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いつまで傍観なの?「ヒトラーへの285枚の葉書」から何を思う

ゆきびっち ゆきびっち


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脳裏から離れない、アパートでの場面がある。ゲシュタポに見つかった隠れユダヤの老婦人は、彼らに密告したナチ党員の息子に話しかける場面だ。

「よくうちで遊んだわよね。リンゴのケーキを食べに来てくれたわ。大きくなったのね。体も立派になったわ」

その隣人の温かさに、私は覚えがあった。壁崩壊時に我が家に訪れた老夫妻は、日本から来た小さな兄妹を迎え入れ、必ず紅茶とクッキーを振舞ってくれた。私たちは学校から帰ると競うように、隣家に遊びに行ったものだ。劇中の老婦人の眼差しに、目頭が熱くなる。今ではもう会えない老婦人に会ったら、きっと同じような言葉をかけてくれるだろう。

隠れユダヤの老婦人は、どのような想いをのせてその言葉を贈ったのか。未来への祝福か、呪いか。

その後、老婦人はアパートから身を投げた。

Jeder stirbt für sich allein / Alone in Berlin

夫婦の行動は個人的な想いによるものであり、大儀を抱いて起こしたものではない。彼らが抱えていたのは、息子を殺された恨みから生まれた、正義ともいえぬ生々しい感情だ。

戦争を止めることも民衆を動かすこともできず、夫婦は捕えられ、処刑される。285枚ばらまいた手紙の内、267枚はゲシュタポの元に届けられ、大河に投じた小石は波紋を広げることはなく、川底へと消えた。現実に起こった事件だが、「現実」を見せつけられる映画であった。

21世紀、インターネットから世界に小石を投じれば、波をつくることもできる。シリアの少女は母と共に、日々爆撃される様子をツイッターで伝えている。

しかし、ベルリンの壁崩壊時でも傍観者であった私は、近隣国からのミサイルに脅かされ、思い出の地で難民問題が挙がる中、未だ傍観者であり続けている。

当時、ハンペル夫妻が手に入れられなかった、世界に通じる扉を開けることができても、そこに一石を投じる勇気を私は持ちえない。できることといえば、50年も前に己の意思を貫いた人を描いた映画について、日本語で伝えることくらいだ。

この映画に入り込んだとしたら、私はどこにいるのだろうか。
おそらく登場人物にもなれず、ひっそりと大衆の中に紛れているだろう。

ただ、せめてゲシュタポに届かなかった夫妻の葉書、18枚の内の1枚を手にする一人にはなりたい。

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出典:「ヒトラーへの285枚の葉書」オフィシャルfacebook

映画「ヒトラーへの285枚の葉書」公式サイト

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