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シン・ゴジラ【連載】田中泰延のエンタメシン党

田中泰延 田中泰延


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今日からシン党。

映画「シン・ゴジラ」

 
 
ふだん広告代理店でテレビCMのプランナーやコピーライターをしている僕が映画や音楽、本などのエンタテインメントを紹介していくというこの連載。
 
 
「かならず自腹で払い、いいたいことを言う」をルールにしているのですが、相変わらず間があきました。参考までに去年の年明けから8月末までに何本映画コラムを書いていたか。数えたら14本でした。今年はこれでまだ4本目です。大発見です。2016年は時間の進み方が3.5倍になっていることが立証されました。
 
  
さて、前回「レヴェナント:蘇りし者」の回の最後に、次回はドキュメンタリー映画「FAKE」を観に行きます、と書いたんですが、

http://www.fakemovie.jp/images/index_main.jpg
出典:映画「FAKE」公式サイト

 
観に行きました。面白かったです。おしまい。
 
 
いや、いろいろ書きたかったんですけどね、敬愛する「燃え殻」さんがこう書いてたんです。
 


 
こう書かれたら書くことないので、いいんじゃないかと思いました。
 
 
てなわけで、観に行ったのはこちら。

映画「シン・ゴジラ」予告1

Reference:YouTube

映画「シン・ゴジラ」予告2

Reference:YouTube

もうね、まったく期待してませんでした。この予告篇、2本が2本とも、なんとなくダメ感を出していました。ゴジラはあんまり怪獣らしく暴れてないし、なんだか政治家が会議ばっかりしてる風だ。
 
 
これはきっとアレだな、ちゃんとした映画じゃなくて、「THE NEXT GENERATION パトレイバー」みたいな、あえて本論から逃げた“ ハズシ芸 ”に違いないと。
 
 
あと、もうゴジラ復活に懲り懲りしてたのもあるんですよ。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71J46mlpqHL._SL1174_.jpg
出典:amazon

 
一昨年、2014年のギャレス・エドワーズ監督の「GODZILLA」。悪くはないんだけど、いや・・・これ、ゴジラ? 熊ちゃうん? それから何回観てもこれに出てくる渡辺謙、なにやってる人かわからない。加えて、やっぱり原子力とか放射線のことをアメリカ人は舐めてないか? ましてや1998年ローランド・エメリッヒ版のゴジラなんかもうあのイグアナの写真を貼るのすらイヤなので貼りません。
 
 
ということでさっぱり期待していなかった怪獣映画です。しょうもなさそうだけど、公開2日目、とりあえず観てみました。映画館、すいてました。
 
 
それから3週間。どうなったか。わたくし、映画「シン・ゴジラ」、まだ4回しか観ておりません。本当に申し訳ございません。3週間あれば21回は観られるのに会社の仕事などして本当にすみません。すいてた映画館は1回ごとに人が増えて、今では満員です。
 
 
これ、怪獣映画じゃなかったです。あ、やっぱり怪獣映画でした。
 
 
4回しか観てない身分であれこれ言うのはおこがましいかぎりですが、なんだかんだ言ってしまいには書かせていただきます。ちなみに「なんだかんだ言って」と言う人はそれまでその話題に一言も触れていなかった人なのです。そして「しまいには怒るぞ」という人はもう怒っているのです。
 
 
総監督は庵野秀明。「エヴァンゲリオン」のという説明はいまさら不要なんじゃないでしょうか。 
 
 
出演者は膨大なんですけど328人だそうです。

http://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/08/051.png
出典:「シン・ゴジラ」オフィシャルサイト

 
 
前田敦子まで出ています。3回目観た時「ああ、あっちゃんだ」と思いました。CGのゴジラの動きは野村萬斎がやってるのもややこしや。
 
 
ほんとにメインといえるキャストは3人。長谷川博巳、竹野内豊、石原さとみ。監督との写真がありました。

http://m.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/07/20/jpeg/G20160720012999560_view.jpg
出典:スポニチ

 
 
