神々のたそがれ【連載】田中泰延のエンタメ新党

田中泰延 田中泰延


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クソすごい。

映画「神々のたそがれ」

 

ふだん広告代理店でテレビCMのプランナーやコピーライターをしている僕が、映画や音楽、本などのエンタテインメントを紹介していくという田中泰延のエンタメ新党。

僕が会員である東京コピーライターズクラブに今週はリレーコラムを書いていまして、そちらでもこの連載の話をさせてもらいました。

TCCリレーコラム

かならず自腹で払い、いいたいことを言う、をこの連載のルールにしているのですが、ある人にツイッターで
「“思う存分ネタをバラす” “ボケたいだけボケ倒す”と同義だと気がついた」と鋭い指摘を受けました。その通りです。
 

相変わらずストーリーも謎もオチも全部いってしまう姿勢を貫いていますので、「田中泰延のネタバレ新党」に改名しろというご意見ごもっともでございます。

そして迎えた連載第6回、今回はだいじょうぶです。安心してください。ネタバレもなにもありません。なぜなら僕が筋がわからなかったからです。
 

そんな、今回観たけどまったくわからなかった映画は、「神々のたそがれ」。ぜひ、予告篇をごらんください。

映画「神々のたそがれ」予告篇

Reference:YouTube

先に言っておきます。「とんでもないものを観た」と。わからなかったのにとんでもないのか? と言われると困るのですが、とんでもないのです。映画館は、大阪九条のシネ・ヌーヴォ。まさかの満員でした。そのみんなが、とんでもないものを観た、という顔をしていました。
 

まず、「神々のたそがれ」という題名からして重々しい。『神々の黄昏』といえば、ワーグナーの楽劇に、ヴィスコンティの映画の題名「ルートヴィヒ/神々の黄昏」といった、超弩級の作品を彷彿とさせます。
 

あまりに重い題名のせいか、映画通の間では「神々のたそがれ」、略して「神たそ」と呼ばれているそうです。昔、「存在の耐えられない軽さ」が、略して「そんかる」と呼ばれていたのを思い出します。別に思い出さなくてもいい思い出です。もっとも、ストルガツキー兄弟による原作小説の題名は『神様はつらい』。わりと寅さんチックです。

 
さて、この重い映画、まず、監督がアレクセイ・ゲルマン。ロシアの人です。ですから全編ロシア語です。もうまったく何を言っているのかわからない。僕にとっては、英語と同程度にわかりません。そして、モノクロ映画です。映画館がおかしいんじゃないですよ。色がないんです。
 

で、なにより、上映時間が3時間。新幹線が東京駅を出て新大阪まで行き、折り返してまた米原まで戻ってしまい降りたものの何を食べたらいいのかわからないので食べログで米原と打ち込むぐらいの時間です。
 

この映画を観れば、行ったこともない米原に放り込まれたような、そんな気持ちに絶対なれます。ちなみに、米原で食べログで3.56をつけている一番人気の飲食店は
 
井筒屋 在来線ホーム売店
 
です。米原駅のランキングじゃないですよ。米原市全体のランキングですよ。米原に行った人は駅から出ないがよかろう。

 
さて、我が田中泰延のネタバレ新党は、ここから出演俳優たちの紹介と、ストーリーの紹介を延々と続けて原稿料を稼ぐビジネスモデルになっているのですが、今回はパス。だってわかんねーんだもん。身入りが減ることになりますが、わからんもんはわからんのや。人間、お金がないと言葉遣いも乱暴になってきますね。とりあえず、どんな映画か雰囲気がわかるスチールを張っておきます。
 

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出典:「神々のたそがれ」公式facebook

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出典:「神々のたそがれ」公式facebook

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/10982222_1619128174973934_7631476935351152189_n.jpg?oh=d4e96649c7db552f9d27936107564177&oe=58EFE585
出典:「神々のたそがれ」公式facebook

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/10985878_1642596779293740_1779018198885901658_n.jpg?oh=655fed9a01a95fbe9146f130fb76a6b7&oe=58B1547D
出典:「神々のたそがれ」公式facebook

 

わけがわかるでしょうか? まず、体調悪いとだめです。事実、僕はこの映画を観たあと、何も喉をとおりませんでした。その日、朝ご飯と昼ご飯と晩ご飯しか食べていなかったのにもかかわらず、夜食が食べられなかったのです。

