電話にでない女【連載】さえりの”きっと彼らはこんな事情”

さえり さえり


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目の前を通っていく人がどんな風に人生を過ごしてきたのか、考えたことはあるだろうか。わたしは結構妄想します、彼らがどんな事情を抱えているのか。

だってもしかして、前を歩く人にだって昨日までイチャイチャしていた彼女から突然振られた経験があるかもしれないし、隣を歩く人にだって靴下の片っぽが見つからなくて適当なものを履いた日に限ってお座敷の席に通された思い出があるかもしれない。

そういういろんな出来事を経て、いまここにいる。

そう思うと、なんかもう、他人のだいたいのことは許してあげたいような気持ちになってくる。大変だったね、そんなことがあったんだねって気分になって。え、そんな気持ちになることはない?  いやもしかしたら全然大変なことなんてないのかもしれないけれど、まぁ、彼らの事情をわたしは生涯知る由もないのだから、言ってみれば想像するのも自由。

そういうわけでわたしは日々、人の事情を妄想する。

電話にでない女

ポンポンポポンポポンポンッ♪(ブーッブーッ)

ポンポンポポンポポンポンッ♪(ブーッブーッ)

 

サイゼリヤにいたときに、ずーっと隣で着信音が鳴っているにもかかわらず、電話を取らない女がいた。

何度も繰り返されている間じゅう、彼女はピクリともせずにそのスマホを見つめていた。

異常なのはそれだけでなく、不思議なことに彼女の前にはコップがに5つも並んでいることだった。カルピスソーダのチョロ残し、ペプシコーラのチョロ残し、何かを飲んだ空のコップが2つ。そして、今飲んでいるメロンソーダのコップ。

ドリンクバーを頼むことはわたしも多々あるが、そんな贅沢にコップを使ったことはない。やっぱり店員に「あれ、この人、1人だと思っていたけど誰か友達がきていて、1回のドリンクバー注文で5人分飲んだんじゃないの?」とか思われるのが嫌だから、できるだけコップの数は少なめにする。

それが一人でいるのにコップが5つ。贅沢だ。そんなことをするような顔には見えないのに。

実際、彼女はさっき「あの、」と店員を呼び止めようとしてスルーされていた。彼女はパスタを食べているから「あの、」の先は、多分、チーズを頼もうとしたんだと思う。一度呼び止めようとして失敗した女性は、すぐに諦めてパスタを食べ始めた。そういう控えめな性格なのに、コップが5つもあるのはおかしい。

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きっと、彼女の事情はこうだ。

まずこの人の名前は、きっとユウコだ。彼女は同棲している彼氏と喧嘩をして、ここにきた。 言い争いになってそのまま家を出てきてしまったのだ。そうに違いない。そして駅付近まで10分程度歩き、小腹が空いたことに気づいて今この席についている。 席についてメニューを開いた途端おなかがギュ〜っとなって、「やだ、人間って、怒っていてもお腹は減るのね」とか自分で呆れて見せたりしたと思う。

喧嘩をした理由は些細なものだったはずだ。

たぶん、彼氏のダイスケが何度言ってもコップを洗わないことが原因なのだ。
飲んだらシンクにポイ。飲んだらシンクにポイ。
ささっとゆすぐだけでしょ、と言うと、彼は必ず「後で洗うから置いといてくれよ」という。ユウコがしびれを切らして台所に立つと、ダイスケが怒り出す。

 

「後で洗うって言ってるだろ」

「あなた、それじゃ、あたしたち何枚コップがあったって足りないわ」

 

ふたりはよく喧嘩をしていたはず。なんせ彼女たちは社会人になって合コンで知り合って付き合ってから、彼女たちの仲はもう4年になるのだ。

最初の頃はどんなことだって許し合えた。怒っていても、彼の「ごめんね?」と上目遣いで謝る顔が見られたらもういいや、と思っていた。ユウコは昔からそういう子なのだ。

ちょっと控えめで、母性が強い。なんといっても、同級生が欲しがるよりも前から「ぽぽちゃん」を胸に抱っこしてあやしていたような子だ。父からは「おぉ、もうママになるのかぁ」なんて笑われていたユウコは、小さな動物と子供、そして男の「ごめんね?」と「おこらないで?」という言葉に弱い女になった。

母性の強いユウコ。優しい眼差しのユウコ。普段言えないことがたくさんあって、たまに抱え込みすぎてひとり静かにバスルームで泣いてしまう、ユウコ。

 

(それにしても、4年間よ?)

