• MV_1120x330
  • MV_1120x330

誰にも教えたくない。路地裏にたたずむ老舗「洋服の並木」

Moonieeman Moonieeman


LoadingMY CLIP

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「スーツはいつか並木で作りたいんだよ」

15年前のある日、髪をスプレーでピンピンに逆立てたパンクスが言った台詞が忘れられない。1978年、昭和53年。大手百貨店の縫製を担っていた父親を持つ4人兄弟の三男が梅が丘にオーダーメイドの背広仕立て屋を誕生させてた。モッズスタイルを好む男たちや音楽を愛する人たちから「聖地のような場所」と呼ばれ、連日自分だけのスーツを求めるものたちがつどう場所。

その名が「洋服の並木」だ。

「創業当時からモッズスーツを作っていたわけではありません。初めてモッズスーツをオーダーされたのは昭和60年でした。それが並木のモッズスーツ1号でした」そう話をするのは並木久美子さん。

「他では作ってくれないから、ここに持って来た」という状況から始まったモッズスーツ作り。

モッズやバンドマンは、その音楽嗜好同様に身につけるものにも相当なこだわりをもち、
【モッズ=反社会的】を追求した彼らにとっての、オンリーワンのモッズスーツはその象徴であり、妥協ができないものだった。

久美子さん曰く、『「この映画を一度観てみてください。そうすれば私のイメージがきっとわかるはず」と、60年代モッズカルチャーを描いた青春映画「さらば青春の光」を観るように』と言われたことが、印象的だったとのこと。

故・並木祐三氏は「面白そうだ」とこういった顧客自身が持つスーツに関する話やエピソードを楽しみながら聞いたという。

セオリーではなく全くタイプの違った彼らのスーツ仕立てに対する要望を
「顧客のリクエストを実現させるために職人と相談をくりかえす」
というやり方で、理想に近づけて試行錯誤しながら製品を仕上げていったという。


https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/12/1.114.jpg
店舗の天井には常連のバンドマンのポスターがずらりと並ぶ

「いろんなことにチャレンジするのが好きだった。だから顧客は満足していった」そんな祐三氏の仕事ぶりが好評となり
「並木に行けば願いが叶う」「並木に行けば、話を聞いてくれるらしい」と、口伝いに伝播して人が人を呼んだ。そして彼らに「聖地」と呼ばれるようになった。

  • https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/12/2.215-350x250.jpg
    生地の見本帳は何冊も常備。 客自身が生地を持ち込むことも可能
  • https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/12/3.313-350x250.jpg
    選んだ生地に合わせて、ボタンや裏地など 付属品も自身でチョイス

街角のクリエイティブ ロゴ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

TOP