• MV_1120x330
  • MV_1120x330

2017年上半期、小説以外のおすすめ本3選

岡田麻沙 岡田麻沙


LoadingMY CLIP

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

寒い。
こんなに寒いのに、まだ「上半期」とか言っている。つらい。

・・・というわけで、2017年1月1日~6月30日までに刊行された小説以外の本から、おすすめの3冊をご紹介する。

※著者五十音順

『ゲンロン0 観光客の哲学』東浩紀(2017)ゲンロン

批評家として名高い東浩紀が2016年から2017年にかけて書き下ろした哲学書。

「哲学書? やべ」と呟いてきびすを返そうとした人がいたならば、5秒待って欲しい。本書の126ページにはエロ要素がある。244ページにはみんな大好きな炎上の話や、本アカと裏アカの話題だって登場する。だから話を聞いてほしい・・・!

この本は、「観光客」という私たちになじみ深い存在を思考のフレームワークとして「いかにして他者とかかわるか」に答えた、ものすごくとっつきやすい哲学書だ。他者なんか嫌いだという人にこそおすすめできる。

他者なんて嫌いだ、という人が少なくないように、観光なんて軽薄だ、と考える人たちも一定数存在する。最初に少し、個人的な体験から例を挙げさせていただく。私は20代のころ、南インドの地方都市にある小さな道場で、下宿生活をしていたことがある。そこでは、「現地にどっぷりつかって本物の体験をするぜ」と息巻く旅行者らと多く遭遇した。より「深く」、より「本物らしい」体験を求める気持ちが、彼らを帰国不能者にならしめていた。ズタズタのバックパックを担いだ彼らが、観光客の引っ提げている小ぢんまりとしたトランクや、ヒールのついた靴を見やり、ふ、と、小ばかにしたように笑う姿が、印象的だった。

こうした「浅さを笑う気持ち」が、観光という行為を分析の対象から遠ざけてきた。だが、東浩紀は軽やかだ。観光はもちろん軽い、そしてその軽さにこそ可能性があると看破する。

「観光とは現実の二次創作である」と東は言う(p.54)。アニメや漫画の二次創作を通して原作に出会うことが多々あるように、観光を通して現実に出会うことだってあるのだ、と。

分かりやすさに目を見張る箇所が、いくつもある。たとえば先に「エロ要素」として挙げた126ページの記述は、カントとヘーゲルの国家観を紹介しつつ、国民国家(=ネーション)間の関係を「愛を確認しないまま、肉体関係だけをさきに結んでしまった」関係になぞらえる。

いまの時代、経済=身体は、欲望に忠実に、国境を越えすぐにつながってしまう。けれども政治=頭はその現実に追いつかない。政府=頭のほうは、両国のあいだにはさまざまな問題があり、いまだ信頼関係は育っていないので、経済=身体だけの関係は慎むべきだと考える。とはいえ市民社会=身体はすでに快楽を知っており、関係はなかなか切断できない。機会があればまた関係をもってしまう。比喩的に言えば、いま世界でそのような事態が起きている。
引用:『ゲンロン0 観光客の哲学』東浩紀(2017)ゲンロン、p.126

めちゃくちゃ分かりやすい上に、めちゃくちゃエロい。「下品との非難を浴びるのを承知の上で」と断りを入れてこの連想を記した筆者の、分かりやすさのために「品性」を犠牲にした態度、最高に清いと思う。

アントニオ・ネグリとマイケル・ハートによる共著『<帝国>』(2003、以文社)についてのレビュー箇所も重要だ。昨今のアメリカの超大国ぶりを指して「いやはや帝国ですなあ」などという使い方をする解釈について、ちげえよとはっきり指摘する。「帝国」は国家ではなく状況を指すのだ、と。そして、『<帝国>』にも登場する重要な概念であるマルチチュードの有用性を評価した上で、規定のあいまいさを指摘し、「ほとんど信仰告白」だ、としながらも、「観光客の哲学」へと援用させる。この流れが鮮やかで、手品でも見ているように、気が付いたらとんでもなくアクロバティックな結論にたどり着いているのだ。

本書の第1部、最終章である4章のタイトルは「郵便的マルチチュードへ」。これは、「観光客」の別名である。観光客という外部でも内部でもない存在となり、必然を目指すのではなく偶然を意図的に導き入れることによって世界を「つなぎかえる」。移動し続けることによって価値を揺らがせ、目を覚ましてい続けることによって、私たちは繋がることができる。「観光客の原理(p.192)」は厳しくも、光ある生き方を示してくれる。

 

街角のクリエイティブ ロゴ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

TOP