石原さとみはあとでカヨコ・エン・パラースン問題として浮上してきます。
 
 
さて、この映画「シン・ゴジラ」。公開3週間で、これほどまでに莫大な、膨大な言説があふれた映画があったでしょうか。ためしにネットで検索してください。もう、ありとあらゆる人が、ありとあらゆる言葉で、ありとあらゆる立場で、ありとあらゆる観点で語って語って語っているのです。1本の映画に関してこんな光景は初めて見ました。
 
 
昨年の「マッドマックス 怒りのデス・ロード」でも日本中に議論が乱立した記憶があります。みんな細かいところまでよく見ていて、水耕栽培農家の視点から見る「マッドマックス 怒りのデス・ロード」などという行くとこまで行った記事もありました。
 
 
今回も、エヴァの話は言うに及ばず、特撮映画論、災害論、原発論、政治論、軍事論、その他ありとあらゆる論争が巻き起こっています。
 
 
ゴジラにビルを破壊された三菱地所、損害額は1兆円超か

もしゴジラが上陸したら? 現役自衛官たちが真剣に考えてみた

石破茂元防衛相「ゴジラに対する自衛隊の防衛出動は理解できない」
 
 
元閣僚までが言及、まったく議論はとどまることがありません。
 
 
そして「傑作だ!」という評判も公開第2週目ぐらいには大合唱になってきました。これは、僕と同じように「期待しないで観た人」が多かったからでしょう。観に行く人たちの順番とメカニズムがあります。
 
 
【期待しないけど観よう⇒なんだこりゃ傑作だ!⇒そういう評判なので行った⇒いまいちよくわかんなかった】
 
 
これはエベレット・M・ロジャース教授が1962年に提唱した
 
 
【イノベーター⇒アーリーアダプター⇒アーリーマジョリティ⇒レイトマジョリティ】
 
 
という、つまり・・・ごめんなさい賢そうなこと言おうとしたけどわけわかんなくなりましたすみません。こういうのを衒学げんがくといいます。
 
 
で、売り切れ続出で話題になったパンフレットにもわざわざ「ネタバレ注意」という封がしてあるぐらいなのですが、Wikipediaはどうなっとんねんアレ。ひどいです。すべて書いてあります。ですが、こちらではそんなにハッキリとは書かない方針で行きましょう。なぜかというと、まだ観てない人に、僕と同じように「なんじゃこりゃ」と思ってほしいからです。
 
 
さて。映画「シン・ゴジラ」、物語は東京湾に浮かぶ一隻の船の描写から始まります。そこにアクアラインで原因不明の事故が発生。それに緊急対応する政府、その中枢にいる内閣官房副長官・矢口蘭堂(長谷川博己)と内閣総理大臣補佐官・赤坂秀樹(竹野内豊)の動きが中心に描かれます。この二人は、政治家ですね。与党から選挙に立候補し、若くして政権の上層部にのぼっているわけです。
 
 
しかしアクアラインの事故は、どうやら巨大不明生物のしわざでした。大田区の川を遡上してくる巨大不明生物。しかしなんで蒲田なの? なんで呑川なの? 俺、昔、梅屋敷に住んでた女と喧嘩して呑川に指輪捨てられたんだけど。あとこないだ呑川沿いの工場でCM撮影したんだけど! そんな呑川を壊すのやめて! 俺が作ったCMが放送中止なるわ!
 
 
でも、怪獣映画らしくなってきた! なかなか全体が見えないけど、こいつ要するにゴジラだよね! はやく顔見せて!
 
 
えっ・・・? お前、誰?

http://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/08/07.jpg
出典:映画「崖の上のポニョ」公式サイト

 
 
お前・・・誰やねん?

