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「山田孝之3D」の触れない話

シーズン野田 シーズン野田


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ドラマの時は違いました。もっとヒリヒリしてました。長澤まさみに脱ぐことを説得する件があるのですが、そのやりとりとか、すごく新鮮でした。長澤まさみがあーだこーだ断る理由を探している様や、それでも全裸になるよう食い下がる山田と山下監督の姿は、日本映画界の第一線にいるものたちの自己批評になっており、なんだかとても勇気付けられました。

そのような高度な眼差しをこの映画にはあまり感じることがありませんでした。監督がインタビュアーをするわけですが、山田の本質に触れようとする気配や意思が全く感じられないのです。長澤まさみを口説き落とすような切迫したノリはどこにいってしまったのでしょか。

山田孝之が語る自身の体験や思い出は全て本当なんだと思いますし、とても身に詰まるようなことをおっしゃたりしております。なるほどなぁ、山田孝之は凄いなぁと思うこともありました。凶悪の役作りの話なんてとても興味深かった。

彼なりの苦労があり、きっと全てが本当なんだと思う。しかし、本当だから一体なんだというのか。

本物がやりたくて、自分の記憶は本物だから、この映画は本物だ。という流れだとすると、すこし浅はかじゃないでしょうか。最後にとってつけたように「全部嘘なんだけれどね」って言うんだけれど、いやいや知らんがな。

ドラマの方では「本当かな?フェイクかな?」と判断つかないことがたくさんあるんだけれど、そんなことより笑えるなぁとか、発想が面白いなぁとか、違うところに関心が行きました。今作においては多分本当なんだろうけど、それ以上でも以下でもない。「別にどっちでもいいわ」という感じです。松居一代の方が気になります。

作品は本当であるべきだと思います。しかしそれが事実として本当であるべきなのか?といえばそうは思わないですし、記憶なんてほとんど今の自分がいいように捏造した考古学みたいなもんで、そんなのは吉村作治がやっていればいいのです。

もっと表層の戯れとしてそこに山田孝之がいるという事実を3Dで表現してほしかったのです。「2001年宇宙の旅」のようなワープシーンのようなトランス状態を、マイケルジャクソンの「キャプテンEO」のような迫力をこの映画に求めていたのかもしれません。

そもそもそういう映画じゃねーから、と言われればそれまでの話ですが。ドラマともコンセプトが違うわけですしね。

別にどうしても言いたい不満があるわけじゃなく楽しめたのですが、ただなんかこう、突き抜けない。

そういえば劇中で山田孝之が、今は変な人に思われるようにしてると言っていました。

確かに彼がやる役は変なものが多い。「勇者ヨシヒコ」もそうだし、星になってみたり、ウシジマくんだったりとアクの強いキャラが目白押しだ。カンヌを目指すという企画も彼の変さから立ち上がったドキュメンタリーだと思う。だからこそこの山田孝之3Dには全く意外性がない。なんというか勝手なことをいいますが(今更)実現性へのハードルがずいぶん低いのです。別に山田孝之ならやりそうな企画なんですよね。

もしこれが、田村正和3Dだったらそれが実現してる時点でなんかすごい感じがします。立体になった田村正和が、眉毛をヒクヒクさせながらこちらをじっと見ているだけで、2時間成立しそうです。神がかり教祖様のように神々しい存在としてスクリーンに降臨することでしょう。単純に田村正和の普段ってちょっと気にもなるし。まぁ絶対企画は通らないだろうけど。


出典:田村兄弟オフィシャルウェブサイト

 

俺が本当に見たかったもの

はっきりいいます。元はと言えば、自分は山田孝之の胸毛を触りにこの映画を見に来たのです

もっと山田孝之の存在としての面白さをもっと感じたかったのです。「働くおっさん劇場」のように、もっと山田孝之ならではの肉体としての面白さ。そういうものを3Dで体感できると思ったのです。

 

彼の立派な胸毛がスクリーンから飛び出し、思わず手が出る、そんな映画を期待していたのです。彼ほど毛の生えた役者は今の所邦画界では思い当たりません。犬童一心監督に、日本の役者で頬まで毛が生える奴はいない! 太鼓判を押されるくらい稀有な毛の存在なのです(ネットの情報)。役者に毛が生えた存在と言っていいでしょう。おっと、これだと意味が変わってしまいますね。日本語って難しいなぁ。これだけ毛だらけだったら心臓に毛が生えていてもおかしくはありません。とにかくせっかくあれだけの体毛があるのに、どうして山下監督は毛の存在を無視したのでしょうか? 仲が良いあまり、胸毛が当たり前になってしまったのでしょうか。やはりインタビュアーと被写体の距離感はとても大事な要素なんですね。離れすぎててもダメだし、近すぎてもだめ。不即不離というやつですね。山下監督は山田くんの聞き手としては近すぎたのかもしれません。

唯一、山田孝之に触れられたと思ったのが、長澤まさみへの思いを語るシーンです。基本ポーカーフェイスの彼ですが、長澤まさみとの妄想を語るときの恥ずかしそうな顔と、思わず緩む唇を僕は見逃しませんでした。ごちそうさまという仕上がり。その時だけおお、3D!と思った気がしないでもありません。

まあなんやかんや言いましたが見て損はない映画だと思います。僕は「山田孝之のカンヌ映画祭」が好きだったので、ちょっとハードルが上がってしまっただけだし、それでもしっかりと楽しめたので。ペロペロペロ!!

スタッフの皆様おつかれさまです。

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