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「パーティーで女の子に話しかけるには」騙された気分はどうだい?

加藤広大 加藤広大


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意外や意外、本作はとことん「言葉」を巡る話である

冒頭でも「齟齬」という言葉を出したが、本作は最初から最後まで地球人とエイリアンの話はまったく噛み合わない。

エンは友人2人とファンジンを作って配っているが、それについてザンと話すシーンでは、以下のような会話がなされる。

「彼(エンが書いている漫画の主人公)はあちこちでダサい連中に会うと、パンクな自分を感染させて、ファシズムや服従と戦うんだ」

「服従の解決策が強制的な感染とクローン化?」

「その・・・自由への比喩だよ。俺たちは自由になって、消費社会から逃れるんだ」

というふうに、お互いまったく理解はできていないのだが、自分の都合の良いように受け取って、何となく会話が成立している状況が延々と続き、物語は二転三転していく。さらに、お互い頭にクエスチョンマークが付いたまま会話を続けることにより、当の地球人同士ですら齟齬が発生するのだから面白い。

パンクの親玉的存在であるボディシーア(ニコール・キッドマン)はザンのことをアメリカのミュージシャンだと勘違いしているし、彼女のみならず、主人公チームも、地域のパンクスたちも、空き家をスクワットしているエイリアンたちのことをアメリカのカルト教団かヒッピーの類だと思いこんでいる。ちなみに、さらりと書いたが今回のニコール・キッドマンはまさにパンクという母艦を統べるゴッドマザーであり、彼女を観るだけでも1,800円払う価値がある。

お互いの真意はまったく伝わっていないものの、会話が成立してしまったり、むしろ勘違いして受け取ってしまった言葉が刺さったりと、言葉とは、会話とは、普段私たちが息をするように行っている行為とは、一体何なのかを観るものに問う。そして、この繰り返された「齟齬」は、クライマックスでビッグバンを引き起こす。

https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2017/12/8fcc32aaca02eefd505892ec06a55cec-e1513167488278.jpg出典:IMDb

ジョン・キャメロン・ミッチェルは、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」でもそうであったように、異物をとことん描く。今回のそれはエイリアンであり、パンクスたちである。しかし、パンクスたちにとっては親や周りの「まとも」な人間が異物であり、エイリアンにとっては地球全体すべてが異物である。

正直、多様性が云々という「ファッションパンク」のごとく手垢に塗れた話でこの話を締めたくはないのだが、こんなにも解りやすく、政治臭が無く、多角的な視点で、愚直で純粋な「童話」と言っても言い過ぎではないほどの多様性を描き出した作品は珍しい。しかし、童話故、その教訓は重い。

そしてきっと、地球人、宇宙人ともに、誤解、齟齬があるように、私たちもまた本作についてまだまだ「誤解」しているのだ。そして誤解が解けたとき、再び頭のなかで声が響く

「騙された気分はどうだい?」

ただ、多様性(を認める)というウィルスをパンク、そしてエイリアンを通して私たちに感染させた本作に関して、手放しの賛辞を送りたいところではあるが、「クラッシュは死んだも同然だ」という台詞については、ギャグの類だとしても一生許すつもりはない。いやはや、多様性を認めるって、難しいですな。

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