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『デヴィッド・ボウイ』という演劇の終わり

加藤広大 加藤広大


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余談ですが、デヴィッド・ボウイの死に様は、かつて自身の“死をデザイン”した、ティモシー・リアリーを彷彿とさせます。リアリーは、自分の死をネット上で全世界生中継しようとしていました。

もしかしたらチベット仏教にハマったり、ビート文学(カット・アップもしてますし)が好きだった彼のことです、実際にティモシー・リアリーや『チベット死者の書』からヒントを得ていてもおかしくはありません。

その、数々のキャラクターを創り上げ、演じ、脱却することを繰り返したデヴィッド・ボウイが、人生の最期に脱却した『デヴィッド・ボウイ』に関してもう少しお話すると、彼は1960年代、英国のダンサー、俳優であるリンゼイ・ケンプの元でコンメディア・デッラルテを学んでいます。

コンメディア・デッラルテとは、簡単にいうと「ストックキャラクター」という、架空の人格を用いて即興演技でおこなう風刺演劇のことで、各ストックキャラクターは、ステレオタイプな人格を誇張して表現されます。たとえばイル・カピターノというストックキャラクターは、軍隊上がりで戦争での手柄を自慢しており、人々に尊敬されてはいるものの実は手柄は自分ではなく他人が立てたもので臆病者である、というキャラクター付けがされます。落語で言うなら熊さん八っぁんのようなものでしょうか。「よくいる人」、「◯◯あるある」を解りやすく、大げさに表現する感じですね。

落語と言えば、訃報を聴く数日前、立川談志が演った『芝浜』という落語を視聴していたのですが、『芝浜』のサゲ(オチ)は、「よそう、また夢になるといけねえ」と言ってお酒を飲まずに終わります。そこで、「これ、芝浜の逆で、酒呑んだら夢になるんじゃねえか」と思って昨日は結構飲んだのですが、どうやらこの「巨星墜つ」というニュースは夢ではなかったようです。

それはさておき、このコンメディア・デッラルテをヒントに、デヴィッド・ボウイはアルバム『ジギー・スターダスト』に登場するジギーに代表される架空の人格を創り上げ、それを演じました。先述した、ジギー、そしてシン・ホワイト・デュークのような、後のミュージシャンがこぞって真似、影響を受けるほどのストックキャラクターを創り上げ、そして最後はデヴィッド・ボウイというストックキャラクターを遺して逝く、というのは、最期の最期までデヴィッド・ボウイらしく、超一級品の、ある意味質の悪い冗談だなと、文句のひとつも言ってやりたくなります。そして、それを死の間際、しかも闘病の最中にできるというのは死に対する最高の皮肉です。『Lasarus』でも、こう繰り返し歌われています。

「Ain’t that just like me?(俺らしいだろ?)」

さて、かくして『デヴィッド・ボウイ』を演じきったデヴィッド・ロバート・ヘイワード=ジョーンズが、『デヴィッド・ボウイ』というひとつの演劇に幕を降ろしたことにより、その音楽性や人格のミームは、きっと今、以前より強く世界中に拡散し始めています。また、新しくデヴィッド・ボウイに影響を受けたバンドや、何がしかのスタイルが発生することでしょう。これこそが彼が最期に仕掛けた“再臨”なのではないでしょうか。

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