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「リメンバー・ミー」二本立て映画評〜俺の中で賛否が両論〜

加藤広大 加藤広大


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死後裁きに遭うであろう、ババアの手による悪魔の所業

一族の掟に最も従順なのが、祖母エレナである。音楽が聴こえたら戸を閉め、ミゲルが音楽を語ろうものならサンダルを持って追い回す。さらに、ミゲルにギターを貸そうとした男を「マリアッチ野郎」と罵り制裁しようとする。挙句の果てには、ミゲルが、本当に、本当に一生懸命作ったであろうギターを叩き壊す。

音楽禁止の家だから、ギターなんて買ってもらえるはずがない。フレットに釘を一本一本打ち付け、デラクルスのモデルに似せて、ヘッドをメキシカンスカルに模した、ちょっと不格好だけど、素晴らしいギターで、ミゲルにとってはきっと宝物だ。

繰り返すが、ババアは怒りに任せてミゲルの宝物であり、命とも言えるギターを、何の迷いもなく地面に打ち付け粉砕する。

音楽がやりたい一心で、自分の手でギターを作って、はじめてコードを弾いた時、おそらくミゲルは一瞬でもデラクルスになれたはずだ。抑圧され続けても諦めず、やっと手に入れた音楽家への切符、それをババアは破り捨てた。

ババアは物語の最後で改心し、手のひら返して音楽を許すが、このババアがミゲルの大切なギターを、悪魔のような手さばきで叩き壊した罪は決して許されない。私は上映中ずっと「酷い目に遭え」と念を送っていた。

https://ia.media-imdb.com/images/M/MV5BMTk2MzU3MjM0NV5BMl5BanBnXkFtZTgwNTkyMjMyNDM@._V1_SX1777_CR0,0,1777,743_AL_.jpg出典:IMDb

本作は「忘れないこと、語り継ぐこと」の大切さが説かれているが、確かにこのババアの悪行は後世まで語り継がなければならない。私がミゲルなら祭壇に写真も飾らないだろう。お前だけは死者の日に留守番だ。音楽をする者にとって、それくらいされても仕方のないことをこのババアはいとも簡単に、蝿でも叩き殺すかのようにやってのけた。メキシコに因果応報の概念があるのを願うばかりだ。

ババアにビビって何も言えなかったミゲルの父も同罪である。母に至っては居たかどうかの記憶すら無い。自分の息子が本当に、やりたいことを純粋な目で訴えているんだから、守ってやらないのか。そもそも、音楽がこれだけ溢れている世界で「音楽禁止」に関して疑問を抱いたことはないのか。

掟を設定したイメルダも、劇中いきなり歌いだして「昔は音楽好きだったのよ」と抜かし、何なら一曲まるまる歌うが、「歌ったら音楽の素晴らしさを再確認した」みたいな態度と、旦那に対するツンデレ具合は、あんたのせいで子孫がとんでもねえことになってんだよと、憤りを隠せない。それで死者の国でのうのうと暮らしているって、馬鹿を言うな。一族郎党クズばかりである。

ババアディスばかりになってしまったが、とにかく、そんな展開で最後はハッピーエンド、皆が音楽好きになって、過去のわだかまりも解けて、一族は幸せに暮らしましたとさ。と締めくくられても、納得できるわけがない。

ババアのババアであるイメルダにもう少し突っ込んでおくと、ミゲルに対して底意地悪く「音楽を選ぶか、家族を選ぶか」と「あたしと仕事、どっちが大事なの」と良く似た低能な質問を投げかける。それを大好きな音楽を武器に、自分の運命を地力で切り開こうとしているガキに問う神経は、かなり重症であるとしか言えない。

そもそも、イメルダは「音楽を捨て、家族を選んだ」的なことが語られるが、良く考えれば音楽を捨てる必要性がまったくないし、蒸発した旦那を憎んでも、音楽家や音楽全体を憎むのはまったく筋が通らない。バンドマンの彼女じゃあるまいし。

人生で大変な時、辛い時にこそ歌い、癒やされたり救われたりする。それが音楽ではないのか。音楽が持つ力ではないのか。昔は音楽が好きだというのなら、なぜそのことに気付かないのか。

もし、本当に音楽に対して呪詛をかけるならば、何があったとて絶対に音楽を許してはならない。途中で解こうものならば、呪いの力は自分に跳ね返る。その恐ろしさを描くのが物語であり、童話ではないのか。大丈夫かピクサー。

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