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なぜ僕らはCampusノートを使うのか(後編)

原田真帆 原田真帆


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「ドット入り罫線」革命

2008年に発売されたCampusは、そうした「小さな変化」からすると「大革命」だった。なんせすべての罫線にドットが入っているのだ。

これはこの年に発売された『東大合格生のノートはかならず美しい(太田あや著・文藝春秋)』という本にインスパイアされたコラボ商品だったと記憶している。すぐに買って試したところ、ドットのあるなしでノートの見映えは大違いだった。

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左がドット入り罫線、右が普通罫線。左の方が文字の揃い方が格段にきれいだ

縦が揃うととりわけ気持ち良かったのが、歴史のノート。授業が終わって見返した時に、見惚れるほどきれいに書けてびっくりした。そして、前出の本によれば、東大生のノートはこれくらい美しいというのだ。では、ドット入り罫線で勉強すれば、必ず成績が伸びるのだろうか?

成績との関係は?

もちろんドットだけで成績が変わるわけではない。勉強の量と質の問題、という前提は当然踏まえた上で個人的感想を述べれば、ドットで成績が伸びた実感はなかった。なぜならわたしは「ドット」を目安に「きれいにノートを書くこと」を目的としてしまったからだ。

きれいに書けたノートは、その内容を頭の中でも整理して記憶することができる。しかし、あまりに「きれいに書くこと」に注力してしまうと、肝心の内容の定着は二の次になってしまうのだ。色使いがきれいなノート作りでは成績が伸びないのも同じ理由だ。だから学習塾関係者の間では『頭が良い人のノートは黒1色、使っても赤くらい』というのが定説である。

その点、ドット入り罫線は「意識しなくてもきれいに書けること」が強み。ドットがない罫線では自分で考えなければいけない全体のバランスや段落の位置を定める作業を、担ってくれるのがドットの役割であり、存在意義だ。

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左が通常罫線、右がドット入り。わたしの数字はドットを持て余している

自分できれいに書けるタイプの人には、かえってドットは邪魔かもしれない。あるいはドットと自分の相性もある。わたしのノートを見ると、自分の文字幅よりドットが広いためこの場合はドット効果がうまく出ていないのが分かる。

近年ではドット入り罫線はさらに進化し、文字の上にルビのスペースが取られた文系科目用の文章罫、行間にもさらにドットが配置された理数科目用の図表罫も販売されていて、行間サイズもA罫B罫など数種類ずつある。自分に合ったノートを選ぶことが、「成績アップ」に役立つに違いない。

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左がCampusで右が他社製品

書き味も自分の筆圧と合うものを使うべきではないか。わたしは黒鉛の乗り具合においても、他社ノートと比較してCampusがもっとも書きやすいと感じた。2Bの鉛筆が好きなので、Campusの紙のキメの細やかさがないと、文字がまだらになってしまうのだ。このキメ細やかさのクオリティにおいて、Campusは他の大学ノートを圧倒している。これこそ、わたしが1冊に¥160を出す理由である。

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