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2017年下半期おすすめ本3冊【小説以外】

岡田麻沙 岡田麻沙


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赤坂憲雄『性食考』(2017)岩波書店

わたしとあなたは、皮膚によって分かたれている。
本書を読むまではそう考えていた。赤坂憲雄は「皮膚=境界」論をこんな風に笑い飛ばす。

それを思えば、たとえば肉体の表層を覆った皮膚を、自己と世界とを分かち隔てる境界と見なす思考の、なんと皮相なものであることか。皮膚とはそもそも、多孔質の、つねに外なる世界によって浸透されている、呼吸する境界ではなかったか。
赤坂憲雄『性食考』(2017)岩波書店、p.256

呼吸する境界! もう、そんなことを言われたら謝るしかない。すみませんでした。自分が、きっぱりと外界と分かれた存在であるなどと、思いあがって。わたしと世界はぐちゃぐちゃに混ざり合っています・・・。猛省した。

食べる/交わる/殺す。近代よりもずっと前、3つの行為が渾然一体であったころ、命は、今とは違った見え方をしていたようだ。古事記からグリム童話、バタイユにレヴィ=ストロースと、縦横無尽に文献をひもときながら赤坂憲雄が明かすのは、動物としての人間が持つ獰猛さと神聖さだ。

動物の肉を噛み千切り、命を奪ったその口で味わう血の味を想像するとき、殺しと食事の境界線は消滅する。食と性の境界線もまた、赤坂憲雄の手にかかれば、簡単に揺らいでしまう。本書では、孫普泰(ソンジンテ)の『朝鮮の民話』に収められた「生殖器の由来」という物語が紹介されている。

人間の生殖器はかつて、男女とも額についていたが、風紀が乱れたので口に移動した。それでも不都合が起きたので、臍のほうへ移った。腹のあたりでも色々あり、結局、体の中心に治まった・・・。神話的なストーリーである。このエピソードの中で、口の周りにヒゲが生えるのは、「かつて生殖器がそこにあったからだ」という説明がなされる。

食べることと交わることがふたつの口に媒介されて、ある隠微な出会いを果たしている。
赤坂憲雄『性食考』(2017)岩波書店、p.269

赤坂は、「ふたつの口」が呼び合うさまについて考察を進めるうち、食べることとはそもそも「世界と交わる」ことだった、と結論する。そして、生殖器と交換可能な「上の口」は、言葉を繰り出すという役割を持ってもいる、と、なんとも恐ろしい指摘もしている。「あの子を喰いちぎった口でぐちゃぐちゃと愛を語らないで!」とか、もうこれはそういう世界観である。

殺すことと食べること。食べることと交わること。自分の体と、外の世界。本書は、あらゆる境界線を容赦なくぶっこわす。

 

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