父でありすぎる
本作の第一章タイトルは「父でありすぎる」。これは、他ならぬ主人公・政次郎を指しての言葉である。この章で、おそらくは多くの読者が正次郎のことを好きになる。生まれたばかりの賢治に初めて対面した彼は、「父たるもの堂々としていなければ」と自分を律しようとしながら、内心では息子にデレデレなのだ。
(あっ)
政次郎は、目の奥で湯が煮えた。
あやしてやりたい衝動に駆られた。いい子いい子。べろべろばあ! それは永遠にあり得なかった。家長たるもの、家族の前で生 をさらすわけにはいかぬ。
引用:門井慶喜『銀河鉄道の父』(2017)講談社、p.15
はいかわいい。こんなの完全に、かわいいである。この後も政次郎は(弱みは、見せぬ)などと言いながら賢治が病気になれば家族の制止をふりきって看病に行き、その結果病気をうつされて自分が倒れたりするのである。しかも何度も。エモすぎる。
「進学した~い」と言い、「飴玉工場を作る~」と夢を語る賢治のことを「こんなに地に足がついていなくて大丈夫かな~」なんて心配しつつ、こっそりお菓子を渡したりお金を送ったりする政次郎。もう、彼こそが「雨ニモマケズ」だと思う。政次郎に比べたら賢治なんて「どんぐりの背比べ」である。