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雑草という草はない【連載】ひろのぶ雑記

田中泰延 田中泰延


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あいかわらず「雑記」なのに雑に書けない。
 

そもそもこの連載を始めた時点ではこんな風に書こうと方針を定めていたのだ。
 

おれ、ひろのぶ! あざーっす! 何書いていいかわかんねーけど、おれ、ゴミの分別はあんまりしないんだよな。
 

これだ。この雑さだ。この程度の文章を雑に書き飛ばして収益を得るビジネスモデルで特許を取得しようという構想だったはずだ。
 

ひょっとして意外と自分は丁寧だったのか? 卓球選手だったのか? そんな疑問が頭をピンポンピンポンとよぎるなか、2017年6月2日がやってきた。
 

さて。6月2日とはなんなのか、とびとびに書いているので、

連載のうちの、この2回を続けて読んでから今日の雑な回を読んでもらえるとありがたい。
 

6月2日、ある集まりに私は出席した。1987年に誕生したリョーマ、そしてSYNの結成30周年記念式典が開催されたのだ。
 

リョーマ、SYNとはなにか。私は口を酸っぱくして言っているし、ポッカレモンを一気飲みしながら伝えているのだが伝わらない。
 

上掲の記事にも何度も登場するこの表を見てもらおう。

http://file.takanoridayo.blog.shinobi.jp/dayo130812_ryomasyn.png
出典:『インターネット界隈の事を調べるお』

この表は、5年前、『インターネット界隈の事を調べるお』というサイトの中で、大柴貴紀さんという方が作られた。
 

5年前だから、私が無職ではないところが衝撃だが、よく見るとそんなところが衝撃なのではない。
 

1987年、学生だった10代20代の若者が集まって、会社組織をつくり、それぞれが将来の起業を目指した、そんな集団があったのだ。そして表を見てもらえばわかるように、多くの者が実際に上場企業の創業者なり、社長、役員になった。しかも、ここにいる皆でひとつの事業で一致団結して目指すのではなく、張り合いつつ、励まし合うような形で、バラバラに起業したのだ。
 

我々は5年ごとに集まり、それぞれの道を確認し、張り合いつつ、励まし合ってきた。まぁ、私は張り合いようがないんだけど。
 

5年も経つと、上の表から立場も事業も大きく変化した者もいる。故人となった者もいる。その変化と、この集団が日本経済の中で持ち得た意義については、リアルタイムの語り部として、上記のブログの大柴貴紀さんにお越しいただいたので、いずれ詳しく語っていただけると思う。人物相関図も更新していただけるだろう。
 

私はその中でたった一人ドロップアウトし、しがないサラリーマンになった。だが、そのぶん、そこで何があったか、何が起こったかを徹底的な傍観者の視点で見続けることができた。

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今回もこのカメラを構える写真のように、私は傍観者、観察者、記録者としての立場を貫いている。とはいえ、30年にならんとする仲のいい友人としての関係、立ち位置はなにも変わらない。
 

そもそも、この集団が結成された黎明れいめい期の出来事については、岡本呻也さんという方が『ネット起業! あのバカにやらせてみよう』という本の中でくわしく書いておられる。これは大変な名著で、私は世の中にある本のなかでもトップクラスに面白いと思っているのだが、なんとネットで全文読める。タイトルで検索してぜひ読んでみてほしい。
 

その岡本呻也さんが、2016年3月、50歳の若さで亡くなられてしまった。
 

私が電通を辞めた理由のひとつに、岡本さんがこの集団の物語の続きを綴ってくださると思っていたのに、そうではなくなってしまったことがある。私がやるしかない。
 

日本経済界のレジェンドとなったかつての仲間達になにが起こったか。彼らはなにを見ていたのか。そしてなにが見えたのか。インサイドにいた私が書くしかなくなった。ほとんど「トキワ荘」の物語のようになるだろう。

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20代になったばかりの彼らは、若気の至りで、よくこう話していた。「資本主義では、まず法人を興さなければ、社会の中で人格を認められないのではないか。そうならなければ、自然人としての人間ではあるが、雑草のように生きる運命が待っているのではないか。それは勘弁だなぁ」
 

50代にさしかかった経営者になった彼らと話すと、いまはそんなふうには思ってはいない。それぞれの会社で働く人々の幸せについて、とか、残り少ない人生で社会にどうやって貢献するか、などという話で熱くなったりもする。
 

私はとうとう法人を持つことはなく、雑草のようなしがないサラリーマンとして生きたが、植物学者であった昭和天皇の、「雑草という草はない」という言葉を胸に生きてきた。
 

その伝でいくと、雑記という記もないことになるが、もうほんとに今後は雑に書かしてもらいます。ゴミの分別もだいたいでいきます。
 

【過去5回の「ひろのぶ雑記」はこちら】
終わる事などあるのでしょうか
100円置くのとちゃいまっせ
蘇る勤労
あなたもわたしもプロ人間
午前2時のプールサイド

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