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「トレイン・スポッティング」とは、僕たちにとって何だったのか

加藤広大 加藤広大


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トレイン・スポッティングは僕たちにとって何だったのか

僕たちと書いてしまって恐縮だが、ごく個人的なことを言えば「トレイン・スポッティング」は音楽であり、ファッションであり、生き方であり、黒歴史量産誘発作品であり、もちろん映画だった。つまり、ひとつのカルチャーだった。

それは雰囲気と言い換えてもいい。僕たちの世代は、観た時点の年齢にアドバンテージがあった。映画の中の曇り空のような気分の、鬱屈した10代で観るのと、色んな意味で悶々とした30代で観るのは大きく違う。

事実、今回見直して「レントン親の脛齧りじゃねーかよ!」とか「お前がビデオ盗まなきゃトミーはさぁ・・・」とか、「あ、こいつら全員悪人だわ・・・」とか、突っ込みながら鑑賞してしまった。それは選べた(何も選んでいない)年齢で観たのか、選んできた年齢で観たのかの違いだ。

あれから20年、レントンたちはもちろんだけど、僕も大人になった。気がつけばもう30代も半ばに差し掛かろうとしている。

人生の節目節目で、頭の中で呪文のように繰り返されてきた「Choose Life. Choose a job. Choose a career…」僕はこの映画を観てから20年、いろんなことを選んだり、選ばなかったりしながら、いつの間にか歳をとっていた。

「トレイン・スポッティング」の冒頭、そしてエンディングにおけるレントンのポエトリーリーディングは、20年後に戻ってくるまでの、僕たちに課せられた宿題だったように思う。「何を選んだ? 何を選ばなかった?」と。

来年、久しぶりにスクリーンの中で出会う彼に、もう一度問いかけられたその時、僕たちはなんて答えられるだろうか。

Reference:YouTube

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