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【トム・ウェイツ】トラバーツの憂鬱と、孤独との付き合い方

加藤広大 加藤広大


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天の川銀河のオリオン腕あたり、太陽系のド田舎に地球という惑星があります。その中の割とデカイ大陸、アメリカ合衆国というところに、トム・ウェイツというシンガーソングライターが住んでいます。

彼の産まれはイエローキャブの後部座席、髭面から出た産声は、
「運ちゃん、タイムズスクエアまでやってくんな!」
左の耳からアイルランド民謡、右の耳から賛美歌を頭蓋骨で列車の振動を聴きながら育ち、車に飛び乗り知らない街へ、これまた地球の何処かにある場末のバーの片隅で、ジャック・ケルアックという常連がいつも座っていた席に腰掛け与太話をしたところこれが大ウケ。一躍酒場の顔になり、最新型フォードであっちこっちの酒場に行っては時々ホラを吹きながら酒場の幽霊のように片隅に座り、酔っ払いを観察し見聞きした話を紡ぎ、ボキャブラリーという名のフィルターに通して歌という名の瓦版を制作し続ける偉大なる酔いどれ詩人、トム・ウェイツは、1976年に「small change」というレコードを制作します。

トム・ウェイツはそのアルバムの1曲目「Tom Traubert’s Blues(Four Sheets to the Wind in Copenhagen)」の中で、言葉も通じない異国の地で、故郷に帰りたくても帰れない、行き場を失った人物、トラバーツを軸に、疲れ果てた夜の街を見事に描き出しました。

Reference:YouTube

「Tom Traubert’s Blues」は、舞台の緞帳がゆっくりと開くようにジェリー・イースターがアレンジした素晴らしいストリングスを響かせながら始まり、うらぶれた夜の風景が歌い出されます。

傷つき疲れ果てたけど、別に月のせいってわけじゃないぜ
これまでのツケが回ってきただけさ
また明日な、おい、ちょっとフランク、金貸してくれないか
小銭でいいからよ
行こうぜ、ここじゃないどこかへさ
なあ、おい

月が出る夜、トラバーツがフランクという人物に金をせびります。トム・ウェイツが発する喉の粘膜を連式蒸留したようなしゃがれ声は、夜に皺をひとつひとつ刻んでいくようにやさぐれたトラバーツの姿を映し出していきます。ちなみに、フランクという人物はトム・ウェイツの父の名前でもあり、後の「フランク三部作」にて彼の物語が描かれていますが、これはまた別の機会にご紹介できればと思います。

おれは路地裏に迷いこんじまった間抜けなカモ
ここら辺の野郎ときたら、言葉はてんで通じないし、まともなモンはありゃしない
おまけに、俺の大事なステイシーもびしょ濡れ
マチルダと踊りながら
おれと一緒に行こうぜ

舞台は酒場から路地裏に移ります。酔っ払ったトラバーツは迷い込んだ路地裏で、遠い異国の地で自分が街の異物であること、孤独の真っ只中にあることを痛感します。そういえば、酔っ払ってしまった結果、ここがどこだか分からないという人は私たちの周りにもよくいますね。夜中に都会を歩き回ってみれば、郵便ポストに向かって土下座をしている人や、電柱に説教をしている酔っ払いがいますが、これは自分がど何処いて何をしているのかが分かっていないという典型です。

歌詞の中に出てくる「ステイシー」とは「ステイシー・アダムス」という1875年に創業されたアメリカの老舗靴メーカーの名前で、そのシャープなシルエットの美しさからさまざまなジャズ・ミュージシャンたちが愛用していたことで知られています。トム・ウェイツ自身も英国NMEのインタビューにて、ステイシー・アダムスのラットスティッカーというモデルを履いていると語っています。
 

さて、この曲の中で大きな意味を占めるのが今後歌詞の中に頻出する「マチルダとワルツを踊りながら」という言葉です。

「マチルダとワルツを踊る(Walting Mazilda)」というのは、そもそも1985年にバンジョー・パターソンが同名曲に歌詞を付けた歌で、その明るい曲調とは裏腹に、歌詞はズダ袋を担いで旅をする陽気な放浪者が羊を盗み、騎馬警官にばれないように沼に飛び込み死んでしまうという話で、その男が死んだ後もその沼ではたびたび
「Who’ll come a walzing Matilda with me? (誰か俺と一緒に放浪するやつはいないか)」
と聞こえてくるらしい。という内容になっています。
 

