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「レディ・バード」夢のような、つうか、思い出の空間

加藤広大 加藤広大


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出典:Youtube

どこかの安モーテルの一室だろうか、向かい合って眠る2人の女性が真俯瞰で捉えられ、オレンジの暖かい光が差し込んでくる。

直後、カメラはベッドに座る2人を背後から映し出す。その背中があまりにも似ていることにまず驚かされる。彼女たちが親子であることを、そして本作「レディ・バード」が母と娘の物語でもあるということを、たった一言の台詞すら用いずに提示される。

https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/06/8145848af937ff00b367db37cca4263e-e1528887166170.jpg出典:IMDb

まるで手練れの監督が撮ったような滑らかさだが、監督であり女優のグレタ・ガーウィグは1983年生まれの34歳、本作が初監督作品である。どうでもいいが私と同じ歳だ。

さて、「レディ・バード」は、予告編やフライヤーの類では「ちょっと変わった17歳女子高生が恋をしたり、親と衝突したりして少しずつ大人になっていく笑いあり、涙ありの物語(意訳)」といった説明をされる。

確かに話の筋的には間違いないのだが、鑑賞を終えてみればなんのなんの、徹頭徹尾(テットウテツビ)「名前」と「幸せ」を巡る話であり、女子高生ネタは思いのほか控え目だ。

てっきり「スイート17モンスター」みたいに、爆笑しながら気楽に観られるものだと思っていたら、いい意味で裏切られた。

ときに、ウェルメイドな「スイート17モンスター」の原題は「Edge of Seventeen」であるが「レディ・バード」の主人公、クリスティン・マクファーソン(シアーシャ・ローナン)もまた17歳であり、つまりエッジなセブンティーンちゃんである。

https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/06/24567c9338f40717c8a22b4c38508dae-e1528887296759.jpg出典:IMDb

クリスティンは自分で考えた「レディ・バード」という名前を友人や家族、教師にまで「レディ・バードって呼んで! 」と強要する。

彼女の夢は生まれ育ったサクラメントの田舎町を出て「文化のある」ニューヨークに行くことだ。そこで何をしたいか、何になりたいかはまったく決まっていないが「何者かにはなれる」ことは強く信じている。刺々しいというよりは非常にストレートなこじらせっぷりで、清々しく痛々しい。

と、ここで再び予告編やフライヤーの話に戻るが、本作の惹句(ジャック)は
「青春の輝きと痛みを知る、誰もが共感して心震わせる。これは、あなたの物語」である。

「誰もが共感」「あなたの物語」と、駄作に付けられがちな地雷臭漂うワードが登場する。誰もがこう思うんじゃないだろうか?「今どきの17歳なんて何考えてるかわっかんねぇし、共感もできないっしょ」と。

しかし、文章から滲み出る駄作感は杞憂(キユウ)に終わるだろう。「共感できねえっしょ」に対してグレタ・ガーウィグがとった戦術は、本作の舞台を自身もティーンネイジャーであった2002年に設定することである。

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