• MV_1120x330
  • MV_1120x330

「アウトレイジ 最終章」まるで買物ブギーな臭いの話

シーズン野田 シーズン野田


LoadingMY CLIP

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

その映画、クライアントファーストにつき?

かつてたけし映画は、海外でご立派に数々の賞に輝きながらも日本では閑古鳥が鳴くという構図がずっと続いておりました。しびれを切らした監督が「BROTHER」(2001年)あたりでようやくヒット狙いのわかりやすい話に突入しながらも、次の「Dolls」(2002年)では、有名人を使っとけばいいという安易なヒットの法則を用いて菅野美穂を起用しながらも、まるでアート映画を作って興行収入はまた下がり、このまま大ヒットしないのかなぁと思っていたら「座頭市」(2003年)で大当たり。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51C87AA2Z7L.jpg出典:Amazon

しかし、再び「TAKESHIS’」(2005年)でウチにこもり、「監督・ばんざい!」(2007年)でバイオレンス封印宣言し、「アキレスと亀」(2008年)では主役が柳憂怜やなぎゆうれいというまさかの配役にヒットさせる気すらなくなり、ファン以外には見向きもされなくなりました。しかし再び「アウトレイジ」(2010年)でヒットの頭が見え始め、そこからずっとヒットさせています。

それまで潜っていたエンタメへの渇望が再び沸き上り「アウトレイジ」はたけし映画初のシリーズものとなったわけです。北野流「男はつらいよ」といったところ。

さて、今回の「アウトレイジ 最終章」も、さぞクライアントファーストかと思いきや見に行くと、あれ・・・あんまりクライアントファースじゃない

まず、拷問見本市としての面白さがこの映画の売りでもあったと思うのですが、そのバリエーションが少なくクライアントファーストじゃない。いざその時となる絶命カットは悲鳴とか効果音とかで処理される。直接傷口を見せるアウトレイジ前2作とは方向性が違うというか、合法的な刺激を求めて観にくる変態どもは肩透かしを食らうことでしょう。

そしてなにより編集がどっこいしょ。建物映してどっこいしょ、人を映してどっこいしょ、帰るシーンでどっこいしょ。なんというか間が悪い。

過去作では時間経過なんてどうでもいいぜという簡略の美ともいうべきアニメ的な編集が、独特の映像感覚を醸し出していたと思うのですが、それがわからなさにつながった結果、武映画は難解のレッテルを貼られてしまいました。しかし、クライアントファーストになった北野武は、その独特さを極力排除し、なるべく説明を多くして、簡略せずに<どっこいしょ!>とすることで、間口を徐々に広げて行ったのです(イラストに意味はありません)。

「アウトレイジ」は一般的なエンターテイメントに対する反抗期を脱し、ぐっとこらえることの快感を覚え大人になった監督の高度な達成と言えるでしょう。編集や演出を若干ドラマっぽくしつつも、北野監督らしいアイデアをちりばめたバランスになっているというか・・・。

しかし、今作「アウトレイジ 最終章」においては、例えばその拷問シーンのアイデアが少なく、突然の暴力みたいなものはあるんだけれど、それがかつての北野作品のようにカラッとして割と淡白。でも編集は今の北野作品なもんだからなんかやけに普通、というかもっさりしている。

大人で抑制された、ふざけないことに酔いしれる北野武を推し進めた結果、それが北野ブルーと呼ばれたあの文学的な作品たちの抑制に近づいてしまい、しかし、方法だけが今のやりかたなもんだから、ただただキレがない。

「アウトレイジ ビヨンド」では、そのすれすれをついていて、一作目にくらべれば多少過激さは減ったものの、ラーメンに入れるニンニクの量が、ギリギリ店の味を残しつつ、でもガツンとパンチのある塩梅に落ち着いていたように思うのですが、今回はちょっとニンニクが少なすぎたのかなぁ。なにこの例え。

街角のクリエイティブ ロゴ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

TOP