オリジナルストーリーについて、空白とその繋ぎ目
ブリコラージュが施された場合、そのつなぎ合わされた部分、間の空白をどう埋める/糊付けするかが問題である。この部分がオリジナルストーリーということであるが、やはり賛否両論ある。
巷間言われているのが攻殻機動隊特有の重厚で濃厚で特厚な設定や説教臭い哲学が入っていないだったり、長々とした問答が入っていなかったり、なので内容が薄っぺらいなど、結構な言われようだが、これは仕方がないだろう。
濃厚かつ説教臭い哲学/出典:IMDb
仮に原作通りにやったとしたら、おそらく字幕の他に注釈を入れねばならず、注釈は画面全体に及び、果ては「右上に続く」とか矢印まで持ち出してスクリーンを文字が埋め尽くすことになってしまい、それはそれで士郎正宗リスペクトだし見てみたい気もするが、資金を出している側からすれば許されないことである。だがソフト化するならぜひオマケで付けて欲しい。その分値段が3倍になってもいい。
とはいえ、空白の間に不純物が混ざり込んでいるということはない。本作の入り口は非常に簡単に作ってあるし、話の内容も追いやすい。ストーリーも破綻しない。それゆえ娯楽作として気楽に楽しめるが、ヘビー級のファンにとっては物足りない気持ちを抱いてしまうのもよくわかる。
これに関しては、私もルパート・サンダースは両者にサービスし過ぎ、自分にも無意識的にサービスしてしまった結果、どっちつかずになってしまった印象を受けた。要は真摯に仕事をやり過ぎた、ということである。この手の扱いが今いちばん巧いのは、J・J・エイブラムスだろう。彼の撮る攻殻機動隊もいちど観てみたいものである。
空白をいちばん美しく埋めていたのはだれか
ルパート・サンダースが埋めた数ある空白のなかで、もっとも上手くいったシーンを挙げるとすれば、私は少佐がはじめて自分の本当の過去に出会う、あのシーンではないかと思う。
空白の切れ目を美しく糊づけた存在は、皮肉にも作中で最も義体化率が低い、おそらく生身であろう草薙素子の母(桃井かおり)である。
玄関から顔を出した瞬間の団地のババア感、もう何十年もそこに住んでいたかのような馴染みっぷりと、顔に刻まれた皺、目さばき手さばき足さばき。いちばん義体化率が低いはずなのに、まるで有線されているように心に訴えてくる「お母さん」の姿。桃井かおりの他に誰がこんな演技ができようか。
桃井かおり(a.k.aお母さん)が、それまでほとんど生身の人間が出てこなかった作中に繰り出すフックはとんでもない。彼女は作中で最も義体化率の高い、まばたきすらしない草薙素子と対をなす存在である。
不気味の谷の底で触れる、嘘くさいほど人間らしい暖かみは、桃井かおりだけでなく、他の義体化している登場人物すべてを引き立てる。