たとえば、「謝罪文/中継」
謝罪、ここ数年流行ってますよね。もう謝罪ブームと言っても言い過ぎではないほど、何かあればすぐ謝罪です。
これは謝罪させようとしている人が多いのか、取り敢えず謝っとけという企業や人間が増えたのか、そのことすらもどうでもいいですが、別にそこまで謝らなくても、謝らせなくてもいいんじゃないですかね。
あと、謝りゃいいってのも問題だと思うんですよ。それこそ謝る方もどうでもいいから謝ってるんじゃないですかね。それがバレると謝ったことを謝らないといけないとか、もう本当にどうでもいいことになるのもお約束。この悪循環、どうでもいいんですけど、なんとかならないものなのでしょうか。
どうでもいいものの極北、それはこのコラム
さて、だらだらと書いて参りましたが、ほかにも「アカデミー賞◯部門ノミネート」「音楽のジャンル」「徳川埋蔵金の在り処」「なぜ竿竹屋は潰れないのか」「異世界転生」など、いろいろと思いつくのですが、もしかしたら、このコラム自体がどうでもいいものの極北なのではないか? ということに気付いてしまいましたので、この辺りで涙を拭きつつ、筆を擱きたいと思います。