では、マチルダとは一体何なのか。1851年頃からこの歌が生まれたオーストラリアは、ゴールドラッシュに湧いていました。一攫千金を狙いに来た放浪者(移民)は、ズダ袋に旅の道具を入れていたそうです。その袋(毛布という説もあります)を女性と見立てて表す言葉が「マチルダ」と言われ「袋を担ぎながら旅するということ=マチルダと踊る(放浪する)」という言葉で表現され、これをトム・ウェイツが歌詞の中で引用したとされているのです。歌詞の舞台は原曲と違い街中ですが、見知らぬ土地で、孤独な酔っ払いは千鳥足で街中を放浪(マチルダと踊る)します。

歌は続き、野良犬が吠え違法駐車されたタクシーの情景が描写される中、トム・ウェイツは酔っ払いががなり立てるように喉を絞り込んで歌います。

ひと思いに刺し殺してくれっておまえに頼んだら
マジでシャツを切り裂きやがった
だからやめてくれってひざまずいたんだ
オールド・ブッシュミルズをあおり、おれはただの酔っ払い

いきなりの男女問題に発展しましたが、これは彼が実際に見聞きした出来ごとを書いているようです。当時のプロデューサーであるボーンズ・ハウは、トム・ウェイツから電話で
「この曲を書く時にテンションを上げるために、ドヤまで出かけて行ってウィスキーを1パイント買い、その場でドヤの住人と話しながら飲み干し、家に帰るなりゲロを吐いて書き始めた」
と聞いたと語っています。そして最後にトム・ウェイツはこう付け加えたそうです。

「ドヤで暮らす野郎は少なくとも俺が話をしたやつはみんな、女が原因で流れてきたんだって」

結局、刺し殺されることはなかったトラバーツ、彼が見る夜の街に現れる登場人物は数を増していきます。

片腕の悪党、一匹狼の中国人、仕事がハネたストリッパー、殺人犯を追う警察の包囲網、想い出を売る亡霊たち、鍵を盗まれた看守、水夫。誰も彼もみんなマチルダと踊っていると、トム・ウェイツは歌います。そして

車椅子の老人はもう知ってるのさ
マチルダが被告人だってこと
100人くらい殺したこともあるのさ
彼女はおまえの行くところにどこへでもついてくる

と、ここでマチルダを殺人犯に見立てます。あくまで個人的な解釈ですが、ここからマチルダは放浪と合わせて、孤独という意味もより強くなりはじめます。老い先短い高齢者は誰しも死ぬ間際にマチルダ(孤独)が寄り添っていることを知っていて、誰の元にも、どこへ行こうともマチルダはついて来るということなのでしょう。そして歌は、やる気のない太陽がなかなか昇らない朝方のように、クライマックスへとゆっくり進みます。

香水の残り香がする着古したシャツ
あちこち血とウィスキーの染みだらけ
掃除のおじさんもおやすみ
夜勤の警備員も、火の番をしているおとっつぁん
そして、マチルダにもおやすみ

「だからさ、みんなおやすみよ」というトム・ウェイツの朝靄を包むような歌声が、景色に静寂をもたらし、ストリングスがフェイドアウトしながら微かな余韻を残して、6分39秒の短編映画のような曲は終わりを迎えます。

繰り返される「マチルダと踊る」という歌詞を通して、通奏低音のように響いているのは「都会の孤独」というモチーフです。そして、その孤独とは、すべての人間が生きている間に払い続けなければならないツケのようなものなのです。

トラバーツは言葉が通じない異国でわずかな金で酒を飲み、酔っ払って自分が何処にいるのかすら分からずに、夜の街を放浪しながら酔って霞む眼で他者を観察します。
「マチルダと踊りながら、誰か一緒に行かないか」
と声をかけても、誰も一緒には来てくれません。昔のことを思い出して孤独を紛らわせ、寝かしつけ、自分もウィスキーの瓶を抱いて眠ります。そしてまた、次の日もひとりぼっちでマチルダと踊り続けることになるのでしょう。
 

孤独というものは、SNS等ですぐに他者と繋がっているような感覚を持てる現在ではなかなか顔を出しませんが、酔っ払った時や大勢の中に居る時のふとした瞬間、そして夜の街の断片に時折くっきりと浮かび上がります。街中であれ、会社であれ、飲み会の席であれ、誰でも一度くらいはふと「おれ、こんなところで一体何してるんだろう、なんでこんなに皆楽しそうにしているんだろう」と思い、何だか心が締め付けられる経験をしたことがあるのではないでしょうか? 

