銀色夏生『ミタカくんと私』(2000)新潮社
銀色夏生はマジでヤバいということを、ご存知だろうか。著名な作家であるし、読んだことがある人も多いとは思うが、これほどまでに著者名から受けるイメージと作品の持つ攻撃力とが乖離している作家を、私は知らない。とりわけクリティカルな作品が『ミタカくんと私』である。「私」の家に出入りするミタカくんと、「私」と、「私」の家族。彼らの営む何気ない日常を綴った恋愛小説・・・なのだが。
こう書けばまるで、キラキラした透明感のある世界のようではないか。もどかしいったらない。銀色夏生はこんなものではない。確かに本作はみずみずしい彩りに満ちてはいる。でもそれ以前にヤバい。ヤバいのだ。銀色夏生はヤバいのだ。この作家のヤバさは、別れのシーンにおいて際立っている。
プリンのあと、夕食を待つ間、ミサオが言った。
「そういえば、このごろパパをみないけど、どうしたの?」
「ああ、離婚したのよ。あのヒト家出したの。女ができたのよ」
「えっ、本当? ママ、それ」と私はどなった。
「そうなんだって」
引用:銀色夏生『ミタカくんと私』(2000)新潮社、p.43
なんだろう、この他人事感。「そういえば」でパパの話を始めるのもおかしいし、「そうなんだって」と伝聞調で締めるママの当事者意識の無さは、どう考えたって狂っている。
突然ぶち上げられた離婚の報告。ここから、暗いシーンになるのかと思えば、ならない。みんなはパパの部屋に駆け込んで、めぼしいものを我先に抱きかかえ、自分の部屋に運び始める。引き出しを開けて化石や万年筆を握りしめる「私」、本棚の前で好きな本を選び始めるミタカくん。机の上にあったMacを全身で抱きしめる、弟のミサオ。誰も彼も、やりたい放題である。そして夕食の時間に一同は少しだけパパのことを考える。
そこで、みんなは、一瞬パパのことを考えた。確かに、ようりょうがいいとは言えないパパ。ちょっと変わり者のパパ。いてもいなくても同じようだったパパ。恋をしたパパ。しあわせになってほしいパパ。元気で、パパ。
その一瞬で、みんなの心の中からパパは飛び立っていった。
引用:銀色夏生『ミタカくんと私』(2000)新潮社、p.47
ひどい。
完全に、公園にいる鳩とかと同じレベルの扱いである。だが、離別の苦しみが軽い世界では、一人ひとりが強い。ふわふわした言葉を話す登場人物はみんな、自分の足で立っている。卒業式で一度も泣いたことがない人ならばきっと好きになる作品。