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「運び屋」イーストウッド妄想インタビュー※このインタビューはフィクションです

宮下卓也 宮下卓也


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映画「運び屋」を劇場で観てから、クリント・イーストウッドの過去のインタビュー記事をWebや書籍で読んでいるうち、「イーストウッドに話を訊けたらいいだろうなぁ」なんて思うようになった。いつしか頭の中で妄想は膨らみ、気がついたら彼にいろいろ質問をぶつけている自分がいた。こんな風に。

 

宮: は、はじめまして。宮下卓也と申します。

 

イ: Welcome. リラックスしてくれ。

 

宮: あ、はい。ありがとうございます。

 

イ: 私は日本が大好きだ。私が1960年代に出ていたTVドラマ「ローハイド」は日本でも大人気だった。

 

宮: ウチの親父がよくフランキー・レインの主題歌を歌っていましたよ。♪ ローレン、ローレン、ローレン!

出典:YouTube

イ: それから、1970年代に映画を撮り始めた頃、アメリカの批評家たちは私の映画を評価しなかった。ところが日本やフランスの批評家たちは私のことを高く評価してくれた。今の私がこうしていられるのは、彼らのおかげなんだ。

 

宮: 1992年のアカデミー賞受賞作「許されざる者」以降のあなたしか知らない人々は、あなたの評価が低かったなんて、信じられないでしょうね。


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出典:IMDb

イ: 日本を舞台にした映画も撮ったことがある。

 

宮: 「硫黄島からの手紙」(2006年)ですね。ハリウッドで実績のあった渡辺謙はよかったですし、「嵐」の二宮くんはじめ、日本パートはすべて日本人が日本語を話すという、(当たり前のようで)アメリカ映画としては異例の映画でした。


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出典:IMDb

イ: ハリウッドでは、古代ローマの貴族だろうが、ナチスだろうが、みんな英語を話すからね(笑)あの映画は日本語でなければダメだったんだよ。

 

宮: 今日は映画「運び屋」の話をメインに、いろいろ伺えたらと思っています。

 

イ: 遠慮なく、なんでも訊いてくれ。

 

宮: あ、はい、では、そうですね、まずあの第一印象といいますか、えと、山田康雄さんとはだいぶ声が違うんですね。

 

イ: ??

 

宮: だから吹替を栗田貫一さんに引き継ぐ必要は、

 

イ: お前は何を言っているんだ?


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出典:IMDb

 

宮: ひぃ!

 

イ: いいか若造。オレの内ポケットにはマグナム44っていう世界一強力な銃がある。お前の頭なんぞ一発で吹っ飛ぶぞ。

 

宮: ダ、ダーティハリーだ!!

出典:YouTube

イ: 世界には二種類の人間がいる。銃を持つ奴と穴を掘る奴だ。

 

宮: そ、それは「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」!

出典:YouTube

イ: おい、冗談だよ。

 

宮: いやぁ、本物からその台詞を聞けるとは…… しかし、セルジオ・レオーネ監督の「マカロニウエスタン三部作」と、ドン・シーゲル監督の「ダーティーハリー」は、あなたを大スターにするきっかけとなった映画ですよね。

 

イ: そうだ。それだけではなく、ドンとセルジオからは映画の作り方を学んだ。自分が出演しないシーンでも、現場には顔を出していたよ。

 

宮: だから「許されざる者」はこの二人に捧げられていたんですね。ドン小西とセルジオ越後とは大違いですね。

 

イ: Do you feel lucky ?


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出典:IMDb

宮: ひぃいいいいいいいいい! ダーディーハリーが銃を撃つときの決め台詞! こ、これは興奮して悶絶して失禁して失神しそうです。いや少し失禁しました。

 

イ: お前はマゾか?

 

宮: いやいやいや。あなたほどでは。

 

イ: ?