ユウコは今日に至るまでなんどもその問いかけをしてきた。4年間という時間が何を意味するのかも考えつづけていた。

 

4年間って言ったら、春が4回来て、冬が4回来て、ミチコがマー君と結婚をして、スズが子供を産んで、駅前のサンクスがFamily Martになった。しかも4年前っていったら「じぇじぇじぇ」が流行語になった時よ。今や誰も「じぇじぇじぇ」なんて言わない。なのに、その頃からあたしたち何も変わってないのよ。いつまでもコップについて論争を繰り広げているのよ。そんなのって、普通じゃない。

 

あたしはいままで何回、ダイスケにコップのことを言ったんだろう。
この先、ダイスケに何回コップのことを言うんだろう。

あたしはコップについて言及するためにダイスケと暮らしてるんじゃない。
これじゃまるで、コップおばさんよ。わたしはロッテンマイヤーさんのように厳しく生きたいんじゃない。あたしはただ、クララのように、ハイジのように、アルプスのもみの木のように、優しく、朗らかに、生きていきたいだけなのよーー。

 

こんな風にユウコは長い間思いつめていたのだけれど、耐えてきた。

けどその日だけは違った。

ユウコがサイゼリヤに来る1時間まえ。わたしがふらふらとサイゼリヤを探している頃。
ユウコは家に帰るとシンクに新しいコップが置いてあるのを見つけたのだ。

 

黄色地に、Happy Life と書かれたそのコップ。

ダイスケが、適当に買ってきたものに違いなかった。

 

洗うのが面倒になって、スーパーか何かで買ってきてしまったのだ。過去にも「I♡NY」と黒地に書かれたコップを買ってきたことがある。

そこでユウコのコップへの耐久ゲージがはち切れてしまった。

 

まただ。

まただまただまただ!!!

 

この人は、自分が洗い物をしたくないばっかりに自分のポリシーに背いたものすら買う。そしてあたしはまた、そのコップをしまう場所にこまる。コップはもう家に13個もある。あたしたちの体はたった2つなのに!  私たちがどれだけ一生懸命にお水を飲んでも、 1日にいくつものコップを使うなんて無理よ!  あたしは絶対に嫌。日本で買ったI♡NYでコーヒーを飲んだり、スーパーで買ったHappy Lifeに紅茶を注いでホッと一息ハッピーライフ☆したりするのは耐えられない。それどころか、数年後に生まれた子供たちがそのコップを使ってものを飲み、さりげなく撮った写真にひたすら映り込む「I♡NY」を何年間も憎々しげに見つめ、子供達が大人になる頃にはあたしも麻痺して「I♡NY」の茶渋がたくさんついたマグカップを使って緑茶を飲むようなおばあちゃんになっている・・・。そんな未来、ぜったい、嫌!!!

 

そうして、「ダイちゃん。あたしもうコップについて言うのやめたから」と小さく告げ、家を飛び出してきた。

 

ダイスケは「え?」と言ったきりで、ぽかんとしていた。ダイスケの手元には運が悪いことに、I♡NYがあった。

 

—わたしがこの家を飛び出ても、それでもあなたはニューヨークを愛するの?

 

そしていまユウコはコップを数個使って、ダイスケの気持ちを味わおうとしている。コップをたくさん使う気持ちなんてぜんぜんわからない、一つずつ使えばいいじゃないの、と思いながら、幾つかのコップを憎々しげに見つめ、ダイスケがなぜコップを洗うことができないのかを考えている。

 

ポンポンポポンポポンポンッ(ブーッブーッ)♪

ポンポンポポンポポンポンッ(ブーッブーッ)♪

 

きっと電話に出れば許してしまうだろう。

ダイスケが「おれ、ちゃんとするから」とか曖昧なことを言い、「おこらないで?」といつもの調子でいい、ユウコは「・・・約束だからね」とか言い、そしてまた1ヶ月後にはまた新しいコップが増えているはずなのである。

ユウコは葛藤している。コップを見つめ、葛藤している。
コップを洗えないダイスケを愛するべきか、それとも。コップひとつで4年間に終止符を打つべきか。

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と、こういう事情に違いない。わたしはユウコを応援したい。コップで悩んでいるユウコの携帯が何度も何度も鳴って多少うるさくても、わたしは嫌な視線を送ったりしない。ユウコ、がんばれと心でエールを送る。東京はそういう場所だ。まぁユウコが本当にそんなことで悩んでいるのか、はたしてこの女の名前はユウコなのか。本当のところは誰も知ることができないけれど。

人には人の、事情があるのだ。

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