アウトレイジ 最終章【連載】田中泰延のエンタメ新党

田中泰延 田中泰延

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ですから「アウトレイジ」「アウトレイジ ビヨンド」は、死を描いたのではなく、生への疾走、もしくは遁走、のひとつの相としての「往生」を描いているという気がします。キャッチコピーの、「全員、悪人。」とはその意味で、親鸞しんらんの「歎異抄たんにしょうの思想と通底するものがあるのではないでしょうか。
 
 

http://buddhism-orc.ryukoku.ac.jp/old/exhibits_images/20060612-20060804_001_002_026.jpg出典: 龍谷大学 人間・科学・宗教オープンリサーチセンター

『歎異抄』(蓮如による写本)(西本願寺蔵)

親鸞の「歎異抄」は「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という文言が有名ですね。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/images/TKY200709220104.jpg出典: 朝日新聞HP

『歎異抄』(蓮如による写本)(西本願寺蔵)
 

この場合の「悪人」とは法然ほうねん/親鸞が考える仏の視点による善悪です。法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるように思えますが、仏の眼から見れば、すべての人は「善悪」の判断ができない「悪人」なんです。親鸞はむしろそれを自覚した方が往生して極楽へいけるのだ、と発想を逆転させました。
 

ひるがえって「全員、悪人。」である「アウトレイジ」「アウトレイジ ビヨンド」の登場人物は、ひとりとして信念もなく、仁義もなく、ヒーローたりえる者もいない。彼らの「死にたくない」という遁走が不意に失敗して「往生」するさまを連続してみせていく。
 

そして、「アウトレイジ」「アウトレイジ ビヨンド」の2作には「キタノ・ブルー」の色調があまり感じられなかったんです。つまり北野武は、いつもの作家性を封印して、暴力によるエンタテインメント、そして「往生しまっせ」というギャグに振り切ったシリーズだったんですね。
 

3. 映画の半分は音だ
ただし、「アウトレイジ」「アウトレイジ ビヨンド」において起用された鈴木慶一の音楽だけは、「幽玄」としかいいようのないもので、キタノ映画の「冥土感」を担保していて、それは引き続き音楽を担当した「最終章」におおいに繋がってきます。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/M/MV5BZDU3ZWMxYmItYmU2NS00Njg3LTk5MmItNmRkNDE5ZjczNTFhXkEyXkFqcGdeQXVyNzg0OTg0OTI@._V1_.jpg出典:IMDb

そんな、エンタテインメントに振り切ったシリーズをどう終わらせるか、期待して期待して期待しまくって観に行ったら・・・

ごめんなさいね。「アウトレイジ 最終章」はめちゃくちゃ退屈でした。

キタノ・ブルーの行方

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/M/MV5BYWVjM2IzZTUtYjRlNy00YTEwLTkyOGEtN2ZlM2MyYzk0N2Y1XkEyXkFqcGdeQXVyNzg0OTg0OTI@._V1_.jpg出典:IMDb

「アウトレイジ 最終章」、その色調には「キタノ・ブルー」が戻ってきていました。

 

鈴木慶一の幽幻な音楽も、「アウトレイジ」「アウトレイジ ビヨンド」には実はミスマッチで、こちらのために起用されたんではないかというぐらい冥土の響きとして物語に合致していました。

 

「アウトレイジ 最終章」は主要な3人、ビートたけし70歳、西田敏行69歳、塩見三省69歳、全体にものすごく滑舌が悪いです。あの「コノヤロー怒号合戦」はもう無理です。そして北野武自身による編集は、全体にものすごく間が悪いです。

 

ごめんなさいね。ピエール瀧も大森南朋も良かったんですよ? でも、「全員、暴走。」してる感じはありません。これだと「全員、悪人。」じゃなくて、「全員、老人。」ですよ。

 

ですが、これもすべては終わらせるためだったと解釈できます。

 

どうしても「ソナチネ」を連想せざるを得ないオープニング。主人公の希死念慮が最初から最後まで一貫していること。あの、死を待つバストアップも戻ってきています。そして暴力連鎖の終点がテーマになっていること。また、大規模な暴力シーンは「3-4×10月」と同じ「夢オチ」でしかありえない描写になっていること。
 

それらは「老い」の意識であると同時に、エンタテインメントに振り切り、このままでは永久に作らされるかもしれないシリーズ(スピンアウトも含めて)を、北野武が本来の作家性に回収して自らの手で終わらせるという決着なのかな・・・と僕は解釈しました。
 

なので、「アウトレイジ」シリーズのエンタメ性を期待して観に行ったら、完全に肩透かしを食らうと思います。

 

でも、つまんないわけじゃないんですけどね。

哲斉さん

http://mypage.toei-anim.co.jp/upload/save_image/131/story_img_1.jpg出典:東映アニメーション

みなさんは、アニメ「一休さん」に出てくる「哲斉さん」をご存知ですか?

http://アニメの登場人物.コム/wp-content/uploads/2016/09/ttesai-150x150.gif出典:アニメの登場人物.com

一休さんの安国寺の仲間であるこの小坊主さんです。哲斉さんはいまは出家しているものの、もとは足利将軍に敵対する南朝方の武士でした。

https://vmimg.vm-movie.jp/image/android/480x360/048/s048102022a.jpg出典:ビデオマーケット

一休さんの父親が天皇であることを知った哲斉さんは、一休さんを南朝方の大将に担いで戦をおこそうとして失敗し、安国寺の修行僧になります。

僕の子供心にも、哲斉さんが語る戦の話は恐ろしいものでした。いまは安国寺という、現実社会から遠く離れた場所で語られる、暴力と謀略の世界。
 

暴力と謀略の世界をリアルタッチでエンタテインメントに仕立て上げていた「アウトレイジ」シリーズが、ふたたびキタノ映画らしい「冥府からの通信」に戻った「アウトレイジ 最終章」を観て、僕はまるで、現実社会から遠く離れた場所で語られる戦の話みたいだなぁ、と急に子供の頃みたアニメを思い出したのでした。

https://img.cinematoday.jp/a/A0005392/_size_640x/_v_1507874400/4.jpg出典:シネマトゥデイ

 

思えば、1983年、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」に俳優として出演したとき、髪を剃り落とした彼の顔で映画は終わりました。そのときから常に、北野武の在り様、また語り口というものは、僕にとっては「現実から遠く離れた場所で語られる戦の話みたいだなあ」と感じられるのです。

 

究極の映画とは、10枚の写真だけで構成される映画であり、回ってるフィルムをピタッと止めたときに、2時間の映画の中の何十万というコマの中の任意の1コマが美しいのが理想だと思う。引用:『週刊ポスト』(2002年2月1日号)小学館

 

と北野武は語っています。そういう意味では、「アウトレイジ」「アウトレイジ ビヨンド」のダイナミックなエンタテインメントから本来の作家性に回帰したキタノ・フィルム、それはもともと「絵」なのであり、時間も空間も持たない地点、きわめてスタティックな座標を写し取ったものなのではないでしょうか。

http://eiga.k-img.com/images/special/1373/achillles1_03l_large.jpg?1346152989出典:映画.com

あ、そういえば、きわめてスタティックな座標、禅寺・安国寺に生きることにした哲斉さんも、絵を描くことを趣味にしました。
 

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