• MV_1120x330
  • MV_1120x330

【芥川賞受賞作】沼田真佑『影裏』(絶望篇)

岡田麻沙 岡田麻沙


LoadingMY CLIP

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

じゃあいくわ

本作品の何がイイって、もう、全部イイんだけど、そういうこと言っていたら記事にならないから分解すると、まず文章が超良い。

主人公の「わたし」と日浅は釣り仲間である。日浅と共に川辺へ向かう「わたし」の目から見た風景描写は鮮烈で、冒頭から一気に引き込まれる。釣りのシーンも際立っており、もうこの作品がただの「釣り日記」でも全く問題ない、と思うぐらい、上質だ。

冷たい川水にさらされたイクラの赤みがほの白くぼやけ、見る見る水底へと消えていった。
引用:沼田真佑『影裏』(2017)文藝春秋、p12.

水の冷たさと、イクラの柔らかい質感。透明な赤い身が、すりガラスのように濁ってゆくイメージと、急速な落下の組み合わせが鮮やかだ。せせらぎが聞こえてくるかのような瑞々しい文章に、絶望するよね。

そして、自然に対するクリアーな視線とは対照的に、人物描写に持たされた余韻も、味わい深い。

そもそもこの日浅という男は、それがどういう種類のものごとであれ、何か大きなものの崩壊に脆く感動しやすくできていた。
引用:沼田真佑『影裏』(2017)文藝春秋、p8.

作品の序盤で登場するこの、ひどく印象的な一文が、日浅という男に不透明な奥行きを与えている。物語が進む中で、日浅は「わたし」に様々な面を見せる。そのどれもが、キャラクターとして輪郭を把握させるにはあまりに淡い領域に留まっている。この不透明さは、主人公の「わたし」が他人に対して踏み出す一歩の浅さでもある。時として不気味な人物のように描かれる日浅だが、ページを追い、「わたし」に関する情報が増えていくうちに、日浅という人間の不気味さとして一度は認識されたものが、「わたし」と世界との距離感が生み出す不気味さに変換される。日浅は、さながら白くぼやけながら水底へ消えていくイクラのように、時間と共に色を変え、不透明になり、遠ざかってゆく。この対比が本当に巧みで、なんかもう無理って思った。

震災後の文学

絶望してばっかりでもしょうがないので、最後に少しきちんと紹介をする。『影裏』は、東日本大震災を描いた、描くことの不可能性を描いた作品でもある。

2011年3月11日以降、東日本大震災という体験にコミットした文学作品は多く発表されてきた。いとうせいこう『想像ラジオ』(2013、河出書房)は死者の声に耳を傾け、イマジネーションによる「饒舌さ」を恐れないという確信犯的な作品で、第149回芥川賞選考の際にも賛否が分かれた。

川上弘美はデビュー作である『神様』に、震災以後の世界を2重写しにした『神様2011』を刊行した。

高橋源一郎は、「群像」2011年6月号で、こう書いた。

ここしばらく、タカハシさんは、黙り込むことが多くなった。(中略)雑誌に掲載された震災や原発の記事を読んでは、いずこともなく、視線をさまよわせる。そうやって、視線をさまよわせながら、いつしか、タカハシさんは、その視線が外側から内側へ、注がれてゆくような気がした。
引用:「日本文学盛衰史 戦後文学篇」

外側から内側への転回。震災直後に高橋源一郎が予見したこのダイナミズムが、6年後、『影裏』において文学史上で実を結んだ。震災以後、「わたし」からみた周囲の世界は奇妙な内向を見せる。

本作の表紙に使用されているのは、アーティスト小林史子の作品集『Nest』に収められた《Inner Garden》という作品の写真である。窓から見た庭の景色という「外部」をそのまま「内部」へと裏返すように、ガラス窓に囲われた空間で、ココナツの葉が揺れている。

『Nest』では、この1ページ前に、小林史子による創作メモが配されている。

私たちは日々うまれる膨大な要素を内側に格納している。言葉という道具や心を酷使し、それでもうまく整理されなかったものたちはその格納庫の床に無造作に散らばる。その散らばったピースだけで一枚の絵を作れないだろうか。

引用:小林史子『Nest』(2016)赤々舎

2011年、震災から数ヶ月後の「タカハシさん」が「視線をさまよわせ」、床に散らばった沢山の要素。6年後の今、沼田真佑はこれらを拾い集め、裏返された窓の中で失われた記憶を現前させる。ある土地で暮らす、ということと、その土地に馴染んでゆけない思い。踏み出す一歩の浅さと、時間の経過の中でしか処理できない沢山のものごと。『影裏』は、「共同体における喪失の体験」と一言で表すにはあまりに膨大な情報を、「書かない」ことによって書き出した。

・・・なんかもう無理なので、本記事はこれで終わる。みんな読むといいと思う。

街角のクリエイティブ ロゴ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

TOP