 
この映画の中では、何もかもが汚れています。黒い泥に大地はぬかるみ、灰色の雨が降り続き、ただでさえモノクロームの世界には一度の太陽も見えません。そして、出演者はたえず唾を吐き、周囲にあるものを嗅ぎ、顔をしかめます。映画の中の臭いをこれほど感じたことはありません。「だめだ、これは臭い」「臭うぞ」
 

臭うぞと言われるたびにこいつが頭の中にチラチラして困りました。

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出典:BIGLOBEウェブリブログ

 

におうぞう。
 

いやしかしほんとうに画面が臭いそうなのです。
この映画は、糞尿にまみれています。
 

最初の登場人物はこれです。

http://f5.s.qip.ru/yDSsDdIR.jpg
出典:LIVEJOURNAL

桃ではありません。尻です。しかもうんこをしています。
この人から3時間は始まるのです。

いきなり、僕はある絵画を思い出しました。
 

http://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2015/04/07.jpg
出典:Wikipedia

うんこをしている人です。この絵、たぶんみなさんも知っている絵の一部です。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fc/Pieter_Bruegel_the_Elder_-_The_Tower_of_Babel_%28Vienna%29_-_Google_Art_Project_-_edited.jpg/1024px-Pieter_Bruegel_the_Elder_-_The_Tower_of_Babel_%28Vienna%29_-_Google_Art_Project_-_edited.jpg
出典:Wikipedia

ブリューゲルの『バベルの塔』です。まさかと思うかもしれませんが、この絵をよく拡大すると、うんこをしている人がいるのです。
このブリューゲルの絵は、古代の伝説をえがいていますが、描かれている人々の風俗、時代は、不潔で混乱した中世の辺境のものです。
 
いちおう、『神々のたそがれ』の背景をのべておきますね。
 
宇宙船でどこかの星にたどり着いた地球人の調査団。その星は中世のヨーロッパにそっくりだった。地球人のひとり、ドン・ルマータはその地で神を名乗り、その星の発展に手を貸そうとする。ドン・ルマータを演じるのはロシアの俳優、レオニード・ヤルモルニク。

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/11082510_1636628923223859_2824718337947238161_n.jpg?oh=2d11661247a150e87311de60746676c7&oe=58F0679F
出典:「神々のたそがれ」公式facebook

もう、大筋としてはそれだけです。しかも、最初にナレーションで説明されるだけで、宇宙船も何も出てきませんので、そこに写っている世界は、科学も芸術もなにもない、野蛮で、不衛生な地球のかつての姿そのものです。
 

この映画の中では、糞尿が飛び交い、人々は愚かすぎるくらいに愚かです。また、この星では知識人の虐殺と宗教戦争が起こっています。この映画に、監督の出身地であるソビエト連邦や共産主義国家の戯画化をみるのはたやすいことです。それは、異星人ではなくて、要するに人間の姿です。
 

画面には、つねに鬱陶しいなにかが写り込み、頭の悪そうな人が寄ってきて主人公にちょっかいをかけ続け、主人公はそれを振り払い続けます。ドン・ルマータは、はるかに進んだ知識を持っているので、神の子孫の貴族と呼ばれていますが、かなり無力です。常に面倒に巻き込まれ、あきれながらこの星の発展を見守っています。
 

物語は、ルマータが吹く、物悲しいサキソフォンのような音色から幕を開けます。予告篇でも聴ける、この音色を覚えておいてください。たったひとつの、この映画の音楽です。

 
それにしてもこの陰鬱な中世感はなんでしょう。すさまじい美術です。中世の街まるごとがセットとして組まれています。

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出典:「神々のたそがれ」公式facebook

この中を長回しのカメラが歩き回り、わたしたち観客は、まるでテーマパークのアトラクションの車みたいなやつに乗せられて無理矢理見せられる感覚です。
 

未開の地で神と呼ばれる男、それはフランシス・コッポラの映画「地獄の黙示録」、そしてその下敷きになったコンラッドの小説『闇の奥』を思い出さずにいられません。この映画は、かつて見た、読んだ、あらゆる「とんでもないもの」の記憶を掘り起こしてきます。またモノクロの映像からは、画家ギュスターヴ・ドレによるダンテの『神曲』の挿絵を思い出しました。

http://4.bp.blogspot.com/-vW0LI_qLOh4/T8eSCE4GE1I/AAAAAAAAAL4/FuJ7GXIVSHg/s640/FARINATA.png
出典:インフェルノ

