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【5分で分かる】今さら人に聞けない「アデル」の全て

加藤広大 加藤広大


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アデルの個性を揶揄することに対しての危険性

さて、往年の名女性シンガー・ソングライターと肩を並べたと言いましたが、前述したアレサ・フランクリンのように、アデルと言えばそのアルバムの売上枚数に比例して、どんどん体重が増加していくことで知られています。現在、売れている女性シンガー、例えばテイラー・スウィフトやケイティ・ペリーなどは、いわゆるモデル体型ですが、アデルは若干27歳という若さながらその恰幅のおかげで、すでに肝っ玉母ちゃんほどの堂々たる存在感を漂わせています。

Googleで検索してみてもサジェストで「アデル 太りすぎ」などと出て、ニュースサイトやブログなどでも、「いくらなんでもちょっと太りすぎなのではないか?」と揶揄されていますが、これはまったくの見当違いです。むしろ、アデルのような曲を歌う女性シンガーは、太っているのが正しい姿なのです。

彼女が影響を受けたと語るエタ・ジェイムスや見るたびに太っていくアレサ・フランクリンなど、往年の女性シンガーを見ればそれは明らかです。古来より、手料理(特に豆料理)が得意そうな太ったおばちゃんは歌が上手いと相場が決まっています(当社比)。

しかし私はてっきり、「アデルはわざと太って往年の女性シンガーを彷彿とさせている」と考えていたのですが、よく調べたら本人は、インタビューなどで

「そりゃわたしだって体型について悩むことはあるわよ」

と答えています。完全に勘違いしていました。しかし、太っていても痩せていても、アデルの歌声が持つ魅力は何ら変わりません。むしろ人間の声も楽器と考えるならば、身体を通って出てくる声は必ずプロポーションの影響をうける筈です。ので、太っていたほうが彼女の曲に合っているとさえ言えます。それに、太っている彼女は最高にチャーミングです。

それにしても、太っている人に向かって「太っている」というのは、フィル・コリンズに「ハゲ」というのと同様に、メディアもファンも些か捻りが無さすぎなのではないでしょうか。そんなわけで、

「周りなんて気にしないでもっと太ってくれ、そしてもっともっと歌声に重力みたいなものを乗せてくれ。だからアデルよ太れ、もっと!」

とか書いて、結びにしようと思っていたのですが、念のため最近の彼女を調べたら、アデル、すっかり激ヤセしていました。オチが使えなくなった以上にショックです。

『ローリングストーン』誌のインタビューによれば、痩せたのは“紅茶に砂糖を入れるのを辞めた結果”だそうです。お茶目に答えてくれてはいますが、これはもしかしたら英国流の皮肉かもしれません。イギリス人に紅茶の飲み方を変えさせるほどのことをした責任は、もはや当事者だけでなく、全人類で背負わなければいけないでしょう。

それをまた「痩せたー! カワイイー!」とか“アデル激ヤセ、新PVで魅せた美しきその姿”なんていうのも散見されまして、歌より体型の方が話題になるシンガーの心中やいかに。という感想ですが、このような、太っている痩せている問題のみならず、一方を悪い一方を良いとしてしまう風潮は、画一化された駄菓子みたいなものしか産みません。そして、そういった本質とは離れた、誰かを傷つけることを目的とした指摘、またそれを楽しむ野次馬が増えるという状態は、今後、アデルのようなミュージシャンや音楽は生まれて来なくなってしまう危険性をはらんでいます。

もちろん、これはテイラー・スウィフトやレディ・ガガでも代入できますし、一般人にも当てはまります。とにかく世の中色んな姿形、考えの人が存在している方が健康的ですし文化的です。

もっともアデル本人は、そうした失礼なインタビューなどで非常にウィットに富んだ“大人の”返しをしていますので、そういった“やりあい”もひとつのエンターテイメントと捉えればまた別物なのかも知れませんが、2016年以降もたくさんの個性が生まれ、それが許容される音楽業界、ひいては世の中であって欲しいものです。

何かにつけて世知辛い今の世の中、我々は一致団結して紅茶に砂糖を放り込み、アデルを痩せさせない世界を目指していくべきなのかもしれません。

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