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「山田孝之3D」の触れない話

シーズン野田 シーズン野田


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山田孝之がカンヌ映画祭で賞を取るべく、自らプロデューサーとなり、山下敦弘監督で映画を製作する過程を追ったドキュメンタリードラマです。

芦田愛菜を親殺しにキャスティングするなど、なかなかくった内容でインパクトがありました。

この番組の中で山田孝之の存在は神がかっていました。

彼が思い描く今までになかった新しい映画の作り方がとても面白く、どんなにバカバカしくてもみんな真面目な顔をして山田の言ったことを真に受けながら、映画作りに励みます。殺人鬼役に芦田愛菜をキャストするなど、なかなかのアイデアマンで、おもわず笑ってしまうようなところが多々ありました。

終始彼は本物の映画を撮りたいと言います。

首吊りも火だるまも全裸も全てスタントを使わない。全てワンカットで本人が丸ごと全て演じる全て本気の姿を撮りたいと。

しかし、最終的に暴走する山田に周囲がついていけず、山下監督は逃げ出し、主演の芦田愛菜にも「山田さん、なにがやりたいんですか?」と咎められます。

 

製作は中断し山田は故郷に帰り、自分を見つめ直します。そして「とにかくやらなきゃと思い込みすぎてて全然楽くなかった」ということに気がつき、芦田愛菜を仲介に監督と仲直りします。そして、カンヌに関係なく面白い映画を作りたい。それは自分自身をまるごと映画にすることだと思いつきます。彼にとってそれが本物の映画だったということなのかもしれません。

そうして今作「山田孝之3D」にいきつくわけです。

今作の冒頭でいきなり芦田愛菜が登場し3Dメガネの着用を促すのもそういった経緯があるからです。番組を見た人に向けてるような感じもありつつ、別に見ていなくても楽しめる内容ではあります。

さて、このドキュメンタリードラマがどこまで本当か嘘かはわかりませんが、それを考えるのは野暮な気がします。そもそもそう思わせる作りになっているからです。カレーのルーが、どこまでが小麦でどこまでがガラムマサラなのかを考えても埒があかないのと一緒です。かつての「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」のオープニングのように明らかなボケではないけれど、スタンスとしては一緒だと思います。


出典:楽天ブックス/(C)「山田孝之のカンヌ映画祭」製作委員会

山田孝之に触れない話

さて、今作の「山田孝之3D」は、山田孝之がカメラと向き合い質問に答えていくというただそれだけの映画です。「本物の映画が撮りたい」の果てにたどり着いたのがこのインタビュー形式だったのかよ! と思いながらも楽しく見ることができました。

ただどこかAVの冒頭のインタビューのような気だるさがあり、それが延々と本番がやってくることもなく続くので、特に高揚感はありません。

せっかく3Dなのにどこか物足りなく感じてしまうのです。むしろ3Dだからこそ物足りなくなっている自分がいました。表現として3Dでどう見せてくれるのか?という期待をしすぎてしまったのかもしれません。正直、山田孝之の発するワードから連想されるモチーフがぽこぽこと山田孝之の周りに現れては消えるのですが、それが3Dになっているからなんだというのか?とつい疑問に思ってしまいました。それが想像の範囲を超えないもんだから、適当にセンス見せびらかしてるだけのような印象になってました。というか、「こういう3Dの使い方だったらやだな」と思っていた使い方でした。言語を超えない感覚がずっと続いて、これ本読めばよくない? という気分に途中からなってしまいました。

映画を見るとき、人はある程度「こんな映画かな?」というのを予想し期待します。そしてその予想に即しているのか反しているのか、期待に応えてる否かが、評価の分かれ目になるわけです。「山田孝之のカンヌ映画祭」が面白かったので期待値が高かったのかもしれません。しかも3Dだし。

いや面白いんですよ。飽きないし。ただ、一向にドラマを超えてくれないんです。ドラマの方でも登場した、漫☆画太郎の描いた彼の似顔絵が差し込まれたりして、インタビューの映像としては面白いんだけれど表現としての新しさをあまり感じなかったのです。途中で挿入されるアニメのイメージもどこかで見たような感じだし、終始「ふ〜ん・・・あ、ふ〜ん」という印象。


出典:映画ナタリー/(C)2017「山田孝之のカンヌ映画祭」製作委員会

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