そうです。ダンテの『神曲』のように、この映画は地獄巡りなんですよ。でも、『神曲』には詩人のウェルギリウスという、よう喋る案内人がいましたが、この映画にはいません。しかも、この映画がわけわからないのは、通りすがりのエキストラが時々、カメラ目線でこっちにちょっかいを出してくるんですよ!
えっ!? いったい、われわれ観客はどの立場で、なにを見せられているんでしょうか。
 

あらゆる汚いものが画面にぶら下がっています。魚、豚、そして絞首刑にされた死体。多くの人が指摘していますが、ジャック・カロの描いた『戦争の惨禍』を思い出します。この映画は、一コマ一コマがまるでモノクロの写真集、版画集のようです。しかし悪夢的な。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fe/The_Hanging_by_Jacques_Callot.jpg/1024px-The_Hanging_by_Jacques_Callot.jpg
出典:Wikipedia

気持ちの悪い中世は延々続きます。また絵を思い出します。ヒエロニムス・ボッシュの『快楽の園』の世界です。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ae/El_jard%C3%ADn_de_las_Delicias%2C_de_El_Bosco.jpg/1024px-El_jard%C3%ADn_de_las_Delicias%2C_de_El_Bosco.jpg
出典:Wikipedia

3時間、映画は一度も安定しません。ストーリーも、登場人物も断片的に語られるのみで、把握できません。このわけの分からなさは中里介山の大長編小説『大菩薩峠』をちょっと思い出しました。自分が長い物語のどこにいるのかわからないまま、居合わせる感じ。ちなみに、全体としてはものすごく巨大な何かの、ごく一部の局面に居合わせて話を見せられる、という『大菩薩峠』の手法は『機動戦士ガンダム』で使われています。その話はまたいつかしようと思います。
 

いよいよ自分が悪い夢を見ているのか映画を観ているのかわからなくなってきます。耐えきれずに途中少し寝た馬鹿者もいます。僕です。しかし、少しぐらい寝てもどうせまた起きたら悪夢の続きなので、大丈夫です。
 

さあ、映画は不快なまま最後の大殺戮のシークエンスを迎え、人間の死体や臓物が飛び交い、転がりまくります。いったいわたしたちはどこへ連れて行かれるのか。
 

しかし最後の最後の最後、満員の観客は、ひざを打ちました。口を開けました。大きく息をつきました。ああ、わたしたちが見せられたのは、こういうことだったのか、と。
 

人間達の暴力の連鎖をただ見るだけ見て、無力な神であるルマータは言います。「滅ぼすのは簡単だ。だが痛ましい」
 

殺戮の嵐の過ぎた、真っ黒な泥と血の世界で、そこだけ真っ白な神の衣装を羽織った彼。白よりも白です。僕は、こんな真っ白をみたことがありません。『神々のたそがれ』ほど汚穢に満ちた映画はありません。しかし、この映画ほど清潔な映画はない。
 

彼は、愚かな人間どもに、地の群れに、無限の哀感と愛情をもってつぶやきます。「神はつらい」と。
 
黒と灰色の世界のすべてを真っ白な雪が覆い、冒頭で聴いた、あの管楽器の響きのなか、映画は白い世界の向こうへ去っていきます。
 

ぼくは立てませんでした。いろんなことを思いだす映画だと書きました。そのなかでも一番とんでもないものを思い出したからです。
手塚治虫の『火の鳥 未来篇』です。


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(C)手塚治虫

主人公マサトは、火の鳥に導かれ、不老不死の「神」のようなものにされてしまいます。


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(C)手塚治虫

そこでマサトは何度も繰り返す生命の進化と絶滅を、ただ眺める存在となります。


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(C)手塚治虫

こどものころ読んだこの物語は衝撃でした。ただ、僕の中に、生きる物へのいとおしい気持ちが芽生えて、このとき、心の中に結び目をつくりました。その、手塚治虫の魂を、思い出したのです。
 
この映画は、「エンタメ」ではありません。エンタメとそうでないものの違いとはなんでしょうか。エンタテインメントとは、その時間、わたしたちを楽しませてくれるものです。心地よかったり、スリルがあってハラハラはさせるけど、最後は納得したり。
 
では、人間がわざわざ何かを創って、エンタテインメントではないもの、まぁ、アートとか芸術とか呼んでもいいとおもいます、
それはなんでしょう。
 
それは、人間をいちど、不快にするものです。ほんとうのことを見せつけ、苦悩の淵にたたせ、絶望を味あわせ、あるときは退屈にさせ、眠くさせ、耐え難い現実を突きつけ、逃げたくさせ、わかっているけど忘れたいことをわざわざ言う、そういうものです。
 

