夢のような、つうか、思い出の空間
本作は、全編を通してグレタ・ガーウィグ自身が思い出を回想するかのように、ざらついた質感の映像が映し続けられる。
それが思い出であることを強調するかのように、物語の裏側でおこなわれているであろう暗い部分は徹底して隠されている。学校ではイジメも見当たらない、クリスティンもカースト上位のジェナ(オデイア・ラッシュ)に対してやっかみむ姿は見せない、親父は鬱だが症状を見せない。
出典:IMDb
この暗闇は監督しか補完できないが、彼女自身が思い出を語っているようなスタイルだからして、作品の傷にはならない。むしろ、思い出の中に浮遊しているような感覚すら覚える。
友人とのどうしようもないバカ話、気乗りしないがやったら意外と楽しい学校行事、パーティーで馬鹿騒ぎしてハッパをやって、夜遅くに帰って親に咎められる。これまた代入可能なエピソードばかりである。
そして、母親とのやり取りである。「田舎を出て都会に行きたい娘VS地元の大学をすすめて娘を離したくない母」というマッチメイクは、これまた多くの人の共感を呼ぶことだろう。
出典:IMDb
私はコラムに書く映画を観るとき、なるべく萌えたり共感したりしないようにしているが、本作は母親の娘に対する依存感覚も非常にリアルで、つい自分に重ねてしまった。
怒ったとき口をきいてくれないとか、直接言えばいいのに皮肉を言うだとか、よく言えば世話焼きな母親像は、痛いほどリアルである。
さらに後半では「大事なものは近くにあったと気付きいきなり改心」、「遠く離れてはじめてわかる親のありがたみ」みたいな、ド直球を恥ずかしげもなく投げ込んでくるのが凄い。
これが普通の映画ならば「はい出たーwww 大事なものは近くにありましたーwww 」普段は使わない草まで生やすところだが、決してわざとらしくならずスマートに描いてみせる。
これもまた監督が作り出した「思い出」という空間のなせる業である。