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「カメラを止めるな!」この映画は、まぐれ当たりや奇跡などでは決してない

加藤広大 加藤広大


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出典:IMDb

注:本コラムはネタバレを含みます。鑑賞前の方はご注意下さい

今、日本でもっとも話題になっている映画が「カメラを止めるな! 」であることに異論がある方はいないであろう。

実数を調べなくとも体感でわかる。筆者はよく飲みに行くし、週に2日ほどバーテンダーをやっているが、どこの飲み屋でも、店に立っていても

「カメラを止めるな! 観た? 」
「カメラを止めるな! って面白いらしいよね」

と聞こえてくる。これは「シン・ゴジラ」、「君の名は。」はもちろん、本作と同じく口コミやSNSで人気が広がっていった「バーフバリ 王の凱旋」のときよりも遥かに多い。

筆者も数十人に「観たのか、観ていないのか、観ていないのなら今すぐ観るべきだ」などと言われ続け、そのどれもが絶賛だったので、ハードルが相当高くなった状態で鑑賞した。

このような状態で鑑賞した場合、えてして「言ってるほどじゃなかったな」となる作品が多いなかで、本作はどうだったのか。なんのなんの、まごうことなき大傑作である。

たった2館から全国公開へ、今、日本でもっとも奇跡が起きている映画が「カメラを止めるな! 」であることに異論がある方はいないであろう。

しかし、この映画はまぐれ当たりや奇跡などでは決してない。

ゾンビ映画としてのクオリティは、まさに「質はそこそこ」

と、いつもの口調で真面目に書こうと思ったんだけど、もう無理。「出すんじゃない。出るんだよ」のとおり、もうここからは思考を垂れ流して書く。つうわけで、なんだあの傑作は! もうビンッビンじゃねえか!

「なるべく萌えないように映画を冷静に観てコラムを書く」っつうのが普段のやり方で、頭のなかはいつも「ウォー! 」とか、「ここ、さいっこうだったよな」って感じで、それをコラム用の文章に変換しつつキーパンチしてるんすけど、勢い敬体になりましたけど、今回はそのまま出す感じで、つまり「カメラを止めるな! 」と同じ構造ですという言い訳を思いついた。

こんな風に書いたらもうコラムとしては全然ダメなんだけど、さっき、タバコを吸いながらパンフレットを読みなおしちゃって、上田慎一郎監督のメッセージでもう一回泣いちゃったから無理だね。なんで小手先のテクニックなんか一切無しで、このコラムを転びながら書くことにする。実際、転びながら書くのは難しい。今やってみたけど不可能に近い、でもやる。荻昌弘じゃないけど「カメラを止めるな! 」は「やった側」の人間の話だ。

https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/08/f41ac8adfdb8d45a82309a9858dca930-e1534742462525.jpg出典:IMDb

ここで、見出しの話に戻るけれども、映画のゾンビパート、つまり前半がだるく、違和感が多い(が、伏線回収パートでしっかりとやってくれるから爽快感がある)という意見をよく見聞きする。確かにわかる。めっちゃわかる。上映前の山崎紘菜の棒読みが、上映作品のクオリティに対して防波堤になっているという役目と同じく、本作も前半ワンカット部のつたなさ、ふいにブッ込んでくる大根ぶりが後の七難を隠し、疾走感・爽快感を何倍にも増幅させるっつうのもある。

けれども、だけども、問題は、今日の雨、じゃなくて、「カメラを止めるな! 」はゾンビ映画としてもまさに「質はそこそこ」で、実はゾンビマナーに忠実にできていて、37分ワンカット物としても悪くない。

まず、ゾンビ映画を撮影しているという入れ子構造が提示され、閉鎖された空間のなかで状況に放り込まれ、建物の構造を最大限に活かしつつ物語を展開させる。多くのゾンビ映画がそうであるように、狭い空間でのパニックは、緊張感を増幅させ、予算を抑えることに一役買う。

んで、女優(松本逢花/秋山ゆずき)が噛まれた(可能性があれば)ら殺そうとしたり、監督(日暮隆之/濱津隆之)が最初っからキレッキレのマッドネスだったりと、「やっぱ結局人間が怖いっすよね」というお約束もしっかり挿入。