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/z/za-zdorovie/20040814/20040814171831.jpg
出典:スタジオジブリ

 
ええ、ネタバレじゃないです。でも観た人ならわかるんです。
 
 
この映画は、あまりにも重層的な詰め合わせみたいになってるので、観た人は、必ずなにかの具材に関してネタバレを喋りたくなります。早く日本国民全員が鑑賞完了することを切に願います。
 
 
そこで今回は、4回観た僕の、なぜそんなに観たくなったのかを中心に書きつつ、なぜそれほどまでに語るべきポイントがあるのかも書いていきたいと思います。いろんな方の意見になるほどと思い、そのたびに一次資料に当たりつつ、「なるほどそうだろうな」と感心したことも挙げつつです。「俺様が発見した!」とかじゃありません。
 
 
【ポリティカル・フィクション問題】

http://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/08/33.jpg
出典:「シン・ゴジラ」オフィシャルサイト

「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」というキャッチフレーズの通り、この映画は災害シミュレーション。政治劇が中心。めまぐるしく出る肩書きテロップ、超早口の会話、これはことこまかに追う必要なし。誰もが指摘しているが庵野秀明が岡本喜八監督版の映画「日本のいちばん長い日」を意識した会議劇。そして滑舌悪く、何言ってるかわからん役者たち、これ、黒澤明。
 
 
そして現在の日本で怪獣という虚構で観客にリアリティを感じさせるには、地震、津波、そして原子力の恐怖、不安を描くしかない。これは正しいフィクションの作り方。
 
 
ただ、それはお膳立てであって「怪獣をあくまでメタファーにしてそのことをメッセージしているのだ!」という意見は例によって自分の叫びたいことを映画に見つけて、それみたことかと言ってるだけであり、クソリプもいいところ。ゴジラはゴジラです。いないだろ。
 
 
だが「対馬であやしい動きが」とか、最後は廃炉作業そのものだったり、まぁ、細部に宿るディティールこそ、「遊び」のための仕掛けですね。
 
 
映画と現実がごっちゃになる倒錯の感覚、これこそよくできた作り話な訳で、日本対虚構という「遊び」。この映画を見て本気で政治的な議論する人、ゴジラ連れてこいと言いたい。
 
 
また、後半の、プロジェクトX的ガイアの夜明け的プロフェッショナル仕事の流儀的な展開を「日本はまだやれるというメッセージ」だとか「どうせやれないから嘘っぱち理想論」だとか議論しだすとまた薄っぺらい批判になってきます。これも、フィクションにシミュレーションを混ぜて盛り上げるためには何を使うか? というエンタテインメントの手段そのものだからです。
 
 
で、有害鳥獣駆除という名目で自衛隊が出る、米軍が来る、「巨大不明生物特設災害対策本部」(巨災対)ができる、という流れですが、ほんとは有害鳥獣にはまず猟友会でしょう。なんで頼まない。
 

また、膨大な役者のなかには何故この人、という狙いの人が多すぎて笑える。御用学者に「ゆきゆきて、神軍」の原一男監督がいたり、巨災対に「鉄男」「野火」の塚本晋也監督がいたり、庵野秀明、へんな組み合わせを楽しみすぎです。きわめつけは嶋田久作、あんた東京滅ぼすつもりやろ加藤保憲やろとツッこみたくなるのは人情というもの。
 

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71MHPu%2BGVAL._SL1024_.jpg
出典:amazon

しかし、いわゆる内閣総辞職ビーム問題に関しては、閣僚が全員同じヘリコプターに乗るのは間違いですねと言いたい。柄本明には内閣官房長官なんかやってないでもう一度MOGERAに乗ってゴジラと戦ってほしかった。
 

http://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/08/12.jpg
出典:映画「ゴジラVSスペースゴジラ」

 
【絶望問題】
 
「ひとたびゴジラが暴れ狂うとき、私たちはまったく無力であります」これは「ゴジラの逆襲」(1955年)のアナウンサーの台詞です。
 
 
今回、ゴジラはちゃんと神です。荒ぶる神。しかし、最初から神のようにテクテクと歩いて出てこないように、庵野監督はあっとおどろくポニョな仕掛けをしました。
 
 
またこれ、昔のゴジラを知る人によく訊かれるのが「ゴジラって人間の味方なの?」ってやつですが、そもそもゴジラってばそんな甘いもんじゃございません。それはのちのち堕落したゴジラです。ギャレス・エドワーズのハリウッド版ゴジラもちょっと堕落してました。そんないわゆる「フレンドリーなゴジラ」の親しみを断ち切るための工夫でもありました。
 