それらは一回、我々を殺しにかかってきます。わたしたちは一度それらのせいで、それらを創った者のせいで、死にかけます。半殺しにされます。だがしかし、その果てに、それを創った者が死の淵から帰還してきたように、わたしたちをまた、生き返らせようとするものです。生まれ変わらせようとするものです。
 

ゲルマン監督は、この映画を創り上げるのに、構想に35年、撮影に15年の歳月を費やしました。その途中で還らぬ人となり、息子が意思を継ぎ2年かけ編集し、完成させました。
 

人間が、そこまでして創りたいものはなんでしょう? 死んでしまうほどに創るものってなんでしょう。その子が引き継ぐまでに創るものってなんでしょう。
 

僕はこの映画を観終わって、またさらに思い出しました。それは、ある歌を歌い終わったときの感覚です。
 

10年以上前、僕は友人に誘われて、あるクラシック音楽の合唱団に入ったのです。僕はクラシック音楽なんてぜんぜんわかりませんでした。友人は単に人数を確保するための勧誘だったのかもしれませんが、僕は気安く入ってしまいました。しかしそれは大変なことだと気がつきました。
 

そこで僕は、大きなオーケストラと大きなホールで、合唱団の一員として、ベートーヴェン交響曲第九番『合唱』と、マーラーの交響曲第二番『復活』を歌うことになります。どちらも、1時間を優に超える大曲です。ひとつの音楽が1時間半とかあるんですよ! はじめて歌うわけのわからない音程。ドイツ語で歌う難しさ。素人の僕には、それぞれの曲の半年間の練習は地獄でした。そして、ベートーヴェンやマーラーは、その音で、僕たちを殺しにかかってきます。

長い長い交響曲の中で、不愉快な音が続きます。耐えなければならない時間が続きます。何百年の時を経てもこの世から消えず、いまでも演奏されるそれらは決して、気持ちのいい時間だけではできていません。
 

ですが、音楽の、その長い苦悶の時間の果てに、オーケストラは、指揮者は、僕たち合唱団は、そしてホールを埋めた人々は、爆発します。光を見ます。人間はそこで、一度死に、生まれ変わるのです。そのときの感覚は、僕には、ことばにできません。
 

お芸術は素晴らしい、高尚だ、とかいう気はさらさらありません。でも、あのとき友人が僕を誘ってくれたことを、僕は感謝しています。苦しい練習のさなか、僕は彼に訊きました。「なんでこんなことをしなくてはならないのだ?」彼は答えました。「君にはきっとわかる。わかってくれると思うから連れてきた」
 

その音に殺されそうになって、恨んで恨んで、「殺してやる! でももう死んでる!」と歯噛みしたルートヴィヒ君(ベートーヴェン)やグスタフちゃん(マーラー)は、いまでは僕の一生の友達です。
 

音楽、本、映画、スポーツを観ること、そんな、教えてもらってよかった! と思える体験を、生きているうちに生きているあなたと一緒に味わいたい、ぼくはその気持ちだけでこの連載をはじめました。
ええ、まあ、思う存分ボケ倒した文章も書きたいですけど。
 

たしかにこの映画はわけがわかりません。でも、わけがわからない、それは人生そのものでしょう。わけがわかって生きている人などいないのです。そして、生きるということは黒い泥の中で糞尿にまみれ、臭いを嗅ぎ、唾を吐くことです。灰色の雨の中で憎しみあい、たくさんのことをあきらめることです。
 

しかし、生きる意味は、たぶん、たぶんですよ、その中でたった一瞬でも、真っ白な白を目に焼き付けることです。
たった一瞬でも、生きているものへの限りないいとおしさを感じることです。

 
この映画は、僕がいままでこの世でなんとか味わってきた、「とんでもないもの」をまとめて全部、もういちど鮮やかに目の前にみせてくれました。これは、クソまみれで、クソすごい映画です。
 

「神々のたそがれ」は、僕の大切な映画になりました。
 

とんでもない映画です。わけがわからないかもしれません。気持ち悪いかもしれません。耐えられないかもしれません。でも、もし、あなたがこの映画を観たことのある人だったら、僕は少しうれしくなります。
 

映画「神々のたそがれ」公式サイト

街角のクリエイティブ ロゴ



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