 

宮: あなたの監督デビュー作「恐怖のメロディ」(1971年)は、女性にいたぶられるストーカー映画のはしりです。「危険な情事」(エイドリアン・ライン監督 1987年)よりはるか前にそんな作品をとっている。ほかにも「白い肌の異常な夜」(ドン・シーゲル監督 1971年)では複数の女に痛めつけられ、「タイトロープ」(1984年)では縛りつけられ、もう被虐願望があるとしか思えない。

 

イ: まぁいい、そんな話は。

 

宮: あ、スイマセン、脱線してしまいました。

 

イ: いや、脱線は構わない。「運び屋」の主人公は、麻薬を運びながら寄り道ばかりしていた。

 

宮: あぁ、話が戻ってきた。では「運び屋」について伺います。まずタイトルですが、原題は「The Mule」、これはええと(スマホで検索する)、

 

イ: この映画の主人公アール・ストーンなら皮肉を言うところだな。「お前たちは何でもインターネットに頼る」

 

宮: あぁ、「運び屋」に面白いシーンがありましたね。何もない荒野の道路でパンクして困っている黒人の家族。タイヤを交換したいんだけど、やり方がわからないのでスマホで検索しようとして、電波が届かなくて背伸びとか無駄なことをしている黒人の男を、主人公が助けてやるという。

 

イ: 便利さに頼りすぎるのも考えものだよ。

 

宮: はい。で、muleの意味ですが、「ラバ」ですか? 「運び屋」とは全然関係ないですねぇ。

 

イ: ラバではない。muleは俗語で「麻薬の運び屋」という意味があるんだよ。

 

宮: あぁ、そうなんですね。実は外国映画の邦題というのは、原題と全然違うことがあって、例えばあなたの出世作「Per un puqno di dollari(A Fistful of Dollars)」は「ひと握りの金」という意味ですが、日本では「荒野の用心棒」というタイトルで公開されました。もっとも、この映画は黒澤明が監督した「用心棒」のパクリ……

 

イ: オマージュだ!

 

宮: ま、そのオマージュなので「荒野の用心棒」は許せるんですけど、その続編「Per qualche dollar in piu(For a Few Dollars More)」は「もう数ドルのために」という意味なのに「夕陽のガンマン」という邦題でした。でもこの映画に夕陽のシーンなんてないっちゅうねん!

 

イ: そんなことは私の知ったことではない。


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出典:IMDb

 

宮: ああ、そうでしたね、失礼しました。で、(wikipediaで調べる)このお話はというと、金に困った90近い孤独な老人が、麻薬の運び屋になり、大金を手にいれて、家族との関係を修復しようという……ははぁ、元ネタは『ニューヨーク・タイムズ』の記事になった実話なんですねぇ……

 

イ: そうだ。

 

宮: 主人公アール・ストーンのモデルになったレオ・シャープは、第二次世界大戦の退役軍人で、「デイリリー」という花を育てる園芸家。「87歳の園芸家が麻薬の運び屋になる話」なんてそれだけで面白そうだけど、脚本書いたら「リアリティがない」とか言われそうだなぁ、でもこれ実話なんですよねぇ。

 

イ: シナリオを読んだときは、ぜひ自分で演じて、自分で監督したいと思ったよ。

 

宮: (まだwikipediaを読んでいる)、「シナロア・カルテル」って何だ? メキシコ最大の犯罪組織かぁ、ここの麻薬を運ぶんですね、ははぁリーダーのホアキン・グスマンって二回も脱獄してますよ。21世紀でもまだ脱獄って出来るんですねぇ、それだけで映画になりそうだ。

 

イ: 私も脱獄映画に出たことがあるよ。

 

宮: もちろん、知ってます! ドン・シーゲル監督の「アルカトラズからの脱出」(1979年)ですね。いわゆる「脱獄もの」というサブジャンルは、傑作映画が多いですよね。古くはビリー・ワイルダー監督の「第十七捕虜収容所」(1953年)があるし、スティーブ・マックイーン主演なら「大脱走」(1963年)「パピヨン」(1973年)、さらには「暴力脱獄」(1967年)「ミッドナイト・エクスプレス」(1978年)「ザ・ロック」(1996年)、あぁそれから「ショーシャンクの空に」(1994年)もありますよね! アメリカの娯楽映画とは違うタッチだけどフランスにも、ジャン・ルノワールの「大いなる幻影」(1937年)、ロベール・ブレッソンの「抵抗」(1956年)、ジャック・べッケルの「穴」(1960年)、あぁ、いいのがあるなぁ、こんな話なら何時間でも出来そうですよ!

 

イ: それは構わないが、私は帰っていいかな?