 
また、この映画では【ミリタリー問題】も秀逸です。自衛隊の作戦、武器装備弾薬、いちいちが正確な描写、しかしあらゆる攻撃が目標に当たっているのにまったく効果がありません。しかもほとんど攻撃に対してリアクションをしない。無視です、無視。ゴジラガン無視。そこがいい。相手にしてない、関係ない。
 
 
これもよく訊かれるのですが、「ゴジラってなにしに来るん?」ですが、なんにもしないんです、ただ、歩くだけ。
 
 
火みたいのを吐いたり、街を壊したりするのは、攻撃ではなく「邪魔だから」「苦しいから」「いらいらしてるから」「攻撃されたから反射的に」なんですね。そう、ゴジラは、「いらいらしてる」んですよ。
 
 
そして運命の時を迎えます。
 
  

http://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/08/13.jpg
出典:映画「伝説巨神イデオン 発動篇」

 
ネタバレじゃないですよ。イデが発動するんです。ここで僕はもう、心の底から泣いてしまいました。声を出して泣いた人も映画館にたくさんいました。いまも思い出して僕ちょっと泣いています。
 
 
完全なる絶望、絶望、絶望。我々の、あの3月の寒い夜、それぞれが布団の中で泣きました、その思い出がよみがえります。

 

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/6b/02c1061fd3dd13241eba53cb2e2df797.jpg
出典:gooブログ

 
僕、もう、みんな死んでここで映画終わりかと思いました。
 
 
でも、ここからなんです。
 
【sin(罪)・ゴジラ問題】
 
いろんなメッセージを映画に読み取るのは、観る側が勝手にそこに「物語を見たい」からかもしれません。なのでどんな感想も評論もただの解釈です。それにしてもゴジラは神としか言いようがない。人知を超えている存在として描かれているからです。そして神を見る行為は、常に見る人の罪の意識に関わっています。裁きの問題です。
 
 
この映画では、ゴジラ自身が苦しんでいます。自らの姿に、熱に、苦しむ姿です。制御できないなにか。恨みのような、悲しみのような。
 
 
シン・ゴジラは「sin(罪)・ゴジラ」でもあります。ゴジラは、1954年に登場したときから、人間の罪そのものであり、それが巨大なかたちを取り、目の前に現れるという意味で、まさしく神なのです。裁きなのです。
 
 
【初代問題】

 
さて、フィクションはフィクション、あんなでっかい化け物はノシノシ歩きません。ただ、そういう恐怖をリアルに感じる出来事が、最近あった、というのは1954年版の初代ゴジラと「シン・ゴジラ」は同じ状況ですね。
 
 
東京が空襲されて焼け野原になった9年後にまた得体の知れない化け物に同じことをされるという恐怖。初代「ゴジラ」はモノクロ映画でしたが、日本人には血の色が鮮やかに記憶に残っていたんでしょう、「ゴジラは赤い」と思った人が多かったようで、今回のゴジラが赤いのはそこにも理由があるとのこと。
 
 
 
 
 
 
 

中略


 
 
 

もう、こんな調子でやってたら10万字あっても足りません。あとは箇条書きで行きます。

 
 
 
 
 
 
 
 
【空想科学特撮怪獣映画問題】
 

前半はシミュレーションモード、後半は特撮オマージュモード

 
 

島本和彦の漫画『アオイホノオ』、そしてそのテレビドラマ版でも取り上げられた、庵野秀明が大阪芸大時代に作った「庵野ウルトラマン」そしてDAICON FILM用の「帰ってきたウルトラマン」を改めて観ても、庵野秀明がやりたいことは一貫して同じ。びっくりするぐらい同じ。庵野秀明はとにかく「デカいものがノシノシ」したいんです。建物壊したいんです。会議したいんです

  
 

その後の「エヴァ」も特撮的なカメラアングルをアニメに持ち込んでいる。要するにアニメでゴジラ、ウルトラマンをやっている。その庵野がついにゴジラを実写で・・・感無量

 
 

