1966年に映画公開されてから、ドラマや映画など幾度となく映像化されている「白い巨塔」。
2003年放送の「白い巨塔」では、ヘンリー・ウェステンラが主題歌『アメイジング・グレイス』を歌い話題になりました。その歌の持つ意味が分からずとも、聴くだけで心の琴線に触れる、情緒的な何かを持っている不思議な曲ですが……
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それもそのはず、『アメイジング・グレイス』は賛美歌であり、アメリカではもっとも慕われ愛唱される曲なのです。
今年(2019年)、「白い巨塔」が5夜連続で放送が決定。主題歌はまだ発表されていませんが、『アメイジング・グレイス』が候補として挙がっているそうです。
✨共演者決定!!!✨
財前五郎( #岡田准一 )の同期で終生のライバル・里見脩二役に#松山ケンイチ さん
財前と里見の師である教授・東貞蔵役に #寺尾聰 さんの共演が、それぞれ発表となりました〜‼️#楽しみ倍増#白い巨塔#テレビ朝日#開局60周年記念#5夜連続ドラマスペシャル#山崎豊子 pic.twitter.com/979a0d9mtq
— テレビ朝日『白い巨塔』【公式】アカウント (@shiroikyotou_ex) 2019年1月28日
というわけで今回は、なぜ賛美歌である『アメイジング・グレイス』が主題歌として使われたのか? 曲に込められた想いとは何なのか? 調べてみました。
『アメイジング・グレイス』とは?
まずは、『アメイジング・グレイス』をお聞きください!
イギリスの牧師、ジョン・ニュートンが作詞。作曲者は不詳となっていますが、スコットランドの民謡という説や、南アメリカで作られたなど諸説あります。
奴隷商人から牧師に転身した男が書いた、懺悔と感謝の歌で、日本では結婚式に使われる場合もありますが、世界ではお葬式に使われる場合もあるそうです。
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歌詞をじっくり読めば、結婚式には少しそぐわない部分もあるなーと感じるのですが、曲調や賛美歌という観点から見ると、全く合わないというものでもありません。
『アメイジング・グレイス』を和訳すると、”驚くべき恵み”という意味ですが、それだけだと、ちょっと何言ってるか分からないので、日本語訳を一部抜粋してみます。
アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる
簡単に表現すると「神様、道を踏み外してしまった僕まで助けてくれてありがとう。道が見えました」という感じでしょうか。
ではこの歌詞は「白い巨塔」の中で、誰に向けて歌われたものなのでしょう? ドラマの中でどのような意味を持つのでしょう?
・ドラマ(病院)全体でしょうか?
・医師(財前)に向けてでしょうか?
・それとも患者さんに向けて?
ドラマの中の出来事、心情を追って、一つ一つ検証してみました。正解はないので、「なるほど。こういう見方もあるのか」と、ご自身の視点と照らし合わせて楽しんで頂ければと思います。
検証1:ドラマ(病院)全体
まず、「白い巨塔」というタイトルの意味について調べてみました。
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『白い』とは単純に、医師が着る『白衣』を連想させるものでしょう。
次に『巨塔』とは何でしょうか。病院自体や、ガン医療センターのことなのかな? と推測できますが、ドラマから想像するとあまりに安直な感じがします。
「白い巨塔」とは病院の出来事をただ描く医療ドラマではなく、医療裁判を本筋とする医師同士の権力争いを描くドラマです。そう考えると『巨塔』という言葉そのものが、医師同士のヒエラルキーを表しているようにも感じます。
調べてみると『象牙の塔』に由来しているという線が出てきました。象牙の塔とは、
俗世間を離れて楽しむ静寂・孤高の境地。また、現実から逃避するような学者の生活や、大学の研究室などの閉鎖社会。
コトバンク
狭い世界の中で、権力闘争に明け暮れる医師たちの姿と重なります。
大学病院という巨大な箱の中での権力争いを、『象牙の塔』と重ねた造語が、「白い巨塔」と表現されているのではないでしょうか?
