もしも私が筋金入りの「ユニクロ原理主義者」だったら?

上田啓太 上田啓太


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私は服装にこだわりがない。

だから近所で買った服ばかり着ている。おもにユニクロである。ものすごく適当である。ワードローブにおけるユニクロの比率が非常に高い。

そんな格好をしていると、知り合いに言われた。

「おまえはユニクロ原理主義者なのか?」

ひどい言われようだが、そのときの私はユニクロのポロシャツ、ユニクロのスキニー、ユニクロの靴下を履いていた。ちなみにブリーフもユニクロだった(見えていないが)。自覚してなかったが、たしかに強烈なこだわりがあるように見える。ユニクロ原理主義者として生きているように見える。実際はたんなる手抜きなんだが。

本日は「ユニクロ原理主義者」について考えてみたい。

というのは、もしもユニクロ原理主義者を名乗るならば、私のような人間はまだまだ甘いと思ったからである。なにごとも徹底しなければ「原理主義者」とは言えない。全身ユニクロというだけじゃ、たんなるユニクロ好きだろう。「野菜好き」と「菜食主義者」に大きなちがいがあるように、「ユニクロ好き」と「ユニクロ原理主義者」も全然ちがうはずである。

ユニクロ原理主義者はどんな存在か?

では、どうすればユニクロ原理主義者になれるか?

ひとつめの条件は、TPOをわきまえずにユニクロを着ることである。「よく着てる」じゃなく「常に着てる」である。デートだろうが合コンだろうがユニクロである。結婚式も葬式もユニクロである。会社だって毎日ユニクロである。上司や友人や親戚に白い目で見られながら、全身ユニクロをつらぬくのである。

これは非常に大変である。だからこそ、「ユニクロ好き」から「ユニクロ原理主義者」への一歩を踏みだしたと言える。

しかし、これだけでは駄目である。たんに金のない奴のように見えるからである。よって、貯金が五億あろうがユニクロを着てそうな男にならねばならない。そのために、全身ユニクロの状態でシャネル、プラダ、ディオール、マルジェラなどに入店するのである。もちろん店員にも積極的に話かける。

たとえばディオールの店内で、

「ふーん、ここってユニクロ置いてないんだ?」

マルジェラで数十万する服を手にとって、

「がんばってるけど、まあユニクロの勝ちかな?」

最初のうちは顔が真っ赤になるだろう。だがこの修行を1000日ほど続けた頃には恥の感覚も消える。そのとき、もはやこの男にとって、ユニクロは皮膚の別名となるだろう。

だが、これでもまだ「原理主義者」と言うには足りない。そこに「思想」がないからである。

ユニクロ史観で歴史を見る

ユニクロ原理主義者は人類史にも言及せねばならない。「ユニクロ史観」で歴史を見るのである。

ユニクロ史観によれば、ユニクロは数万年前から存在していたという。人類が石器を片手に獣を追いまわしていた頃から、毛皮の腰まきにはユニクロのタグが付いていたのだ。さらに最新の研究によれば、人類は火を発見する以前からユニクロのフリースで暖をとっていたことも確認されているようだ。

むろん人類史の節目においては、重要な人間はみなユニクロを着ていた。ユニクロを着こなした者が歴史を動かしてきたと言ってよい。たとえばナポレオンは全身ユニクロで戦争に勝ちつづけ、「H&Mって結構いいじゃん」と思った瞬間に没落した。

日本の歴史も例外ではない。信長もユニクロを着ていたし、秀吉も着ていた。秀吉が草履をあたためていたという有名なエピソードは後世に捏造されたものである。実際の秀吉は、信長にヒートテックを渡すことで出世したのである。

こういうことを本気の目で言えるようになれば、本物のユニクロ原理主義者である。

ユニクロ原理主義者の活動

ユニクロ原理主義者たちはどんな活動をするか?

全身ユニクロで街を歩くのである。そして、ユナイテッドアローズやアーバンリサーチを着た人間を見つけるたびに、背後にまわりこんで「脱ぐか死ね」と言う。もはや自分が着るだけでない。他の人類がユニクロ以外の衣服を着ることすら許さないのだ。過激思想である。

ユニクロ原理主義者がH&Mを見つければ、「ひろし&みさえ」と落書きしていく。クレヨンしんちゃんを連想させることで、ブランドイメージを崩壊させるのである。

あとは、あちこちの無印良品に印をつけてまわる。

ユニクロの子を身ごもる

ユニクロ原理主義者たちの活動は地道なものだ。

だがある時、ユニクロ原理主義者の女が子供を身ごもることで、事態が次の段階へと進むだろう。この女は、ユニクロのことを考えすぎたあまりに、ユニクロの子供を身ごもったのである。

赤ん坊はユニクロの試着室で産み落とされる。へその緒にはユニクロのタグが着いている。これは文句なしに、「神の子」である。当然、他の子供たちとはまったく違っている。五歳のときに子供は不思議な能力に目覚める。手にふれるだけで、あらゆるものがフリースになるのである・・・。
 
 
このへんで終わりにする(キリがないので)。

とりあえず、ここまでいければ、「ユニクロ原理主義者」と言っていいと思う。そう考えると、たんにユニクロを着てただけの私は論外である。精進しなければならない。まずは近所の無印良品に印をつけるところから。

街角のクリエイティブ ロゴ



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