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宮: あ、あのスイマセン、調子に乗ってしまいました、「運び屋」から「大脱走」してしまいました(ププ)。

 

イ: (席を立つ)

 

宮: ちょっ、ちょっとお待ちを! 戻します、話を戻します。えーと、どこに戻ればいいんだ、あ、「実話」でしたね、元ネタ。そういえば、あなたの近作を振り返ると、「チェンジリング」(2008年)、「インビクタス/負けざる者たち」(2009年)、「J・エドガー」(2011年)、「ジャージー・ボーイズ」(2014年)、「アメリカン・スナイパー」(2014年)、「ハドソン川の奇跡」(2016年)、「15時17分、パリ行き」(2017年)と、実話に基づく映画が非常に多いですよね。

 

イ: 特に実話にこだわっているわけではないよ。ストーリーが良ければ、フィクションでも構わない。ただ、私はアメコミのようなスーパーヒーローには興味がないんだ。たとえリアルなヒーローであっても、内面に葛藤を抱えたひとりの人間として描きたい。

 

宮: あなたの映画を語るさいには、ambiguity(両義性)は重要なキーワードですよね。あなたの描く人物は、単純な善悪二元論には収束できない場合がほとんどです。「運び屋」の主人公アールも、法を犯すが悪人ではない。わかりやすいストーリーを好む観客にとっては、あなたの映画はambivalent(両価的)で気持ちが落ち着かない。

 

イ: しかし人間とは、そういうものではないのかね?

 

宮: 確かに。あと、作風の変化についていうと、以前に比べると明るくわかりやすい作品になっていますよね? 「ミスティック・リバー」(2003年)や「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)、「チェンジリング」(2008年)の頃は暗くて混沌とした作品が多かった。

 

イ: そうだな。

 

宮: 「グラン・トリノ」(2008年)は「運び屋」と同じ脚本家(ニック・シェンク)なので、作風も共通していてユーモアも同じなんですが、「グラン・トリノ」のあなたは壮絶な死をとげるので、鑑賞後の印象が「運び屋」と全然違います。

 

イ: 特に作風を明るくしようとか、そういうことを狙っているわけではない。私はいつだって面白くて今までと違うことをしたい。過去作品の焼き直しなんてまっぴらごめんだ。私は今でも学びたいし、新しいことにチャレンジしたい。

 

宮: チャレンジといえば、90前の老人が、同じ空間、同じ時間に複数の女性と関係を持つというシーンが二回もありましたが。

 

イ: 3Pのことか?


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宮: あ、あの、この記事が掲載される『街角のクリエイティブ』というWebサイトは、なによりも品位や品格を重んじるメディアでして、出来れば言葉使いをその、

 

イ: そんなつまらんことを気にするから、お前の×××は×××××なんだ。オレの×××はいつだって××××だぞ

 

宮: 日本では88歳になると「米寿」といって長寿を祝うのですが、あなたみたいな米寿は日本にはいません。

 

イ: そうか。

 

宮: 共演したブラッドリー・クーパーは、あなたが老人らしく振舞うよう努力して演じていたと言ってましたが、そもそもあんた十分老人やろ!

 

イ: オレの×××は、

 

宮: もうええわ!!

 

イ: ……


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宮: 話を「運び屋」に戻します。園芸家として大成功している過去のシーンから、事業が傾いて落ちぶれた現在に移行するシーンを、美しい家からさびれた家に遷移させるショットで、説明的にならず時間と状況の変化を伝えるというクラシックな映画技法を用いて、見事に表現されていました。あなたの映画には随所にこういったシーンがみられますが、どのようにしてそれを学ばれたのですか?

 

イ: 私は子供の頃から映画が好きだった。ジョン・フォード、ハワード・ホークス、ラオール・ウォルシュ、ウイリアム・A・ウェルマンといった巨匠たちの映画だ。もちろん当時はそんな名前は意識せず、ジョン・ウェインなどスターの名前で観ていたが。

 

宮: 今あげられた監督たちは、みんなサイレント映画からその経歴をスタートさせているので、台詞に頼らず映像だけでストーリーを効率的に表現する説話術に長けていたのでしょうね。あなたの映画の基礎はそこにあったのか。

 

イ: 私は節度のある控えめな映画表現が好きなんだ。それから効率性は大事だ、無駄なシーンなんていらない。あと、私は特撮があまり好きではない。

 

宮: 確かにあなたの映画にはCGがあまり使われませんね。使っていたとしても「ヒア・アフター」(2010年)のように現実に起こりうる津波の再現など、リアルな描写に使われています。

 

