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どこかの安モーテルの一室だろうか、向かい合って眠る2人の女性が真俯瞰で捉えられ、オレンジの暖かい光が差し込んでくる。
直後、カメラはベッドに座る2人を背後から映し出す。その背中があまりにも似ていることにまず驚かされる。彼女たちが親子であることを、そして本作「レディ・バード」が母と娘の物語でもあるということを、たった一言の台詞すら用いずに提示される。
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まるで手練れの監督が撮ったような滑らかさだが、監督であり女優のグレタ・ガーウィグは1983年生まれの34歳、本作が初監督作品である。どうでもいいが私と同じ歳だ。
さて、「レディ・バード」は、予告編やフライヤーの類では「ちょっと変わった17歳女子高生が恋をしたり、親と衝突したりして少しずつ大人になっていく笑いあり、涙ありの物語(意訳)」といった説明をされる。
確かに話の筋的には間違いないのだが、鑑賞を終えてみればなんのなんの、徹頭徹尾(テットウテツビ)「名前」と「幸せ」を巡る話であり、女子高生ネタは思いのほか控え目だ。
てっきり「スイート17モンスター」みたいに、爆笑しながら気楽に観られるものだと思っていたら、いい意味で裏切られた。
ときに、ウェルメイドな「スイート17モンスター」の原題は「Edge of Seventeen」であるが「レディ・バード」の主人公、クリスティン・マクファーソン(シアーシャ・ローナン)もまた17歳であり、つまりエッジなセブンティーンちゃんである。
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クリスティンは自分で考えた「レディ・バード」という名前を友人や家族、教師にまで「レディ・バードって呼んで! 」と強要する。
彼女の夢は生まれ育ったサクラメントの田舎町を出て「文化のある」ニューヨークに行くことだ。そこで何をしたいか、何になりたいかはまったく決まっていないが「何者かにはなれる」ことは強く信じている。刺々しいというよりは非常にストレートなこじらせっぷりで、清々しく痛々しい。
と、ここで再び予告編やフライヤーの話に戻るが、本作の惹句(ジャック)は
「青春の輝きと痛みを知る、誰もが共感して心震わせる。これは、あなたの物語」である。
「誰もが共感」「あなたの物語」と、駄作に付けられがちな地雷臭漂うワードが登場する。誰もがこう思うんじゃないだろうか?「今どきの17歳なんて何考えてるかわっかんねぇし、共感もできないっしょ」と。
しかし、文章から滲み出る駄作感は杞憂(キユウ)に終わるだろう。「共感できねえっしょ」に対してグレタ・ガーウィグがとった戦術は、本作の舞台を自身もティーンネイジャーであった2002年に設定することである。