• MV_1120x330
  • MV_1120x330

卒業ソングはベタが良い。卒業経験者必見のド定番『卒業ソング』特集

加藤広大 加藤広大


LoadingMY CLIP

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

gradu

卒業ソング特集。ベタですよね。私もそう思いますが、こういうのは縁起物ですので、やった方がいいんじゃねえかと自分を騙しながらこれを書いているのですが、とにかく、学校、職場問わず、少年時代、少女時代、童貞、処女、そしてこの支配からの卒業。人生は卒業の連続です。

人間30も過ぎると残る卒業は人生くらいのものですが、いわゆる「卒業ソング」を聴くと学生時代を思い出したり、懐かしい香りがふと鼻をかすめたりと、ふわふわとした思い出に包まれ、もう青春が2度と戻らないという現実に鬱になり、人は悪心に満ちはじめ、アルコールでこれを紛らわせようとするものの、飲み過ぎた挙句バッドに突入しカウンターに頭突き、店を出たら朝日の明るさに眼が潰れ、その場に卒倒しそうになりながら千鳥足で帰宅し、起床後は安定の2日酔いで激しい頭痛に襲われ、1日が潰れる場合も多々あるわけですが、それでも、「ああ、懐かしいなあ、おれもこんな若いころがあったなあ、そういえばあの娘、元気かなあ」としみじみ感じ入りながら、懐かしくも切ない気持ちになり、年甲斐もなく心がキュッと締め付けられる。というのもまた音楽の力です。

今回は冒頭に申し上げましたとおり、ベタな卒業ソングを季節柄久しぶりに聴いて青春時代を思い出し、良い思い出も嫌な思い出も、仲が良かったはずなのに今はとんと会わなくなった同級生や、刺したいほど憎かった奴、昔の彼女や彼氏、長かった校長の話、誰も突っ込めなかった理科教師のカツラ疑惑などを想起しながら、ノスタルジーに浸ろうという主に卒業経験者に向けての原稿となります。

教師や親よりも土に多大なリスペクトを捧げる『大地讃頌』

育ての親、教師、そして共に学んだ友人以上に、土に対して感謝しまくる『大地讃頌』は、まさに卒業ソングの定番と言えるでしょう。音楽室や教室で練習した思い出が大地の鼓動と共に蘇ります。

Reference:YouTube

私ももちろん卒業式で歌いましたが、母校では間奏の場面で唐突に語りが入り、卒業生や在校生との掛け合いがこんな具合に行われました。同じ経験をした方も多いのではないでしょうか。

(間奏部分)
皆で行った、修学旅行!

_人人人人人人人人人人人人_
> 皆で行った修学旅行! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

お世話になった

_人人人人人人_
> 先生方! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄

このように担当の学生がまずソロでリスペクトし、間の手として全員で懐かしい思い出を復唱したり、最大限の感謝が綴られます。この間奏部分がまた語りを入れるのにちょうど良く、卒業気分が大いに盛り上がり、男子学生の第2ボタンが弾け飛ぶほど会場は感動と熱気に包まれます。

この辺りになってふと横を見ると、普段は硬派で通していた不良も、気付けば鼻水を垂らしながら号泣しています。音楽、合唱、そして思い出の力を見せ付けられる瞬間です。

そんな『大地讃頌』ですが、実はこれ、この曲だけで存在しているのではありません。『土の歌』という7楽章からなるカンタータの最終楽章で、1962年に佐藤眞によって作曲されました。

では『大地讃頌』以外の楽章はどんなものかというと

第1楽章「農夫と土」(土への感謝、そして農夫の一日が描かれる)

第2楽章「祖国の土」(人は土に生まれそして土に還るという描写)

第3楽章「死の灰」(広島、長崎の原爆、人間と科学の汚さが描かれている)

第4楽章「もぐらもち」(もぐらに例えて人間を皮肉る)

第5楽章「天地の怒り」(自然災害は人間への罰なのではないかなど、天災と人間悪について描かれる)

第6楽章「地上の祈り」(大地への想い、そして反戦の祈りを込めた楽章)

このように卒業どころではない無茶苦茶壮大なテーマ性を持って信仰、もとい進行していきます。そして最終楽章『大地讃頌』では、大地への多大なる感謝を以ってフィナーレを迎えます。

要約すると、人は愚かな争いをやめて、大地を愛し、大地と共に生きよう、木も草も大地から栄養をもらって育ち、青々とした葉をたたえているんだよ。で、その草木を食べる生き物もいれば、さらにその生き物を食べる動物もいるわけで、つまり大地はすべての生命の根源だったんだよ!

_人人人人人人人人人人人_
> 根源だったんだよ! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

ということなのですが、3.11以降、放射能や何やらで再び日本の大地が汚染されてしまったのを見るにつけ、昭和30年代に生まれ歌い継がれたこの曲が、昨今また重要な意味を持ってしまったのはなんともはや、感慨深いものがあります。

ところで、「大地と共に生きよう」というスローガンは、映画『天空の城ラピュタ』に登場する空から墜ちてくる系女子の筆頭である、リュシータ・トエル・ウル・ラピュタの台詞を思い出させます。

「今、ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。ゴンドアの谷の詩にあるもの。

 土に根を下ろし 風と共に生きよう
 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう

 どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、
 土から離れては生きられないのよ」

_人人人人人人_
> バルス! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄

思い起こせば『天空の城ラピュタ』も、1人の少年が少女と出会い、時には蛮族に追われ時には買収され、散々な目に遭いながらも、最後は1人の漢として少年を卒業するというお話でした。もしかしたら、この映画にも根底には大地讃頌というテーマがあったのやもしれません。

