントラ盤は全世界で4200万枚以上の超絶ヒットを記録しました。世界でもっとも売れたアルバムランキングでもトップ5に入ります。毎日聞かされて苦痛だという隣人同士の訴訟の原因になった、サダム・フセインが自らの選挙戦にアラビア語版を利用したというエピソードからもわかるとおり、世界中で流れることになりました。
出典:IMDb
この曲がどのように使われるか? 注目していたのですが、やはり白人と黒人の融和の象徴としてでした。1994年に南アフリカで行われたライブ映像。ネルソン・マンデラ大統領からホイットニー自身が直々に要請を受け、アパルトヘイト撤廃後の南アフリカで初めて開催された大規模ライブ。ホイットニーの影響力がアメリカ国内から世界レベルまで広がったことを象徴的に映しだしました。
歌手ホイットニー・ヒューストンの栄光を描いた、ここまでが映画の前半パート。
時間もほぼ1時間です。
家族の愛を探し続けた少女ニッピー
後半のキーワードは「家族」
ニッピ―という愛称をつけられた少女の物語です。
1992年に結婚したボビー・ブラウンはトップスターとなった妻に嫉妬し、様々な問題をおこすように。そして、夫婦共々ドラッグ・アルコールに溺れていきます。
新婚旅行時の写真、しあわせな時期もたしかにあったんですよね。 出典:IMDb
大事だなと思うのは、彼女はなにもボビー・ブラウンの影響でドラッグをはじめたんじゃないということ。お兄さんがインタビューで語っていますが16歳からドラッグをつづけていたんです。
2011年に27歳で亡くなったエイミー・ワインハウスのドキュメンタリー「AMY」でもそう思ったのですが、本当に若いころからあたりまえにドラッグを摂取している。芸能の世界に限らずアメリカではそれだけドラッグが一般的になっているということなんでしょうし、その根本に目を向けないと本当の意味で解決もしないんじゃないですかね。
話がそれましたが、結婚をターニングポイントに薬物依存がエスカレートしたのは事実。
何回入院しても治療の兆しはみえない。
その理由を心理療法士が語っていました。
「治療のためには本当の自分と向き合わなければならない」
そして、家族最大の秘密「21歳差の従姉からの性的虐待」に光があてられます。
2回みて気づいたのですが、ここの流れが本当に巧妙。
ホイットニーの幼少期を語るインタビューで「家族の秘密は消えない、絶対に」という言葉が強く協調されていました(家族ぐるみの付き合いがあった牧師さんだったと思いますが、間違えてたらごめんなさい)。
その秘密とは、母親の不倫であり両親の離婚であり、なにより夫との薬物依存であると思わせるように描いていく。そして、本当の秘密として虐待を提示するんですね。
ホイットニー家族が引っ越した一軒家の映像が最序盤で使われます。ゆっくりとカメラが寄り、軒先をアップで映す。黒人一家が稼いだお金でやっと引っ越した希望の象徴のような描かれ方。
そして後半、虐待が提示されたあとにも同じ軒先のアップが使われます。希望の象徴だったはずが実はホイットニーを苦しめていた根幹だったんだという真逆の印象を与えられます。
効果的に2面性を強調する編集・演出です。
虐待についてホイットニーから聞いたことを語る家族の言葉のなかでもっとも印象的だったのが「彼女は自分が誘ってしまったのかと思い悩んでいた……」というもの。
幼少期のホイットニー。 出典:IMDb
性的虐待の被害者はそう思ってしまう傾向が強いのだそうです。
森田ゆり著『子どもへの性的虐待(岩波書店、2008年)』には性的虐待をうけた子どもに多い心理的反応のひとつとして以下のように書かれています。
被虐待児は自分が悪かったと思っている。虐待を受けたのは、自分の帰りが遅れたから、自分がはっきり「やめて」と言えなかったから、自分には障害があるから、等々あらゆる理由をもって自分が悪かったと思っている。
加害者を守ろうとする傾向が強いとも指摘されています。母親にいわなかったのも加害者を守ろうとする意識だったのかもしれません。母シシ―はアメリカでの今作公開後、虐待を否定しているようです。加害者として名前があがった従姉も2008年に66歳で亡くなっています。当事者が亡くなっている今、ほんとうのところはわかりませんが、ホイットニー自身が心に傷を抱えていたのは事実でしょう。
最大の2面性、ホイットニーと娘クリスティーナ
白人と黒人、歌手ホイットニー・ヒューストンと少女ニッピー。冷徹なまでの公正さで2面性を描き出してきた今作ですが僕がもっとも心を動かされたのはホイットニーにではありません。ボビー・ブラウンとの間に1993年に産まれた娘、ボビー・クリスティーナ・ブラウンです。劇中ではクリッシーと呼ばれていましたね。
ホイットニーとクリスティーナ。 出典:Wikipedia
自分の幼少期と同じ気持ちにさせたくなかったのか、ホイットニーは各地をとびまわる生活でもクリッシーを一緒に連れていく、時にはステージに上げる。そして、とてもとても悲しいことに子どものころからドラッグを与えられていたのでしょう。
そんな日々でまっとうに育つのは難しい。何もかもうまくいかない両親と一緒に家族だけでジョージアの家に逃げこむ。暗く陰鬱で、悪魔の棲み家とまで呼ばれていましたね。
母親の部屋には父ボビー・ブラウンが描いた悪魔の姿が……。部屋の角にうずくまり指をしゃぶるクリッシー。怯えているようにも、放心しているようにも見えました。あの姿が何度も何度もよみがえります。
悲しみであり、怒りであり、恐れであり、本当に得体の知れない感情が心にわいてきます。言葉にできません。僕自身、3人の子をもつ親です。子どもにあんな顔をさせるのはどんな理由があったって許されることではないと強く思います。
ホイットニーの2面性だとばかり思っていたら、ホイットニーと娘クリッシーという最大の2面性を突き付けられました。この感情はずっと忘れることはないでしょう。
優れたドキュメンタリーには人を変える力がある
後半、ホイットニーが薬物依存でうまくいかなくなったあたりからニュース映像が多用されるようになりました。スターの薬物使用、離婚。面白おかしく紹介するニュースキャスター。そして、早すぎる死。すると手のひらを返したように神妙な表情で、功績を称えて不確かなことを言うのはやめましょうなんて伝えてくる。
その裏で彼女がどんな状態だったのか、どれだけ苦しんでいたのか描かれているわけですから、そんなニュース映像を見ると勝手なもんだなあと思いました。でも、果たしてそれは海の向こうだけでしょうか。自分以外の誰かだけでしょうか。
不倫した、病気になった、間違いを犯したミュージシャンやアスリートや芸能人。それを伝える映像に、記事に、ツイートに、深く考えず反応する、もっともらしいこを書く。その先には血の通った人間がたしかにいるはずなのに。そんな自分は確実に存在しています。スクリーンに映っているような気持ちになりました。
すぐれたドキュメンタリーは知らなった事実を伝えてくれるだけじゃない。事実を通して自分の中の何かを変えるきっかけになるんじゃないか。ドキュメンタリーを退屈なものだと思っていた僕が、この作品によってそこまで思うようになりました。
同じようにドキュメンタリーになじみがなく、退屈だと思っている人にこそ見てほしいです。
それだけの映画になったのは、
ケヴィン・マクドナルド監督のおかげです。
様々な証言をしてくれた家族・関係者のおかげです。
監督・製作陣に編集権を一任した財団の勇気のおかげです。
何より、傷を抱えながら歌い懸命に生きたホイットニー・ヒューストンのおかげです。
ありがとうございました。
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[イラスト]ダニエル