例えば、ヒロインの格好だけを取り上げてみても
例えば、私がいちばん萌えたのはヒロインであるサマンサ(オリビア・クック)の服装で緩めの水色カーディガン、チェリーレッドのマーチン8ホール、ショートデニム、破れたストッキング、Joy DivisionのDIY気味タンクというスタイリングは、控え目に言っても5億点である。
彼女の完璧な姿を見て、思わず「俺はJDで行く!」と叫びたくなったのは私だけではないはずだ。
出典:IMDb
マーチンの踵がすり減っていたり、トゥが剥がれていたりしたら2兆点だったのは惜しまれるが、レジスタンス的集団内に存在する女の子として中学生が考えたようなこれ以上無いベタ表現である。
顔に火傷痕があるのもいい。すべてが記号で満たされている。
彼女はオアシス内にある「魅惑の星」にウェイド(タイ・シェリダン)を誘う。星にはクラブがあり、爆音でNew Orderの「Blue Monday」が流れている。
1983年にリリースされたBlue Mondayに足りないものは3年前に自殺したイアン・カーティスであり、Joy Divisionである。そして、魅惑の星に足りないものは、現実世界の身体である。
現実世界のJoy Divisionと仮想現実のNew Orderは、それぞれの世界を見事に繋ぐ。
出典:IMDb
また、Joy Divisionの名はナチス・ドイツの強制収容所にあった慰安所から取られている。これはサマンサが収容所のような現実世界で生きていることが示されており、後に収容されることとなる、VRタコ部屋の存在もまた然りである。
つまり、彼女こそが現実世界と仮想現実を繋ぐ本作で最も重要な鍵であり、そもそも「Unknown Pleasures」のジャケットデザインは・・・。
と、こんな感じで延々といけてしまうのだが、そんなわけにはいかない。
しかし、これでは映画コラムにならない。自分が見えたもの/見たかったものに萌えて、嬉々として話したり、こじつけたりしているだけである。
どんな映画だってそうなのだが、本作は特に「自分が見たいものしか見えない」構造になっているので、非常にタチが悪い。
自分が見たいものしか見えない。見えるものしか見えない。見えなかったもの、見過ごしたもの、見たくなかったものはすべて無かったことにされ、萌えポイントだけが記憶に残る。
もう、とんでもない量の菓子が出てくるので、自分で選んだ好きなものだけを腹いっぱい食える。それだけでもう大満足。そして後に「あれとあれ、美味かったなあ」と思い出して再びうっとりする。その皿には、もっと多くの菓子が乗っていたはずなのに。