映画「いぬやしき」は現代版「ダメおやじ」?
くどいようだが、本作の主人公犬屋敷壱郎はダメな親父である。
娘にも息子にも奥さんにも馬鹿にされ、せっかく一戸建てを買っても「なんでこんな日当たり悪い家買ったの?」「お父さんの稼ぎならしょうがないか」と呆れられる始末だ(ひどい!)。
追い討ちをかけるように医者に余命宣告され絶句する姿は可哀想すぎてキュートですらあるが、冒頭からこれでもかと家族にいびられるその様は、古谷三敏の漫画「ダメおやじ」を想起させるに違いない。
主人公のダメ助が、オニババと呼ばれる嫁にいびられ、娘や息子にも殴られ蹴られ、ひどいいじめを受けているという内容で、そこに救いは一切なく、子供ながらに「なんてひどい漫画なのだろう?」と、悲しくなったのを覚えている。
教訓もへったくれもなく、いかにおやじをいじめるか?というバリエーションのみが存在している。
本作は「いぬやしき」の実写版というよりも「ダメおやじ」の実写版と銘打った方がしっくりくるのではないかと思うほど、木梨扮する犬屋敷壱郎は、「ダメおやじ」のダメ助であった。
家族構成が一緒だったり、親父の唯一の話し相手が犬だったりと、共通点も多い。
壱郎もダメ助も、ダメな親父といじめられるが、実は全然ダメではない。
先日、筆者の実父から「携帯代が払えないから3000円振り込んで欲しい」というメールが届き、思わずロックしてやろうかと、これが本当の実父ロックだと、笑い泣きながら振り込んだが、それに比べたらめちゃくちゃいい親父だ。いや、比べなくても良い親父だ。一戸建てを構えつつ、家族をしっかりと養っているのだ。
むしろそんな親父をいびる家族に対して「贅沢者め!」と腹が立つわけだが、その感じもなんだか実際の木梨憲武にシンクロする。落ち目だオワコンだとネットの世界じゃいじられているが、歌もうまいし、絵もうまい。Bunkamuraザ・ミュージアムで展覧会を開き、動員記録を塗り替えた。声優も器用にこなすしなんてったってお洒落だ。
常に輝きを放っている。
レギュラーが0本だろうがどこ吹く風。どうなったってみんなのとんねるず〜であることは変わらない。全然だめじゃないのにダメだと言われているのである。
我ながらこじつけ感は否めないが、さらにこじつけるとするならば、木梨憲武の風貌がダメ助にどことなく似ていることも記しておきたい。
日本人らしい突き出た上顎と、丸い鼻。メガネをかけることで一気にふけるタイプの顔である。この見た目が、ダメさを助長させ、本作をまた一歩「ダメおやじ」に近づける。
「ダメおやじ」が誕生した1970年代は、まだ「親父の威厳」が存在しており、それを茶化せばギャグになったという。
しかし今やそんな「親父の威厳」は木っ端微塵に粉砕され、まるでハウスダスト。
くさい、キモい、甲斐性なし、パンツは自分で洗え、小便は便座に座ってしろ、イビキがうるさいから土に顔埋めて寝ろ、明日粗大ゴミの日だからそのまま自分も捨ててこいなど、面と向かって言われ続けた男たち。
それに反論する場を与えられぬまま、会社じゃちょっとした発言がセクハラ扱いされ、ミーツー!ミーツー!とボーイミーツーガールも許されず、ついに親父たちが辿り着いた
そんななんとも素晴らしい世の中で、親父をただただいじめてもなんのギャップにも批評にもならず「ダメおやじ」は時代にそぐわない。しかしそこに救済措置を施し、哀れな親父に活躍の場を与えたのが「いぬやしき」であり、実写版「いぬやしき」は、木梨憲武が演じることでダメさがパワーアップし現代版「ダメおやじ」に早変わりした。
子供の時、ダメおやじとともに抱いた悔しさをこの映画は成仏させてくれたのだ。