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アニメ映画化で再ブーム! 原作『夜は短し歩けよ乙女』の読みどころ!

神えみし 神えみし


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哀愁人間の本質を描いている

映画やアニメは放送尺が決まっており、当然その限られた時間までに物語を完結させなくてはない。そうなれば、監督が入れたかったシーンやセリフも、大人の都合で泣く泣く削らなくてはならない。

一方で小説には時間的制限がない。だから、作者は自由に自分が書きたいことを書ける。映画やアニメと違い、登場人物の心情や物語の展開をとことん深く掘り下げていくことだって出来る。

小説『夜は短し歩けよ乙女』では、男女2人の主人公の心情が事細かく書かれている。女主人公である黒髪の乙女が好奇心の赴くままに京都の町を歩き、オモチロイ体験をしている一方で、男主人公である阿呆学生は不毛な出来事に身を投じて奮闘しているのだが、その時、阿呆学生は何を考えていたのか、小説ではそういった部分がアニメ映画版より密度が濃く描かれている。

その効果もあってか、男主人公は客観的に見ると完全に阿呆な大学生そのものなのだが、心情を考えるとなんて繊細なバカな奴なんだと感情移入してしまう。“感情移入してしまう”とは小説の中の人物に共感しているということなのだが、まさにその通りである。森見登美彦が作り出すキャラクターは、どいつもこいつも風変わりな者ばかり。だが実は、人間誰しもが持っている見栄や建前の後ろに隠れている弱い心、本音を持っているのだ。

男主人公の友人ある、大学の学園祭実行委員長を務める男。この実行委員長は、周囲の学生に冷ややかな目で見られようとも、学園祭の風紀を守るため己の感情を制してまで役割をまっとうしようとする。だが、最後の最後で本音がポロリと溢れる。小説版にのみ描かれた実行委員長の思いの叫びを、最後は引用して終わりたいと思う。

 「僕たちもね!ただ闇雲にアレをやっちゃいかん、コレをやっちゃいかんと言っているわけではないんだよ!僕たちがこんなに口喧しいのも、何かというと暴れたがる人たちの青春を、なんとか現実へ軟着陸させるためじゃないか。この学園祭を無事大団円へ持ち込むためにやっているんじゃないか。それなのに、なんだ!誰一人として、誰一人として、誉めてくれやしない!なんという損な役回りだ!どいつもこいつも好き放題!盗んだバイクで走り出したあの日のように、行きつく先も分からぬまま、走っていけると思っているのか!」
彼は拳を突き上げ叫んだ。
「ああ、ちくしょう!羨ましい!僕もそっちの仲間に入りたい!」
森見登美彦(2006年)『夜は短し歩けよ乙女』角川書店

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