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映画版「火花」が、太鼓のお兄さんそのものじゃないのか。

シーズン野田 シーズン野田


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さて、板尾はこれまで二本、映画を撮っています。

一作目は「板尾創路の脱獄王」(2009)。どんな強固な牢屋に入っても脱獄する男の話です。仮タイトルがそのまま採用されたのでしょうか。タイトルに自分の名前が入っているところが、まさに彼の映画作りを象徴しているようで、作中にタイトルを2回出してみたりと内容もふざけてる。それが面白いか否かは抜きにして、姿勢そのものは芸人らしく、作品もオリジナリティに溢れています。

二作目の「月光ノ仮面」(2012)は、落語噺の『粗忽長屋そこつながや』をモチーフにした異色作。異色作って思わず書きましたが、全部異色作でした。この映画も板尾監督が主演です。ほとんどしゃべりません。なかなか難解な映画で、難解嫌いの友人が「難解だから、好きじゃない」と、ほざいていたのを覚えております。

どちらの作品も監督主演なのですが、ほとんどしゃべらず無表情で、まるで吉田戦車の漫画のような不条理でシュールな世界です。

しかしながら、本作の主演は菅田将暉と桐谷健太という今をときめく役者たち。板尾監督は出ておりません。自分は、監督が出ている監督の映画が好きなので心底がっかりではありますが、松本人志も北野武も三作目で一旦自分が出るのを控えているので、演出に専念しようと思ったのかもしれません。一作目、二作目とわけがわからないというレッテルを貼られると、三作目では慎重になるものなのでしょうか。

しかも前作から5年の月日が流れているわけで、その間映画を撮っていないとなると、決して大衆向けじゃない彼のテイストと世間との間で、なにかしらの揺れ動きがあったとしても不思議じゃありません。まぁそもそも、本作に板尾監督が出る幕はないのかもしれません。なんせ、売れない”若手”芸人の物語なのだから(だけど、板尾監督が役者もやればいいと思う)。

さて、そんな売れないお笑いコンビ・スパークスの徳永が住むのは、吉祥寺。自分も最近まで住んでいましたので、映る場所はだいたいを知っていました。劇中でハモニカ横丁のことを「ハーモニカ横丁」とのばして言っていたのは若干気になる吉祥寺っこです。

夜になると商店街には、夢追うマジシャンや、路上ミュージシャンがわんさかやってきてきます。休日の井の頭公園には、大道芸人が見物人を集め、太鼓を叩くお兄さんが誰かに怒られにやってくる、という光景をよくみます。まさに映画の通りです。今や住みたい街ナンバー1とうたわれる街には、廃れつつある「若者文化」の面影がひっそりと残っています。物語は、そんな街に住む徳永が、熱海の営業先で自分とは真逆の芸人あほんだらの神谷に出会うところから始まります。

神谷の漫才を見て「弟子にしてくれまへんやろか」という徳永に「わての自伝書けや」という神谷。汚い飲み屋。湯気の出る熱海の街中。雑な地元のヤンキーなど、原作どおりの情景が広がり、冒頭からどこか文学的な佇まいです。

ファーストカット。ヒューっと二つの花火が打ち上がっていく様に、徳永と神谷の声が重なり合う。若手芸人が花開くまでの対話がこの物語の肝であり、原作では、芸人又吉だから書ける芸人論が延々と神谷を通して語られます。いつ打ち上がるのかではなく、もう彼らは打ち上がっているのです。それが開くかどうか、その対話の中で芸人たちは、お互いを高め合います。たくさん打ち上がるからこそ、その花火の中で、芸人たちはがんばっていけるんです。そんな夢の儚さや美しさが、最初のシーンから暗示されているようで、いきなり胸が熱くなりました。

だがしかし、見ているうちに徐々に熱が冷めていくのはどうしてなのでしょうか。すいません、正直に申し上げればこの映画、なかなか退屈でした。作品を面白いと思えるかどうかって、期待値のすり合わせだと思うのですが、おそらくそれがかみ合っていないのかもしれません。

Reference:YouTube

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