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「クワイエットプレイス」即死覚悟で声を出して突っ込みたい、愛すべきホラー映画

加藤広大 加藤広大


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Reference:YouTube

横倒しになった信号機、壁に貼られた行方不明者の張り紙、かつては街の人々が買い物をしながら世間話に興じていたであろう雑貨店も、ひどく荒れ果てている。

おそらく、何らかの理由からたった89日間で荒廃してしまったであろう街並みは、この手の映画がお好きな方であれば既視感を覚えることだろう。もしかしたら、安心感すら漂うかもしれない。

さて、ほぼ廃墟と化した雑貨店では、子供たちと、その両親が物品を漁っている。これまたホラーやゾンビ映画で見慣れた光景であるが、その一挙手一投足は非常に静かで、会話も手話でおこなう。まるで音を立ててはいけない世界になってしまったかのように。

というか、本作「クワイエット・プレイス」は、キャッチコピーの時点で「音を立てたら即死」と宣伝してしまっているので、観客は予め「ああ、音を立てるとヤバいんだな」とわかっている。

だが、わかっていることは本作においてネタバレや傷にならない。冒頭、静寂に包まれた世界に漂う緊張感は観客席にまで蔓延マンエンし「こりゃポップコーンを食ったら周りの観客に即死させられるのではないか」と思わせるくらいの凄みがある。

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その直後、早速の死亡フラグが高々と掲げられ、あっという間に回収された後、オープニングは終わりを迎える。上述もしたが、この導入部の緊張感は映画の「その後」を期待させるに充分なクオリティであり、こちらが思っている以上に「音を出したら即死」してしまう世界であることが無言のうちに伝わる。観客はこの辺りで「あ、もしかしたら飲み物すらキツイかもしれない」と思うことだろう。

結論から言ってしまえば「クワイエット・プレイス」は、斬新でフレッシュなホラー作品であり、かつベッタベタにベタな面も多分に備えている。そして、愛すべきツッコミどころも満載で、つまり「誰かと感想を共有したくなる」作品である。以下、どのあたりが新鮮だったのか、ベタだったのか、そしてツッコミどころを列挙していく。

その前に、本作のグロ表現はどの程度のものかといいますと

本作はホラー映画だからして、グロ表現やヴァイオレンス描写をどのくらいやるのかがキモになってくるし、観る人の基準にもなるだろう。「ホラーが苦手だけどどうしよう」と迷っている人もいるかもしれない。

なので書き添えておくと、まず血や臓物などはほぼ飛び散らない。クリーチャーのキモさも「エイリアン」や「グエムル-漢江の怪物」あたりがイケれば問題ないだろう。しかし印象的な場面では「結構痛そう」な描写が出てくる。

なので「リアルに痛い演出は苦手」という方は注意が必要かもしれない。ただ「来るぞ来るぞやっぱり来たぞ」と非常にわかりやすいので、目を閉じれば回避可能ではある。

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しかし「見たくないものを見てしまう」というのがホラー映画の醍醐味ダイゴミでもあるので、その「嫌さ」も含めて楽しんでみて欲しい。ちなみに先程「クワイエットプレイス」なるアパートが愛知県豊田市にあるという心底どうでもいい情報を知ってしまったが、これもまた、見たくないものを見てしまうひとつの例である。

またグロ表現とは別に、音による「驚かし」がとても多いので、ホラー映画にありがちな怖い場面でデカい音が「ドーン!」と鳴るのがしんどい方は、これまた注意が必要だ。劇場にもよるだろうが、この音量がかなり大きい。

まとめると、グロ表現は少なめ、痛そうな表現はアリ、驚かしの音はデカい。そして愛知県豊田市にはクワイエットプレイスと呼ばれる賃貸物件がある。表現の辺りは個人差もあるかと思うので、あくまで鑑賞前の参考程度にしていただければ。というわけで本題に入る。

音を出せないという簡単な設定が、新鮮な効果を発揮する

「クワイエット・プレイス」の設定、話の筋は非常に単純で、隕石とともに突如地球にやってきた「何か」が人類を絶滅寸前にまで追いやってしまっている。「何か」は聴覚が異常に発達しており、僅かな物音にも反応し発生源を襲う。

そんな世界でかろうじて生き残り、日々音を立てずに農場に引きこもり、サバイバルしているアボット一家の2日間(プラスオープニングの1日間)を描いている。生き残るためのルールはただひとつ「音を立てない」ことである。

この「音を立てることができない」設定自体は別に真新しいものではない。近作では「ドント・ブリーズ」もあったし、多くのホラー作品において、物音を立てて襲われるのは一種のお約束である。が、本作は僅かな物音すらも許されない。

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なので、まず車が使えない。ここでポスト・アポカリプス物にありがちな「ガソリンとか劣化するんじゃねえの?」問題が解決される。そのため、自然に移動が制限され、狭い範囲で話を展開することに無理がない。

そして、文明崩壊後の世界では最も身近な危険のひとつであろう野生生物、とくに野犬などの問題も解決される。音を立てる生き物はみんな「何か」に即死させられてしまうからである。

アボット一家は24エーカーにも及ぶトウモロコシ畑を擁する農場に住んでいるが、その設定もなかなか巧い。付近には川もあり、魚を調達することもできるので、栄養面でも余裕がある。ソーラーパネルもあるので音を立てずに発電することも可能だ。