イ: 私はリアルな人間のリアルなドラマが好きなんだ。

 

宮: 続いて映画のジャンルについて伺います。「運び屋」は「ロード・ムービー」であり、「サスペンス」であり、「コメディ」要素もある様々なジャンルが混在した映画ですね。

 

イ: 私はそういったジャンルにもこだわらないんだ。元々「西部劇」というジャンルからキャリアをスタートさせたが、面白ければジャンルを気にせず撮ってもよいと思うようになった。

 

宮: あなたのように、どんなジャンルの映画も撮ってしまう監督なんて、先ほど名前の出たハワード・ホークスぐらいしか思いつかない。

 

イ: 脚本とキャストさえよければ、どんな映画だっていい映画になるんだよ。

 

宮: 「運び屋」には印象的なシーンがいくつもあるのですが、何より驚いたのはあなたが演じるアール・ストーンが車で麻薬を運ぶときに、カーラジオにあわせてずっと歌を歌っているところです! あなたがあんなに歌うなんて! あなたのキャラからは想像がつきませんでした。

 

イ: 実は普段もそうだ。運転しながらいつも歌っている。

 

宮: あぁ、あれはあなたの「素」なのか。ジャズばかりかと思ってましたが、カントリーなんかも歌うんですか?

 

イ: ♪ On the road agin~

出典:YouTube

宮: あと、ディーン・マーティンとか。

 

イ: ♪ How lucky can one guy be ?

出典:YouTube

宮: 歌のシーンは、あなたのファンがみんな笑顔になりましたよ。「センチメンタル・アドベンチャー」(1982年)での歌は苦しそうでしたけど、今回は掛け値なく楽しそうでした。

 

イ: フフ。

 

宮: キャストについても伺っておきましょう。まずブラッドリー・クーパーですが、彼は「アメリカン・スナイパー」にも出演していましたね。

 

イ: 彼は「アメリカン・スナイパー」では製作も兼ねていて、映画作りについて熱心に私に質問してきたよ。いずれは必ず監督をやるだろうと思っていた。

 

宮: さっそく「アリー/スター誕生」で実現しましたね。

 

イ: 実はあの映画は元々私が監督する予定だったんだが、主演のビヨンセとのスケジュールが合わず降板したんだ。主演がレディ・ガガになって正直ダメだろうと(笑)思ったが、大成功だったね。

 

宮: あなたが演じるアールと、ブラッドリー扮するコリン・ベイツ捜査官がダイナーで話すシーンは印象的でした。


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イ: 二人は全く異なる立場にあるが、家族よりも仕事を優先するという点で共通していた。

 

宮: 麻薬組織のボス役であるアンディ・ガルシアも素晴らしかった。最近は「オーシャンズ11」シリーズのイメージがありますが、「アンタッチャブル」(1987年)や「ゴッドファーザーPARTⅢ」(1990年)の頃からすると貫禄充分でしたね。


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イ: アンディとはプライベートでは仲が良かったが、今回はじめて一緒に仕事ができた。

 

宮: 別れた奥さんのメアリー役であるダイアン・ウィーストは、「ハンナとその姉妹」(1986年)「ブロードウェイと銃弾」(1994年)など、ウディ・アレン映画のコメディエンヌとして有名ですが、個人的には「シザー・ハンズ」(1990年)でジョニー・デップを助けるウィノナ・ライダーのお母さん役が好きでした。「運び屋」では彼女の台詞「そばにいるのにお金は入らないのよ」のところで思わず泣いてしまいましたよ。


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出典:IMDb

イ: ダイアンはこの役にぴったりのチャーミングな女性だった。

 

宮: そして、アールの娘役には、実のお子さんであるアリソン・イーストウッドが出演されています。


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イ: 「タイトロープ」(1984年)でも共演したが、あのときはまだ子供だった。

 

宮: 映画を観ていてスゴイなと思ったのは、アリソン扮するアイリスは、仕事一筋で娘の結婚式をすっぽかすようなアールを憎んでいるわけですよね。ただ、実生活でもアリソンが幼いころに、あなたはその当時映画で共演していたソンドラ・ロックと愛人関係になって家を出ていってしまい、彼女自身が「父親不在」の家庭で育っています。それなのにこんな役で共演できるなんて、よっぽどのマゾですね。

 

イ: 確かに私はいい父親ではなかった。今ではアリソンとはいい関係だがね。

 

宮: あなたにとってこの映画は家族に対する「贖罪」の映画でもあるわけですか?