そして何より特技監督・樋口真嗣! DAICON FILM「八岐之大蛇の逆襲」(ああ! はじめからヤシオリじゃないか)以来庵野秀明とはエヴァの「まごころを、君に」「巨神兵東京に現わる」そしてとうとうゴジラですよ。樋口真嗣は平成ガメラ3部作で「大きいものを大きく見せる」ことを極めたと思う。ほんとは樋口真嗣の話だけで1万字は軽いです。東日本大震災の時にはヤシマ作戦のロゴを作ったのも忘れちゃだめです。んで、まぁ電車ね。ここで「進撃」の話をするほど野暮じゃないです。今回、樋口さんは最高の仕事をしましたね

 
 
【皇居問題】
 

ゴジラは皇居は踏まない。初代も、今回も

 
 

『戦後史開封』(産経新聞社)の中で映画「ゴジラ」の音楽を担当した伊福部昭は「ゴジラは海で死んだ英霊のような存在ではないか。ゴジラが国会議事堂などをつぶすのは、その象徴のような気もします。」

 
 

川本三郎は『今ひとたびの戦後日本映画』のなかの『ゴジラはなぜ「暗い」のか』でゴジラ戦没者の霊魂論を展開

 
 

宝島社の『怪獣学・入門!』における赤坂憲雄『ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか?』「ゴジラは太平洋戦争で命を散らした兵士たちの化身であり、祖国への恨みを背に東京を蹂躙する。だが皇居だけは踏むことはできない」

 
 

今回も東京駅までは来たんだけどね〜

  
 
【84ゴジラ問題】

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71B-aJmuH7L._SL1156_.jpg
出典:amazon

 

「シン・ゴジラ」は、84年版「ゴジラ」から考えを進めた形跡も多い

 
 

「ゴジラは船から始まる」の踏襲

 
 

「牧吾郎」という名前。ただし田中健演ずる新聞記者で、今回の「牧悟郎」とは名前が近い以外関係ない

 
 

ゴジラは何しにきたかわからず三原山で親指立てて溶鉱炉。それをみて総理は泣くわ夏木陽介は泣くわの日本人が生き物に対して感じる「可哀想」という感情の発露、ゴジラは日本人われわれ自身という感覚の提示

 
 

大国との関係、世界の中の日本を描くという点では「シン・ゴジラ」の下敷きとも言える。小林桂樹扮する総理が米ソの大使に「もしワシントンやモスクワにゴジラが現れたらあなた方は核兵器を使いますか」と聞き、使用を回避する、しかし「シン・ゴジラ」では「ここがニューヨークでも同じ判断をするそうだ」

 
 
【天皇不在問題】
 

皇居踏まない問題のほかに、この映画には天皇が不在だという議論があるが、最後の作戦をみてみよう

 

http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F772088&contentNo=31&outputScale=4
出典:国立国会図書館デジタルコレクション – 古事記. 上

 

八塩折の酒も出てくる、天羽々斬つまりここに書いてある十拳剣も出てくる。いるじゃないですか、天皇

 
 

民のため、荒ぶるものを鎮めるのは天皇の仕事。鎮められ、祀られたものはこの国では神社になり、街中にそれを置いたまま私たちの生活はある

 
 
【寝・ゴジラ問題】
 

ゴジラ、意外や意外、よく寝ます

 
 

ゴジラになれるジェネレータも登場してるんですが

あなたもゴジラになる。シン・ゴジラ~

これをやるといかにゴジラはキビキビ動けないかわかる。最後もグースカ寝たとこへ女子大生の新歓コンパみたいに飲ませてからに。お前らはスーパーフリーか。ゴジラ、イビキもかかないし、寝返りもしないからこんな目に遭わされるんや

あんなに寝てるんなら坐薬にしたらよかったのに

 
 

そういや84年版の「ゴジラ」もよく寝てました

 
 

よく寝ます。寝・ゴジラ

 
 
【アメリカ問題】
 

初代ゴジラ以降、日米安保はどうなってんだと思うことが多かったが、今回はアメリカとの関係をハッキリさせている

 
 

「戦後は終わってない」ということ、「属国である」ということから物語は逃げていない

 
 

これはすなわち米軍の管轄下に日本が置かれる「エヴァンゲリオン」の続編

 
 

その「エヴァンゲリオン」ではエヴァ量産型を投下した一機2000億円のB2爆撃機はゴジラに3機落とされる

 
 