ちなみに、私の見立てでは一家は高確率でプレッパー(大災害や経済問題、戦争などによる国家の機能不全に備えて、食料を備蓄したり核シェルターを用意したり、サバイバルの訓練をする人たち)である。いくら農家としての知識を持ち、自給自足が可能だとしても、どう考えても素人が災厄の発生から3ヶ月足らずで環境に適応できるはずがないし、音を立てずに納屋を改築できるはずもない。

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父親であるリー(ジョン・クラシンスキー)は農場に監視カメラ網を敷き、地下で監視できるようにしているし、無線機なども完備している。これらも災厄以前に備えていなければ実現できない環境だろう。雨音が物音をかき消すような日なら作業は可能かもしれないが、やはり若干無理があるように思える。

物語は89日目からいきなり472日目に飛ぶが、その間一切の犠牲を払わずに過ごしていることからも、アボット一家のサバイバルスキルはかなり高いと査定してよいだろう。そしてこのプレッパーらしい生活が、本作がアメリカでウケた一因となっているのではないだろうか。

若干話しがずれたので戻すが、「音を立てたら即死」という状況においては、すべての動作が静かに、ゆっくりと、慎重におこなわれる。どんなにヤバい状況下においてもルールは変わらない。叫ぶことも走ることも、一部の特殊な状況を除いては即死を意味する。

この「限りなく音を立てず、ゆっくりとサヴァイブしていく」動きはかなり新鮮で、派手さはないのに薄味にならず、緊張感を持続させることに成功している。

しかし、ツッコミどころも満載である

「音出ちゃったら即死」という単純明快なルール一発で、ホラー映画の新境地を切り開いた本作であるが、ワキの甘さやツッコミどころが目立つのもまた事実である。念のために書くが、以下に記すことは決してディスではなく、ホラー映画におけるチャームポイントであり、愛すべきツッコミどころだ。

まず、なんと言っても長女のリーガン(ミリセント・シモンズ)がヤバい。自分ではなく、他人の死亡フラグをバンバン立てていく。彼女は聴覚障碍をもっているが、父親が制作し与えてくれた補聴器をにべもなく断り、とにかく「よせばいいのに」ということしかやらない。行動原理も理解できないこともないし、別に不貞腐れるのは構わない。だが、今は常在戦場、非常事態である。

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だいたいホラー映画においては「よせばいいのに」をやってしまうバカが登場するが、面倒を起こすキャラとしてカリカチュアライズされすぎているのではないかというほど、リーガンのクソガキさは凄い。ワガママで不機嫌そうな彼女を見ていると、いい感じでイライラがつのり「俺は今、ホラー映画を観ている」となるので最高である。

親父も親父で、サバイバルスキルの高さの割には、どうにも危機感が足りない。彼は息子のマーカス(ノア・ジョブ)を滝に連れて行き「ここなら大きい声を出しても大丈夫だ」と実演してみせるが、どう考えても自殺行為である。

母親(エミリー・ブラント)もなかなかのもので、観た人ならおわかりになるだろうが「お前! 面倒くさがってないでそこは確認しろ!」と即死覚悟で声を出してツッコミを入れたくなってしまう。

本作は、すべて人為的なミスのせいで「何か」がやって来る。そのミスはすべて事前に防げたものであり、正直「あなた方、こんなんでよく一年以上も生きられましたね」と思わざるを得ない凡ミスである。ここでも再び「俺は今、ベタなホラー映画を観ている」となるので最高である。

そして、親父と母親のコンビネーションはさらにヤバい。ギリギリで危機を脱した後、はぐれてしまった子供たちを探しに行かなければいけないのに、いきなり家族についての会話をはじめる。ほとんど台詞がない本作のなかで、なぜここで話し合いがはじまるのか。屈指の爆笑シーンである。

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「驚かしの音量がデカい」と上述したが、このカマしは劇中で何度も繰り返される。しかも添えられる劇伴やタイミングがほぼ同一なので、天丼感が半端ではない。劇伴はマルコ・ベルトラミが担当しているが、もう悪ノリしているとしか思えない。しかし彼は中途半端な仕事をするタイプではない。

小高い丘の上に置かれたコンテナにピアノを乗せ、遥か彼方までワイヤーを張り「このワイヤーで音を伝えると、エコーのような効果が得られるんだよ」とか言い出すような御仁である。

この驚かしの繰り返しも、またベタさの極地でありチャームポイントとして機能している。とくに笑ったのが母親がガラスに「バーン!」と手をつくホラー映画あるあるシーンで「あの音ならどう考えてもあいつらが来るだろう」と即死覚悟で声を出してツッコミを(以下略)

さらに「何か」も聴覚が異常に発達してるんだから、そこが弱点だろうとわかりそうなものなのに既に人類は壊滅寸前のようだし、むしろデカい音を出して一箇所に集めてまとめて片付ければいいのにとか、音を立てたら直ぐに来るけどどれだけ近くにいるんだよワープしてんのかとか、そもそも素早いけどそんなに強くなくねえか? とかいろいろツッコミどころはあるのだが、本作はホラー映画だからしてまったく問題ないし、むしろ必要な愛すべき要素たちである。

そしてそして、ネタバレになるので濁すが、今までの静けさから一転、唐突にマッチョ化するラストには悪ノリを通り越した清々しさすら感じる。これもまたホラー映画の終わり方として最高だ。

本作は絶叫上映もおこなわれるらしく、鑑賞前は「どうなの、それ」と思っていたが、観終えた今となっては楽しくなる予感しかしない。そして、今知ったのだがなんと続編の製作が決定しているらしい。安易な続編、最高のB級ホラーじゃねえかと大声で叫び筆を叩きつけ即死。

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