片腕の悪党も、一匹狼の中国人も、仕事がハネたストリッパーも、職場の同僚も、上司も、仲の良い友達も、恋人も、街ですれ違う人も、親兄弟でさえも、すべての人間には、常に孤独がぴったりと背中に張り付いているのです。

宇宙のド田舎、太陽系にある地球という惑星のどこかで、トム・ウェイツは猫背でピアノに向かいながら、長年ブッカーズでうがいをし続けたようなしゃがれ声で「トラバーツの憂鬱」を歌います。それはまるで
「気を付けな。おれもあんたも、マチルダとは切っても切れない縁なのさ。だから、せいぜい上手く付き合っていくんだな」
と、トラバーツの視点を通してトム・ウェイツが語る、教訓も終わりもない都会のおとぎ話のようです。しかし、教訓はないにせよ、孤独に対しての警告はしてくれているように思えます。

他人の孤独な姿であれば、この歌のように映画を見ているがごとく情緒たっぷりに安全圏から楽しめますが、ふと生活の中で自分が本質的に孤独であると気付いてしまった時に、人は戦慄します。今風に言えば震えます。しかし、それを受け止めて孤独と上手く付き合えるようになってこそ、人は「お前も孤独なんだな」と共感し、芯から誰かに優しくできるのではないでしょうか。

ちなみに、私は基本的に家でひとり仕事をしているので、夜になったら寂しくて飲みに出掛けてしまいます。そのため孤独と相対できず全く人に優しくできませんし、ついでに手も震えています。

最近では孤独死、孤食などという言葉も良く聞かれ、マイナスイメージの強い孤独という言葉ですが、個人的にはそこまで寂しい、悲しいイメージだとは思いません。孤独から創造された素晴らしい芸術や思想はたくさんありますし、そもそもマチルダと踊る=放浪、孤独なのですから、マチルダを金髪碧眼スレンダー巨乳の20歳大学生、高校の時はチアリーダーで親は資産家のような感じでさらに擬人化すれば、むしろ孤独を受け入れたくなりますし、何だか人にも優しくできそうだなとふと思いました。

孤独との付き合い方は人それぞれでしょうが、例えば酔っ払って店を出て、誰もいない、良いことひとつない暗い帰り道に、ひとりぼっちで音楽を聴きながら千鳥足で「いいことねえなあ、まあ酒飲めてるからいいか」と思いながらエセ孤独を満喫し、夜道を放浪するのもなかなか悪くないものです。いきなりは怖いので、少しずつ少しずつ、本当の孤独を受け入れていくのです。

そんな時に聴く「Tom Traubert’s Blues」は最高です。よく聴くと、トム・ウェイツの声は実はとても優しくて、まるで酔っ払いの子守唄のように心に響きます。そしてそれは、どんな度数の強い酒よりも五臓六腑に沁み渡るのです。なぜか手もシャキッとします。

孤独に傷つき、疲れ果てたら、ぜひともこの曲を聴いてみてください。きっと、トム・ウェイツがあなたの孤独を寝かしつける手助けをしてくれるはずです。

さて、今回はトム・ウェイツが最も忌み嫌いそうな楽曲の解釈を打ってしまいました。ついでに歌詞も超意訳なので間違っている可能性も大いにありますが、孤独な酔っ払いの戯言だとトイレに流していただけますと幸いです。トム・ウェイツも過去に客の野次に対してこう言っています。

「あんたの言うことはでたらめだけどさ、まあ、意見を持つのは自由だよな」
 

【出典】
・パトリック・ハンフリーズ (著)室矢憲治 (翻訳)/1992年/トム・ウェイツ 酔いどれ天使の唄/大栄出版
・パトリック・ハンフリーズ (著)金原瑞人 (翻訳)/2008年/トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使/東邦出版
・城山 隆(著)/1998年/Mr.トム・ウェイツ/東京書籍
・ジェイ・S. ジェイコブズ (著)山本 安見 (翻訳)/2001年/トム・ウェイツ 俺に酔うなよ! /DHC

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