そしてついにカヨコ・エン・パラースン問題

 

http://news.walkerplus.com/article/83277/470687_615.jpg
出典:walkerplus

 

「tradeして」 は「トゥルェエドして」でウィンウィン

 
 

名前の由来は、安野モヨコ「ハッピー・マニア」の主人公カヨコ

  

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51F0C0FW2JL._SX335_BO1,204,203,200_.jpg
出典:amazon

だがカヨコの存在は超重要。支配と被支配、対立と協力、男と女、2世と2世、原爆・・・アメリカと日本をつなぐ脚本上の設定は考えても考えてもこれしかない。完璧

 

なにより石原さとみのためなら僕死ねる

 
  

もっともっと重要なのは前半のシミュレーションの緊張、そして絶望のシーンで落ち込んだ観客を笑いに誘い、その勢いで最後の特撮大会に違和感を感じさせないその役割

 
 

日本とゴジラとアメリカは、この漫画みてください

 

http://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/08/21.jpg
出典:藤子・F・不二雄(1969年)『ドラえもん』

 
【牧悟郎問題】
 

何度も書くがゴジラは船から始まらなければいけない

 
 

グローリー丸は初代ゴジラの栄光丸

 
 

船に残されてた本は、宮沢賢治の『春と修羅』

 
 

牧悟郎の心は「おれはひとりの修羅なのだ」

 
 

牧の設定、物語はものすごく長いはずで、それはしっかり書かれてるはず

 
 

彷彿とさせるのは「機動警察パトレイバー the Movie」、すでに死んでいる者が事件の重要な情報を握っている話、「機動警察パトレイバー2 the Movie」、法に縛られた自衛隊で部下を失った男が東京でテロを起こす話

 
 

牧悟郎は大戸島生まれ、「呉爾羅」の話でここで初代と繋がる

 
 

博士自身は行方不明というか靴は揃えられていたので覚悟の行動

 
 

妻は原子力に殺された、と

 
 

わかりやすい推論としてはゴジラを作りゴジラを東京湾に放ったのは牧悟郎?いや博士自身がゴジラ?それとも妻がゴジラで、妻に食べてもらった?

 
 

残された地図の印は自分が上陸するルート、置かれたサングラスは碇ゲンドウ、碇は妻の死をきっかけとして人類補完計画

 
 

矢口蘭堂のセリフ「牧・元教授はこの事態を予測していた気がする。彼は荒ぶる神の力を解放させて、試したかったのかもしれない。人間を、この国を、日本人を。核兵器の使用も含めて、どうするのか『好きにしてみろ』」

 
 

折り鶴のヒントはアパホテルかと思いました

  

 

シッポ問題はもちろん牧悟郎のDNAだし人間型だし増殖する気まんまんだし空飛ぶ気まんまんだし

 
 

牧悟郎は手塚治虫「火の鳥 宇宙編」の「牧村五郎」説。宇宙船は牧村五郎の自殺によって事故に遭う。牧村は何度でも何度でも大人と子供の生命を繰り返す存在。牧村を何度刺しても、牧村は死なない

 
 

牧悟郎「ウルトラマン」のジャミラ説。宇宙飛行士ジャミラが事故によって水のない惑星に不時着し、怪獣と化した。最後は国際会議場の万国旗を潰し、赤ん坊の泣き声に似た断末魔の叫びを発して絶命する。死体は科学特捜隊が埋葬して墓標を建てるが、イデ隊員は「犠牲者はいつもこうだ。言葉だけは美しいけれど」

  

http://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/08/26.jpg
出典:YouTube

 

牧悟郎に関しては、もう鳥貴族で閉店まで僕らが話せるようにしてくれたとしか思えません。庵野秀明、めんどくさいぞありがとう

 
【音楽問題】
 

ゴジラのテーマ、「ドシラ ドシラ ドシラ ソラシ ドシラ」この映画でもオリジナル音源が使われている。これ、「伊福部昭が原子爆弾への恐怖、迫り来る巨大な物のイメージを旋律にした」とか「ゴジラを音にしたからドシラ」とか適当なこと書いてる評論あるが、1948年の映画「社長と女社員」のテーマ曲の使い回し