さらには女優が階段を昇るときの執拗に尻を追うショットが素晴らしく、これまたお約束のやや健康的なお色気シーンもバッチリ再現。日暮はよく再現VTRを作ってるっていう設定だから、妙にこなれて「いやはやベタでいいですなあ」と思わせつつも、決して一定のクオリティは越えてこない「そこそこ」さをキープしている。

そして二日酔いのバリー・アクロイドが降臨したかのような手ブレは、もう見事としかいいようがない。アレで酔ったという人もいるみたいだが、そればっかりは仕方がない。ジェットコースターに乗ったら酔ってしまうのと同じく、これはゾンビ映画なんだから。

と、「そこそこ」クオリティで展開されていくが、ゾンビパートは「そこそこ」に収まらない面もある。ゾンビマナーに忠実ではあるが、実は数々のお約束をバッサバッサと削ぎ落としていて、敢えて使うが「一般の」ゾンビ映画を知らない層が考えるゾンビ映画像を作り上げることに成功している。ここが凄い。凄いんだから本当に。まあ、今思いついたんですけど。

ネタバレ禁止だからって苦し紛れに予算やキャストについて書くっつうのは無理筋でしょうよ

本作はネタバレ禁止っつうか、前半で出した3作品以上に、皆が大事に扱っていて極力ネタバレが抑えられている。とまれ、ネタバレしても面白さには変わりがない。が、やっぱり予備知識無しで挑んだ方が楽しめるだろう。

とにかく、ネタバレはしない方がいいに決まっているので私も気をつけるが、その際に困るのは「どう書くか」だ。本当はこんな長ったらしくやらずに「最高です! 観に行ってください! 」とだけ書いて終わりたいのだが、私の信用もいろいろと終わりそうなので自重する。

https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/08/b59c6decd910d47feb1c19f96185f98a-e1534742533835.jpg出典:IMDb

本作に関して紹介がおこなわれるときは、媒体問わずつい「低予算かつ無名キャストで作った映画の人気が爆発的に広まっている」と説明しがちで「これは凄いことだ」なんて結論になるが、本作は低予算だからこそできた映画で、予算があったらこんな話の展開には絶対になり得ない。

というかお前、飲食店で「このサバの煮つけ、低予算の割には美味いですね」とか言われて店主が喜ぶと思うか? 「無名の店であんたのことも全然知らないけど、仕事ができるねえ」とか言われて従業員一同のテンションが上がると思うか? 一言多い面倒くさいオッサンじゃねえんだから素直に「美味い」とだけ言えないのかね。

繰り返しになるし監督も語っているけれど、本作は「低予算でしかできない」仕掛けが盛りだくさんで、それを観ているだけでも「すっげぇ、確かにこうすればイケる」と感心を通り越して感動してしまう。そして、映画はパセリを使い回すようなことは決してしない。

ところで、こんな文字打ち込みたくもないが「コスパ」なんていうクソみたいな言葉が幅をきかせている世の中で、「低予算映画が大ヒット」なんてパンチラインを喰らったら、流行るのは非常にわかる。が、「カメラを止めるな! 」のコスパはいかほどか。いいわけがない。そもそもコスパで判断するのがおかしいだろう。もし本作に対してコスパ最高という意見が過半数を越えていたとしたら、私は暴動を起こす準備をして、あ、こんなところに斧が。

とうとう来ましたね、かの国産映画クオリティに迫り、越える作品が

私は邦画リテラシーがまったくないので、本作の俳優陣が日本でどの程度の位置にいるか、実際に無名なのかはわからないのだが、正直、全員の演技が素晴らしく(日本での)大作に出演している方々と比べても、何ら遜色がなかった。

さらに、どこかで見かけたことはあるかもしれないが、覚えていない顔ばかりなので、まるで異国の映画を観ているような雰囲気さえあり、物語にすんなりと入っていけた。有名俳優は有名なりの技巧やカリスマがあるが、たとえばニコラス・ケイジが出演していたら「あ! ニコラス・ケイジだ! 」と思ってしまい、以後120分間ずっとニコラス・ケイジが動いていることを認識しながら物語に放り込まれるのと違い、安心して没入できる。もし本作に予算が潤沢にあり、ニコラス・ケイジが出演していたらと思うと夜も眠れない。

https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/08/0aeb0673be10e70e18e9a0c44865e3f2-e1534742600988.jpg出典:IMDb