『アメイジング・グレイス』では、権力争いが繰り広げられる病院全体を『道を踏み外してしまった者』と比喩しているようにも感じます。
大学病院というシステムのあり方に問題はありましたが、医師たちは権力争いに溺れながらも、芯の部分は「人を助けたい」という想いがあります。
実際ドラマでは権力争いに溺れながらも、自ら道を正していく医師たちの姿が描かれていました。
また、医者は神様ではなく、ただの人間にすぎません。
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財前の死を持って、医師も人間であることを証明したのではないでしょうか。
大きな巨塔の狭い世界の中で、権力争いに溺れる医師たちも人間であり、過ちを犯すことだってある。だからこそ、救われ、道を正すことだって出来る。
と、『アメイジング・グレイス』で表現したかったのではないかと、私は感じました。
検証2:医師(財前)に向けて
この物語の主人公、財前は果たして悪者なのでしょうか。
最後の判決の後、財前の放った言葉はとても深いものがあるなーと私は思うのです。
「何が悪い。私は患者を救おうとしたんだ。ガンを切除しようとしたんだ。何が悪い!」
この言葉が全てなのかなと。
「白い巨塔」という大きな力、しがらみの中で戦ってきた財前ですが、財前に救われた患者というのは数え切れないほどいます。
裁判では負けてしまった財前ですが、「患者を救おうとした。ガンを切除しようとした」その言葉に嘘偽りはありません。
そんな財前だからこそ、死を迎える瞬間は穏やかだったのではないでしょうか。
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また、財前が里見に放った「無念だ」という言葉。『アメイジング・グレイス』がバックに流れ、その音量がもっとも大きくなるシーンです。
無念という言葉には、2つの意味があります。
1つ目は『無念無視』。すべての邪念を離れて、無我の境地に達した状態のこと。
2つ目は『残念無念』。思うようにならず、心残りがあること。
財前が里見に放った言葉の意味は 、恐らく2つ目の『残念無念』でしょう。
しかし、1つ目の言葉は賛美歌『アメイジング・グレイス』と類似する部分があります。
作詞者であるジョン・ニュートンの乗る船が嵐に遭い浸水。
転覆の危険に陥った時、必死に神に祈ったことがこの歌詞の由来とされていますが、死を目の前にした人間の境地もまた、財前と重なります。
そこまで深く考えて選曲されたかどうか私にはわかりませんが、財前の死から心情を考え、『アメイジング・グレイス』が採用されたのであれば、とても深いものがあるなーと思います。
『アメイジング・グレイス』の歌詞(和訳)通り、最後は財前も一人の人間として、救われたのではないでしょうか。
検証3:患者に向けて
「白い巨塔」は、佐々木庸平という一人の患者から始まる医療裁判が、ストーリーを盛り上げます。
裁判モノのというと、最後にスッキリ! 正義が巨悪を倒す爽快感は「半沢直樹」を思い浮かべてしまいますが、「白い巨塔」に至っては爽快感は皆無。
何が正解だったのか……観る人によって、それぞれの考えが分かれるドラマです。
私の個人的な意見は、裁判に勝とうが負けようが、亡くなった人は帰ってきません。そして、「白い巨塔」に関して言えば、亡くなった人は、裁判で苦しみ悲しむ家族を見たくないと思うのではないかと感じました。
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だからなのか、『アメイジング・グレイス』は遺族のみの出演シーンでは流れていません。
人は誰しもいつかは死にます。病院で亡くなる人もいます。
『アメイジング・グレイス』は、ドラマに出演する患者に向けてではなく、病気で苦しむ全ての人に向けて、流れている曲なのかも知れないなーと思いました。
まとめ
『アメイジング・グレイス』がどのシーンで流れているのか観ながら、今回は記事を書いていきました。
最終回に向かうにつれ、感極まって記事を書きながら泣くという、不気味な記事の書き方をしてしまいましたが……。
ドラマ終盤に向け、財前が一人の人間として弱みを見せ始めてから、『アメイジング・グレイス』が頻繁に流れ出したのがとても印象的でした。
「白い巨塔」では、大学病院という大きな組織、医師、患者たちの思いが交差しています。
大きなテーマの社会派ドラマでありながら、賛美歌である『アメイジング・グレイス』が使われたことに最初は何ていうか……違和感を感じました。
しかし回が進むにつれ、命の儚さ、死を目の前にした一人の人間の生き様などから、『アメイジング・グレイス』が使われたことに心底うなづけました。
今回はドラマを観ながら私の考察をもとに検証したので、正解があるのかないのか分かりませんし、真意のほどは分かりません。
これだけ書いておきながら、『アメイジング・グレイス』がドラマに使われた理由が、「監督の好きな歌だから。てへぺろ」とかだったらひと暴れしますけどね。
おっしまーい!