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「ザ・サークル」大型宗教施設サークルへようこそ

加藤広大 加藤広大


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しかし、「透明化」したといっても、実は彼女のプライベートが侵されるシーンはほとんどない。不幸になるのは両親や親しい人物のみである。物語の大きな転換点になるので詳しいことは語れないが、友人のマーサー(よりによってエラー・コルトレーン)にシー・チェンジ越しに語りかけるシーンは2017年公開作品のなかでも屈指の迷シーンであり、笑撃のラストと共に、感想は長々と書かなくとも端的にローマ字4つで表現できる。

と、このまま細かい台詞や描写などに突っ込んでいくとキリがないのでこのくらいにするが、とにかく、脚本の杜撰ずさんさに加え、徹底的に人物が描けていない。

エマ・ワトソンは、まるで本作の責任を全て自分が背負い込むかのように嫌な女を演じる。しかし彼女はまったく悪くない。真摯に仕事をこなしている。むしろヤバい役を貰ってしまった女優としては破格の演技をしている。トム・ハンクスも「ここは俺に任せてお前らは早く酷評から逃げろ」と言わんばかりのカリスマでもっていくが、彼とて悪者ではない。これまた真摯に仕事をこなしている。

エラー・コルトレーンは言わずもがな、サークルの創業者の一人であるタイ・ラフィートを演じたジョン・ボイエガに至っては、「お疲れ様です最後のジェダイ楽しみです」としか言えない。ついでにカレン・ギランにも「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー今回も最高でした」と言っておきたい。

キャスティングも問題ない、むしろ豪華だ。テーマも悪くない、今やるべき話題だろう。音楽だって前作から引き続きダニー・エルフマンだ。良い素材は揃っている。なのに壮大にコケてしまった本作であるが、良いところが一つもないのか、と訊かれれば、あるにはある。

良いところを挙げるとするならば、それは神の不在である

それは圧倒的な神の不在である。おそらくわざとではなく、「そうなってしまった」のだろうが、本作からはあらゆる既存の宗教や信仰を感じることができない。ベイリーは「最善の人間は秘密を持たない人間である」と語り、メイは「見られていないと嘘をついてしまう、やりたくないことをやってしまう」と話す。

神様が見てるだとか、お天道様が見ているだとか、そういった一般的に人が持ち得ているであろう感情が一切感じられないのだ。しかし、人に見られている、見ている。だからこそ人の行動は良くなるのだとするならば、本作での神はひとりひとりの人間であるとも考えられ、これはサークル社内の異常な洗脳具合も手伝って、ちょっとしたサスペンスである。

https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2017/11/33f7368ee0ef65b0fe78384692dc7dd0-e1510811680736.jpg出典:IMDb

また、プレゼン終わりに起こる観客の拍手の大きさ、長さがとにかく狂気じみていて恐ろしく、この整音はある意味凄い。が、総じて音楽はダニー・エルフマンだというのに凡庸である。話に突っ込みどころが多すぎて音楽が耳に残らず、劇伴として機能しきれていないという問題もある。

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