 

Reference:YouTube

もっというとラヴェル作曲の「ピアノ協奏曲ト長調」の第三楽章。伊福部昭が好きだった。これの2分55秒のところから

Reference:YouTube

 

また、みんな大好き「宇宙大戦争」、100分連続でどうぞ

 

 

これ、庵野秀明監督が大阪芸大時代に作った「じょうぶなタイヤ!」。とうとう劇場用映画でぶちかましました

Reference:YouTube

そんな伊福部節も炸裂するが、なんといっても今回の鷺巣詩郎の音楽はすばらしい。サントラもちろん購入。なかでも、このメインの2曲の旋律と、また歌詞が素晴らしい

 
 

メインテーマの「Persecution of the masses」は「罪なき者を責め給うな」と「神であるゴジラ、そして我々の罪」を暗示する

 

“ Persecution of the masses ”
 
Sacred blessings count for nothing 
 
Oh God give us your protection
 
Let no blame lie at the innocents
 
Who have prayed
 
If your high praise is all we have
 
Let us not be without you
 
 

絶望絶望絶望シーンに流れる悲劇のテーマ、「Who will know」は男女の掛け合いで牧博士と死んだ妻の会話のようにも取れる。それにしても絶望絶望絶望シーンをこの曲で包んだ演出のすごさたるや。すごい、すごい、すごい。また泣いてきた

 
 
“ Who will know ”

If I die in this world who will know something of me

I am lost, no-one knows, there’s no trace of my yearning

(But I must carry on, nothing worse can befall

I am lost, no-one knows, there’s no trace of my yearning

(All my fears, all my tears, tell my heart there’s a hole)

I wear a void

(As long as breath comes from my mouth)

Not even hope

(I may yet stand the slightest chance)

A downward slope

(A shaft of light is all I need)

Is all I see

(To cease the darkness killing me)
 
 
あえて翻訳しません。ぜひ映画を観てから歌詞を読んでほしい
 
 
これ、リュッケルトの詩にマーラーが曲をつけた『私はこの世に忘れられて』 も彷彿。映画「バードマン」のなんともいえない悲しいシーンにもやはり歌曲。

 
私はこの世に忘れられた/この世で無駄な時を過ごし/誰も私を気にせず長い年月が経ち/きっと思われているだろう/私は死んだと!/私には関係ない/たとえ死んだと思われようと/私は静かな世界で安らぎ/たったひとりでいる/私だけの世界に/私だけの愛に/私だけの歌に
 
 
【作家性問題】
 

予告篇、最悪なのはわざととしか思えない

 
 

本当にすごいところは一切見せない予告篇。本篇をみてから今観たら逆に完璧じゃないかと思える隠しぶり

 
 

同じ一人の作家なんだからエヴァ云々はあたりまえ

 
 

エヴァの次の劇場版タイトル「シン・エヴァンゲリオン」にも同じ「シン」を使う予定ですと

 
 

だからデーンデーンデーンデーンドンドンなのはあたりまえ

 
 

エヴァとの重なりを挙げていくと鳥貴族でメニュー全種類食べてしまうほど時間が経ってしまうのでダメ

 

 
・・・。さて。以上のようなことは、この映画に詰め込まれまくった、語っても語っても尽きない話のごく一部で、とっくにネット上や飲み屋でみなさんが見つけまくっている話でして、みんな大好き【電車問題】そんなにすごかったのか在来線という話で盛り上がりますし、ほかにも【余貴美子防衛大臣問題】とか市川実日子【尾頭さん「笑えばいいと思うよ」問題】とか、【ニンニクラーメンチャーシュー抜き問題】とかもう、きりがないんですが、それが面白くて4回も観て、できたらあと6回は映画館で観たいと思っているわけではないんです。(ちょっとあるけど)