ゾンビ映画としての質は「そこそこ」と書いたが、本作は脚本のクオリティも、演技のクオリティも「そこそこ」ではない。とんでもない。誤解を恐れず勢いで書くが、「カメラを止めるな! 」は、日本の映画として、とうとう最近の韓国映画クオリティに並び、何なら軽々と飛び越えている。比べる意味のない比較対象だが、この事実は私にとっては重く、正直滅茶苦茶感動した。

あと、あと、劇伴も素晴らしい。後半パートでは、まるでオーシャンズシリーズに代表されるような「ネタバラシ感サウンド」、「実は裏ではこうなってましたー! 」的リフがバッキバキに使用され、疾走感をよりスピーディーにする。あ、疾走感といえば編集能力も物凄い。相当量の知識の蓄積がないと、あの編集は絶対にできない。

音楽の話に戻るがラストのイントロが完璧に自主規制(曲名、ネタバレになるんで書かない方がいいっすよね)な楽曲もまたいい。馬鹿みたいに激賞しているけど、本当なんだからしょうがない。まだ観てない方、こんなコラム読んでないで今すぐ画面を切り替えてネットで席を予約してください! もしつまらなかったら私、お金払うんで。その際は「なぜつまらなかったのか、カメ止めと私」というテーマで400字詰め原稿用紙10枚以上の感想文を提出してください。

テイク数「42」の意味、本作はまぐれ当たりの奇跡などでは決してない

ここからは極私的な感想で、完全なるこじつけになるので読み飛ばしてくれて構わない。「お前今までも私的だったじゃねえか」という指摘はご勘弁下さい。というか次回「オーシャンズ8」は何事もなかったように真面目になりますので許してください。

さて、冒頭でメイクが「42テイクはやばいね」と語るシーンがある。パンフレットに掲載された台本を確認したので、本編では台詞が若干変わっていた気もするが、「42」という数字は変わっていない。これが何を意味するか。「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」である。嘘だと思うならグーグル検索をかけてみればいい。

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この42という数字は、ダグラス・アダムスが著した「銀河ヒッチハイクガイド」に登場する。詳しい説明は省くが、とにかく42である。この数字が「カメラを止めるな! 」に現れた瞬間、私の中のディープソートが計算をはじめ、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」が「カメラを止めるな! 」だとはじき出した。 

「カメラを止めるな! 」が「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」だとすれば、その内訳は、面倒くさいことや制約があるなかで、まるで文化祭前のようにみんなで何かを一生懸命作る。疲れてるときに苛立つこともある、ケンカだってする、だけど、終わってみりゃあもう最高でしょうよ! 人と言う字は支え合ってんですよ! 入るも支え合ってるけど! という恥ずかしげもなく書けば「何かを生み出す愛」である。愛だろ、愛。愛することは止められないんだ。と、なんか作品が違うような気もするが、この雑な方程式を自分で勝手に証明してしまった結果、もう号泣。

しかも、「よく考えりゃあ人生もワンカットだな。まばたきでカット割れるけど」と勘付いてしまった瞬間また号泣。カメラを止められないように、人生も止められない。人と関わること、何かをつくることは止められない。止められない人生なら、楽しくいきましょうやと、上映中なのに全裸になり、劇場を飛び出して満面の笑みで奇声をあげながら六本木ヒルズを走り回らせるくらいのパワーを、本作は持っている。

感動話はこのくらいにしておいて、SFコメディの傑作である「銀河ヒッチハイクガイド」に存在している鉄壁の知性とユーモアは「カメラを止めるな! 」にも通じる。巷間言われているように、三谷幸喜しかり、宮藤官九郎しかり、タランティーノしかり、ソダーバーグしかり、古今東西の映画ネタ、そして記憶の膨大なカットアップ、パッチワークの上に「この手があったか! 」という計算しつくされ、恐るべき知性とユーモアを備えた本作を「奇跡だ」、または「まぐれだ」と言ってしまうのは、あまりに稚拙である。

「カメラを止めるな! 」はまぐれ当たりの奇跡などでは決してない。気の遠くなるような練習と反復、そして愛があって、はじめて起きた「奇跡」である。以上。はい、ここで原稿カット!

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