金のなる顔
作画も素晴らしく、多くのジブリモチーフ探索も楽しめる作品ではありますが、この作品が果たして面白いのかと言われれば、正直・・・ちょっとインパクト不足かなぁ・・と思いました。マロというあだ名通りではありますが。これからは俺らの時代だ! ミヤもパクもいなくても、ジブリの映画は作れるぜ! という意思は感じるものの、なんというか解がない。もっと大きな枠組みでの新しさというか、そういった試行錯誤や提案をもっともっと見たくなりました。
正直に言えば、僕らがジブリを観に行くのって、ミヤさんが作ったとか、パクさんが作ったとか、マロさんが作ったとか、吾朗が作ったとか、吾朗!!?? いきなりゲド戦犯がでてきてびっくりしました。すいません。宮崎吾朗のことですね。とにかく誰が監督をやったかどうかだけでジブリ作品を見に行っているわけではないのです。
結局なぜ日本人がスタジオジブリの作品を観に行くのかっていうとですね、もちろん作画能力の高さや、健全さということもあるかもしれませんが、宮崎駿が描きつづけていた「顔」のおかげなんですよね。ジブリ顔というやつですね。
この顔がもうブランド化してしまっている。
出典:IMDb
ジブリ作品でも、この顔を描いていない作品はけっこうコケています。「となりの山田くん」なんてもの凄い作画で、内容も面白いのにイマイチ当たっていないです。別に監督したパクさんが悪いわけではなく、キャラが原作そのまま、やくみつるじゃなくて、いしいひさいちの描く顔だから、おそらくコケたわけです。逆に言うと、ジブリ顔で描いておけば、大駄作といわれた「ゲド戦記」でさえ70億とか突破しています。まさに金のなる顔なのです。この顔さえ書いていれば興行収入20億円は担保できます。もう日本人はこの顔さえ拝めれば、監督は誰でもいいわけです。たとえ心霊写真にこの顔が写り込んでいても、脳内には久石譲の曲が流れ、なんだか、温かい気分になりそうです。子供の時からトトロやラピュタを見せ続けられ醸成された、あの顔への信頼感は、もはやカルト的ですらあります。
正直、そこから脱することができなければ、本質的な脱ジブリにはならないと思うわけで、今回の「メアリ」も例外ではなく、ジブリ顔を採用している時点で、宮崎駿の亡霊「みゃっくりさん」に取り憑かれているといっても過言ではありません。
「みゃっくりさん、みゃっくりさん、どうぞお戻りください」
もちろん! そんなことは全員わかっているのです。その意思表示が今回の映画の中に盛り込まれておりました。
どうしたら、宮崎駿の描くあの顔と差別化できるのか…。そして、今回たどり付いた答えがこれです。
「目頭付近に影を入れる」
どうでしょうか。今までのジブリのキャラクターの目頭に影は入っておりません。なんとかジブリ顔に一工夫凝らそうとする試みが見て取れます。しかし、やっぱり苦肉の策です。苦肉の花が満開です。結局ジブリ顔以外の何物でもありません。
ただこの影がもう少し上だったらそれこそ麻呂眉になると思うと、若干惜しい気もします。
出典:IMDb
ちなみに「思い出のマーニー」のときの苦肉の策は「耳たぶを付ける」だった気がします。若干耳たぶが膨らんでいました。より人間の顔に近づけるための試みだったのかもしれません。
変えたいのだけれど変えられない。そんな葛藤が今回も見受けられました。まぁみんなこの顔好きですし、なくなるのも寂しいから変えなくていいと思いますが。
制作費もジブリの頃より大分抑えられて作られているらしいですし、今時ジェネリックでいいと思います。クリカンのルパンですら、ないよりはあったほうがいいですしね。米林監督のこれからと、シーズン野田のこれからに期待です。
ということで、スタッフの皆さんお疲れ様です。