幸せな最期ってなんだろう【連載】松尾英里子のウラオモテ

松尾英里子 松尾英里子


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幸せな最期って、なんだろう。

のっけからこんなことを書いてみて、桜舞う4月に相応しくない、重いセンテンスをぶち込んでしまったなと思った。逆にもし、私の友達が突然同じことを言ったら「大丈夫? 何かあったの? 悩みなら聞くよ!」と言うだろう。

でも、安心してほしい。別に私は今、一通りのことは満たされていて、多少の悩みはあるけれど、それなりに幸せにやっている。

だが、ふとそんなことを思った。

昨年、母方の祖母が亡くなった。ひょんな事故で骨折して入院したが、リハビリも上手くいき、明日退院しましょうね、という矢先、突然、脳出血を起こした。言語をつかさどる部分にダメージを受けてしまい、それっきり会話ができなくなってしまった。だけど、何度か手術をして、あと3日、あと1週間、あと3か月、と言われながら、なんとその後1年半、命をつないだ。

元来、体の丈夫な人で椅子に座っている姿があまり思い出せないくらい、朝から晩までよく働く元気な人だった。そして、優しいけれど、負けず嫌いだった。だから、肉体と心が、まだ生きたい、まだ生きたい、と、1年半、心臓を動かし続けている感じがしていた。母や祖父が、毎日のように病院に行き、数時間、手や足をマッサージした。そのうちこちらが話しかけると、うんうんと頷いたり、首を横に振ったりすることもあった。

私が「熱海にみんなで行ったの、楽しかったね。おばあちゃんとひ孫たちと、みんなで行けて良かったよ」と、頬をぴたっとくっつけながら話をすると、偶然だったのかもしれないが、涙を流していた。おばあちゃんは話せないけれど、伝わっている。そう信じて、祖父も、母も、私も、親戚もみな、声をかけ続けた。愛された、祖母だった。

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