「丼」の中に秘められた、富士そばからのメッセージ
勘のよい方は写真を一瞥してお気づきかと思うが、皿に盛られたカレーとカツは、カレーカツ「丼」ではない。「カツカレーと被ってしまうからカレーカツ丼と名付けた」と考えるのはいささか牧歌的に過ぎると思う。思考停止してはいけない。そこには何かしらのメッセージがあるはずである。
そもそも、丼とは、井戸の中に落ちたものが水面にぶつかった際に発する音に由来しているという説がある。とすれば、カレーという井戸の中に鶏卵で閉じた豚カツを投げ込んだその音を「丼」と表現している可能性が考えられる。カレーの上にカツを「ドン」とドロップする。なんとも潔く、小気味良い、それでいて重厚な響きであろうか。思わず陶酔してしまう。
さらに、本来の「丼(どんぶり)」という使い方ではなく、「井」がカレーで真ん中の「、」がカツだとすれば、まさに井戸だけにイド、エスであるのでは? という驚きの仮説が立ち上がる。これはもちろん洒落ではない。カレーカツ丼が食べたい感情、欲求、衝動、そしてカレーカツ丼でハイになった過去の経験を「丼」の中に文字通り閉じ込めたとすれば、富士そばの奥深さは世の中に存在するどんな井戸よりも深い。
これらはあくまで推測の域を出ないが「もしかしたら・・・」と思わせてくれるのが、富士そばの懐の深さなのである。