 

イ: そうともいえる。私たちの世代は仕事に明け暮れ、家庭を省みない男がたくさんいた。だからこの映画に共感してくれる人もいると思う。

 

宮: 二人の妻と三人の愛人に全部で八人も子供を産ませたのはよっぽどですけどね。

 

イ: みなまで言うな!

 

宮: ともかく、この映画はさまざまなジャンルの映画を身にまとった「家族」の映画ですが、あなたのフィルモグラフィーを眺めてみると、その多くの映画で家族は崩壊しています。「センチメンタル・アドベンチャー」、「タイトロープ」、「許されざる者」、「パーフェクト・ワールド」(1993)、「ミスティック・リバー」、「ミリオンダラー・ベイビー」とあげればキリがない。

 

イ: 確かに。

 

宮: その一方で、孤独な主人公がある種の「疑似家族」を形成する系譜もあります。「アウトロー」や「ブロンコ・ビリー」(1980)、「グラン・トリノ」などです。「運び屋」でも主人公のアールは麻薬組織のギャングたち(これもある種の「ファミリー」ですが)と家族のように仲良くなります。
ただ、今まであなたは、「実の家族が幸せになる映画」を撮ってこなかった。ところが今作は、つかの間ではあれ、家族の和解と平安がおとずれます。そこが感動的なのですが、何か心境の変化はあったのでしょうか?

 

イ: 心境の変化はないよ。さっきも言ったが、私はいままでと違うことをしたいだけだ。心境の変化というよりは、たんに成長したいだけだ。

 

宮: その年齢になっても学びの姿勢があるのは、素晴らしいの一言です。そういえば、「家族」というテーマでいうと、実は私、今年の2月17日に父親を亡くしまして。

 

イ: Oh, I’m sorry.

 

宮: 74歳だったのですが、背格好があなたによく似ていて、映画のなかでダブって見えました。晩年は和解しましたが、若いころは対立していて、お互い「いい父親」でも「いい息子」でもありませんでした。ところが昔あれほど父を憎んでいたにもかかわらず、いざ自分が家庭をもって父親になってみると、いろんなことが上手くいかなくて……あぁ、スイマセンこんな話どうでもいいですね……

 

イ: 「運び屋」の主人公アールは、麻薬の運び屋をやって大金を手にいれ、何でも買えるようになった。家を買い戻し、車を新車にし、孫の結婚式にも資金援助した。でも過ぎ去った「時間」だけは買い戻せなかったんだよ。

 

宮: うぅ(ちょっと泣)、、

 

イ: お前はまだ若造じゃないか。いくらでもやり直せる。

 

宮: 若造といいますが、私はもう45歳なんですよ……

 

イ: 何を言ってるんだ。私の半分ほどしか生きてないじゃないか。充分若造だよ。

 

宮: ハハハハ。この映画を「あなたにとっての家族への遺言だ」なんていう人がいるようですが、まだまだ映画を撮っていただきたいですね。ポルトガルの巨匠、マノエル・ド・オリベイラは105歳まで映画を撮っていましたからね。あなたならもっといけるでしょう。

 

イ: Thank you.

 

宮: なんだか冷や汗をかいたりチビッたり泣いたりしたので、のどが渇きましたよ。これから一杯どうですか? おごりますよ。

 

イ: All right!

 

出典:YouTube

 

※このインタビューはフィクションです。
事実を調べ、いかにも本人が言いそうなことを考えて書きましたが、あくまで筆者の妄想ですのでご了承ください。

 

≪参考文献≫

マイケル・ヘンリー・ウィルソン著 石原陽一郎訳 (2008年)

『映画作家が自身を語る 孤高の騎士クリント・イーストウッド』 フィルムアート社

マーク・エリオット著 笹森みわこ・早川麻百合訳(2010年)

『クリント・イーストウッド―ハリウッド最後の伝説』 早川書房

中条省平(2007年)

『クリント・イーストウッド―アメリカ映画史を再生する男』 筑摩書房

『期待の映像作家シリーズ13 クリント・イーストウッド』(2007年)キネマ旬報社

『ユリイカ2009年5月号 特集=クリント・イーストウッド』(2009年)青土社

『クリント・イーストウッド:同時代を生きる英雄』(2014年)河出書房


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