通りに入って特に驚いたのは、本作のポスターやらのぼりやらが散見されたことです。
鎌倉市民、全然怒ってない!
カッパがいるのも当前だと小馬鹿にされながらも、むしろそんな炎上映画を後押しするようなムード。「いじられたこと」を「おいしいこと」として飲み込む態度に、関東随一の古さを誇る都としての余裕を感じずにいられませんでした。
もし自分が「おめーんち、かっぱいんだろ?」と言われたら、ハゲた実父をバカにされてるようでただただ無口になるだけです。
おそらく幽霊や妖怪や魔物たちにとって鎌倉は、アメリカ的なところなのかもしれません。自由の国KAMAKURA。これが鎌倉なのか!
さて、全く霊感もなければ鎌倉感もない自分が魔物に会うためには、その土地の食べ物を食べ、その地に馴染み、土地神様に受け入れていただくしかありません。そこで、ストリートフードの「はんなりいなり」を食すことにしました。
甘みの強いふっくらとしたおいなりさんで、食べればご利益も魔物もよってくるソウルフード。写真がひどいのは、私がアンチインスタ映えだからです。
はんなりいなりの甲斐もあってか、早速魔物の姿が目に飛び込みました。
ジブリ妖怪、通称トトロ。
もしかしたら本作のジブリオマージュは、この不意打ちのトトロによるものなのかもしれません。
というのも、とにかく後半出現する黄泉の国が「千と千尋の神隠し」を想起させるのです。
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巷で話題になるほどに、臆面もなく似ているのでおそらくわざとなんでしょうが、こうなってくると前半の夫婦愛は「風立ちぬ」の堀越二郎と菜穂子のようでもあるし、線路上の戦闘シーンや、夫婦で奇妙な乗り物に乗って飛んでいるシーンは「天空の城ラピュタ」のようでもあるし、音楽は「ハウルの動く城」で聴いたことがあるような、ないような。
「もしやあれもこれもジブリだった?」と、そうじゃないことまで逆算ジブリしてしまう。
浮気がバレて、本当の出張までお忍び旅行だと勘違いされるのと似ています。
昨年公開したスタジオポロック・米林宏昌監督作品「メアリと魔女の花」もまた、そこかしこにそのままジブリ風味が露見され、安価で制作されたジェネリックジブリ作品でしたが、あれに関してはジブリの伝統を後世に伝えるぞ! という気概ゆえのことでした。そもそも米林監督は宮崎駿の直下で働いていたので当然といえば当然です。
しかし、本作の山崎貴監督は宮崎駿のなんなのかと。あんた駿のなんなのさと。
山崎監督といえば「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズや「永遠の0」などVFXが得意な監督です。
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なかなか男前で、生まれ変わったらこんな顔だったら嬉しいわけですが、むしろVFXという0から立ち上げることのできる世界では、彼独自のクリエイティビティを爆発させるべきなのではないだろうかと思うわけです。
「なるほど、オマージュね」とは、なかなかなりませんでした。
映画なのだから「元ネタ」があってしかるべきだし、むしろそのような引用のセンスこそ映画作りなのかもしれないけれど、結局ジブリなのかという残念感は否めない。楽しくないわけじゃないんです。でも、宮崎駿の影響が多くのクリエイターの遺伝子にまで浸透しているとしても、山崎監督お得意のVFXを使ったファンタジーの世界が「千と千尋の〜」のそれと酷似してしまってはやっぱり損じゃないのかと。
実際に中国まで取材しに行って、黄泉の国を作り上げたらしいですが、その苦労も「ジブリじゃん」の一言で片付けられる状態です。
そもそも、江ノ電が黄泉の国につながっているのになぜ中国なのだろう? 確かにいろんな要素がごちゃ混ぜの映画だけれども、鎌倉も室町もへったくれもないほどにフラットにしてしまっていいのでしょうか。日本のルーツが中国にあるからってこと?
あんた駿のなんなのさ!
もし、先ほど出会ったトトロの影響でジブリ風味の世界になっているのだとしたら、こっちのキャラクターからインスパイアされた世界をみたかった。
「黄泉はココですヨ」と受け取れなくもない、チョリソー型の魔物です。小町通りを抜けた先に現れる、抜群のオリジナリティと不安定さが魅力的のキャラクター。こっちを見るなと思わず言いたくなるのが特長です。
ここからインスパイアされる世界を見たかった。と言いましたが、多分こうなります。
出典:seesaaブログ
鎌倉に行った際は、是非探してみてください。