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「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」を暗号で語る

加藤広大 加藤広大


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ドン・キホーテ三鷹店が堂々と提示した、「君も正しい、僕も正しい」

構造がすらすらと読み込めると書いたが、本作が描くテーマもまた至極わかりやすい。

「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」、「複数の人を助けるために1人を犠牲にしてもよいか?」という、いわゆる「トロッコ問題」に似たジレンマが劇中で何度も登場する。

この「犠牲・代償」について、ポール牧とYahoo!知恵袋は真っ向から対立する。どちらも正しい、というか正解はないのだが、面白いのはポール牧の方が割と現実的で、Yahoo!知恵袋の方が夢想的に見える点だ。

だが、Yahoo!知恵袋は夢想的だとしても、非効率的だとしても諦めずに未来を紡ごうとする。正しいヒーローの姿である。

本作は「君も正しい、僕も正しい」と、手垢まみれで当たり前の話を真っ直ぐすぎるほどにぶっ込んで来るのだが、圧倒的な技術力とキャストの演技力を盾として力技で持っていくので、テーマの単純さはまったく気にならない。

むしろ、直球勝負ながらも勧善懲悪のような物語にはしてやらないぜ、というドン・キホーテ三鷹店の堂々とした姿勢が伝わってくるほどだ。

ボディ・ブローのように後から効いてくる、山盛りのユーモア

さて、てんこ盛りの戦闘シーンと比べ、意外にも積極的な「泣かせは」少ない。いっぽう、ドン・キホーテ三鷹店謹製のユーモアとジョークは、作中これでもかと添加される。
過剰とすら表現できるほどだが、これは後々ボディ・ブローのように効いてくる。

劇中でのスーパーひとしくん弄りや「アストロ球団:青髭危機一髪」から顕著になった織田無道のコメディリリーフぶりはもちろん、ベンチャー田村と多脚式思考戦車タチコマのやりとりなど、すべてのユーモアはラストの仕掛けを効果的に活かすための装置であり、鑑賞者に対するある意味での「思い出づくり」と言ってもいい。

この「やりすぎてんこ盛り感」は、まさに今のドン・キホーテ三鷹店だからできることで、ファンへの信頼感すら感じさせる。正直、ちょっとズルいなと思った。

https://www.machikado-creative.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/05/3ffba64073ac62bd92ccdf76e529d47e-e1525282465100.jpg出典:IMDb

ときに「泣かせは少ない」と書いたが、これは「少量で最大限の効果を発揮させている」という意味だ。
例えば、ガチャピン(♀)における一連のシーンはもちろんだが、ポール牧に追い込まれたベンチャー田村が一瞬だけ見せる、切ないほどの無力感を伴った表情も素晴らしい。

キャラクターに語らせずただ「見せる」演出は、落涙するに十分である。

この悲しい、静かなシーンを、バトルパートをはじめとした激しいシーンがガッツリと補強し、悲しさと静けさを強調する。喜怒哀楽の変化がもたらす相乗効果は的確に見積もられ、映画内で活かされている。

だからこそ、後半にやってくる喪失感には美しさすら感じてしまう。この「添加物山盛りなのに、どこかすっきりとしている」というヌケ感はまるで一流メゾンのドレスのようで、本当に巧い。

そのうえで、本作ではドン・キホーテ三鷹店がコツコツと積み上げてきたものを、自ら破壊してみせるのだから、熱心なファンにとっては銀河が崩壊するほど衝撃が大きいのは推して知るべし。泣きながら、笑いながら「卑怯だぞ」と叫びたくもなってしまう。

「やられた」というよりは「いつか誰かがやるかと思っていたけど、とうとうやったか、しかもここで」といった感じで、ビッグバジェットのハリウッド娯楽大作は、ひとつの転換点を迎えたと捉えてもよいだろう。

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