思い出が脳内スライドショーをはじめる『卒業写真』

1曲目で既にやたら長くなってしまいました。2曲目以降はさらっと説明していきたいと思います。卒業ソングの代表曲、日本で一番カヴァーされている曲のひとつでもあり、タイトルの半分を割いて「卒業」と大々的に銘打った荒井由実の代表曲、『卒業写真』です。

若い方には「コブクロ」の『卒業写真』と言った方が通りが良いかも知れません。他にも岩崎宏美、伊東ゆかり、浜崎あゆみ、徳永英明、今井美樹など、先述したように多くのアーティストにカヴァーされていますが、私の一番好きなバージョンは、やはりこの曲が出た1975年にデビューシングルとしてこの曲を発売した「ハイ・ファイ・セット」のバージョンです。が、丁度作詞作曲者である荒井由実とハイ・ファイ・セットが共演した映像がありましたので、こちらを添付させていただきます。

Reference:YouTube

日本人なら誰でも聞き覚えがあるであろうユーミンの歌声で幕を開け、途中から山本潤子のまさに「透明」という言葉が似合うウルトラ純粋ボイスが空間を彩り、一瞬、先程まで歌っていたユーミンを無かった程にするパフォーマンスが観られますが、1度で2度美味しい映像となっておりますのでぜひご視聴のほどを。

この『卒業写真』なのですが、歌詞をよくよく聴くと卒業式、または卒業シーズンの歌じゃないんですね。

街でみかけたとき 何も言えなかった
卒業写真の面影がそのままだったから
話しかけるように揺れる柳の下を
通った道さえ 今はもう電車から見るだけ
人混みに流されて変わってゆく私を
あなたはときどき遠くでしかって
引用:松任谷由実『卒業写真』

ご覧の通り、卒業後ある程度経った時の心境を歌っています。街で見かけた同級生に話しかけられなかった、今はもう通らない通学路を遠くから眺める、そして社会、人混みに流されて変わってゆく私、実際私は人混みに流されて人間性が変わりました。これがまた憎いほど心当たりのある歌詞ではないですか。

学生時代を過ぎても昔を懐かしめる曲、その題材として用いられた“卒業写真”は、聴いているうちに無意識に頭のなかで、懐かしい写真を想起させます。もちろんその写真は撮影したものではないのですが、頭のなかで、白黒、カラー、時にはセピア色で繰り広げられる思い出のスライドショーは、時代を経ても多くの人に共感をもたらす、歌の中に巧みに仕掛けられた記憶の再生装置なのではないでしょうか。

見出しだけで説明完了。尾崎豊の『卒業』

あの、もう見出しだけで終わってもいいでしょうか? とお伺いを立てたくなるほどに卒業ソングのド定番中のド定番、尾崎豊の『卒業』です。一体この時期、どれくらいのメディアでどれほど尾崎豊の『卒業』という文字が踊るのかは分かりませんが、『卒業』『15の夜』以外にも尾崎豊は名曲揃いなので、皆さん全部聴いてください。

Reference:YouTube

もう私が説明することなんて何も残っていないのですが、この曲は尾崎豊の4枚目のシングルとして1985年1月21日に発売されました。

その「一部の過激な歌詞から〜」と言われ、「不良の歌」なんてレッテルを貼られることもあるようですが、よく思い出してみてください。『卒業』の歌い出しの歌詞はこうです。

校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
引用:尾崎豊『卒業』

こんな1行、きっと誰にも書けません。いや、佐野元春が書けるかもしれませんが、とにかくたった3つの言葉でそこはもう学校、きっと陽気の良い日に2時間目から登校して教室にも行かずに既にサボって寝っ転がってタバコをふかしてるんですよ。トランジスタラジオを内ポケットにいれて、若干アーティストが違いましたすみません。

この歌詞からちゃんと聴いていれば、「窓ガラスを壊してまわった」なんて言っていないことが解るはずです。いや、言ってますけど、でも決して尾崎豊は言ってないんです。人それぞれに違った“校舎の窓ガラス”があるんです。

尾崎豊の『卒業』は、人生のどのタイミングでも、登場人物や場所を置き換えて考えてみればいつでも私たちに問いかけます。どうしたらいい? どうするべき? 我慢するべき? ぜんぶぶちまけるべき? 今割るべき窓ガラスは何だ?

尾崎豊はきっと「学校」というマクガフィンを用いて様々な人生の、いつかしなければならない「卒業」を描き出したのだと思います。まさに「タイトルに偽りなし」人生の節目節目で、生涯を通して聴くべき卒業ソングの代表格にして唯一の存在感を放つ名作です。

卒業ソングはベタが一番。

定番中の定番、誰しもが知っている曲をツラツラとご紹介してしまいましたが、そもそも卒業ソングなんてベタでいいんですよ。皆が知っていて、愛されていて、誰しもが何かを思い出したり、ノスタルジーに浸れる曲なんてそうはありません。時代の摩擦に耐えて、何十年も残る曲はすべて名曲なのです。

久しぶりに卒業ソングをいろいろ聴いていたので、いろんなことを思い出してしまいました。今夜は、もう二度と戻らない青春に鬱になり、アルコールでこれを紛らわせ、飲み過ぎた挙句更にバッドに突入しカウンターに頭突き、店を出たら朝日の明るさに眼が潰れ、その場に卒倒しそうになりながら千鳥足で帰宅し、起床後は安定の2日酔いで激しい頭痛に苛まれ、明日1日を無為に過ごして仕事という支配から卒業しようと思います。それではまた。

街角のクリエイティブ ロゴ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

TOP