 
なぜまた観たいか「シン・ゴジラ」? 僕は何度見ても号泣してしまうんです。何度見ても最後には立ち上がって拍手したい。「ブラボー!」と叫びたい。
 
 
なぜそんなに好きか「シン・ゴジラ」? 4回観て気がつきました。この映画は、僕の大好きなオーケストラの交響曲の構成になっているのです。
 
 
第一楽章 出現(主題の提示)
第二楽章 絶望(葬送行進曲)
第三楽章 希望(スケルツォ)
第四楽章 歓喜(勝利の凱歌)
 
 
第一楽章 出現 〜主題の提示〜
 
何かがあらわれます。交響曲(シンフォニー)では突然かき鳴らされ、提示されるメロディであり、音の圧力です。想定外で、巨大で、不明なものです。そしてそれは「生き物だからな」なんです。それは外からやってきたものなのか、我々自身なのか。それはしかし、じつは私たちが直面すべき主題そのもの、人生そのものと向き合う瞬間です。
 
 
第二楽章 絶望 〜葬送行進曲〜

提示された人生の真実は、死そのものでもあります。私たちはいつか必ず危機に直面する。死に直面する。これはビンビンに伝わるのですが、庵野監督は死に直面したのです。一度死んだのです。燃え尽きる我々の肉体、完全なる絶望、絶望、絶望。何回も観てるのに、心の底から泣くでしょう、ここは。我々はあの東京の街と、そしてゴジラ自身と、共に死ぬのです。熱的死、静的死。交響曲の第二楽章は葬送行進曲のかたちを取ります。われわれは一度、死ぬのです。
 
 
第三楽章 希望 〜スケルツォ〜
 
しかし、希望の音が聴こえてきます。シンフォニーの3つ目の曲は、死の淵の底から、その向こうから、再びこんこんと沸き上がる生への躍動です。リズムは変化し、ユーモラスなメロディが響き、私たちの知恵が、勇気が、ユーモアが、そこに戻ってきます。オーケストラが鳴らすこの音は、スケルツォと呼ばれます。人生には乗り越えるべき問題があります。そして人間は一人ではないのです。仲間がいるのです。「最後まで見捨てずにやろう。」そうです。最後まで。
 
 
第四楽章 歓喜 〜勝利の凱歌〜
 
オーケストラはいちど、あの恐ろしい、外なる、そして内なる敵を振り返り、そして最後の力で爆音を放ちます。指揮者は懸命に指揮し、演奏者は力一杯楽器を弾ききります。人間が、知恵の限りを尽くし、あらゆる感情を込める音。それはすべてに打ち克つ勝利の凱歌です。不安を、恐怖を、内なる敵を破る瞬間、わたしたちは蘇ります。もちろん、それは夢想かもしれません。ファンタジーかもしれません。涙してコンサートホールを一歩出たわれわれにはまた、そこに凍り付いたままの人生の巨大な困難が立ちふさがっていることを知るでしょう。
 
 
しかし、しかしですよ!
 
 
それを観る前、聴く前、知る前となにかが違う。なにかの希望が、なにかの勇気が、手に握りしめられている。
 
 
私たちは、一度死んだ。神を見た。震えた。何かを信じた。真実を知った。そして新たに生まれ変わった。これはシンフォニーだ。それが「シン」でしょう。
 
 
それが誰かがなにかを創る理由でしょう。私たちがなにかに触れる理由でしょう。観る前の僕とは、なにかが違う。庵野秀明はやった。それをやった。僕は観た。それを見た。
 
 
「シン・ゴジラ」は僕が宝物にしている交響曲たちと同じ心の棚に入りました。わかります? 僕この原稿を書き終えるのが寂しいんですよ。
 
 
おどろいた泣いた叫んだ拍手した。誰かと誰かが、無限に話せる。みんながみんなの観点で「めちゃくちゃ語ることができる」この映画が、今日も日本中のスクリーンで掛かっていて、いまも2時間おきにあの絶望と歓喜を繰り返しているのかと思うだけで胸がいっぱいになります。
 
 
「怪獣とか興味ない」って人、これ、違いますよ。いや、そうなんだけど、違うんです。興味ないって言う人にこそ見てほしい、話したい。
 
  
もう、ネタバレを気にせず語れる社会の実現こそが僕の目標です。早く日本国民全員が鑑賞完了することを切に願います。

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