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「パーティーで女の子に話しかけるには」騙された気分はどうだい?

加藤広大 加藤広大


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1978年、米国ウィンターランドで行われたセックス・ピストルズのギグで、ボーカルのジョニー・ロットンは「騙された気分はどうだい?」と発言し、その後バンドは実質的な解散となった。

本作「パーティーで女の子に話しかけるには」は、ご覧になった多くの人が、予告編のような軽めのボーイ・ミーツ・ガール物かと思いきや、少々カルトでサイケデリックな味付けに「思ってたのと違った感」を感じた筈だ。しかし、この感覚は昨今良くあるやり過ぎた邦題や、内容に対して誤解を招く予告編のことを言っているのではない。つまり、日本だけの話題ではない。

確かに本国版のポスターは日本版と毛色がだいぶ違うが、原題も「How to Talk to Girls at Parties」とそのままであるし、予告編もほぼ同じで、1977年を舞台にしたパンクスのエン(アレックス・シャープ)とエイリアンの少女ザン(エル・ファニング)とのボーイ・ミーツ・ガール物、という点が全面に押し出されている。

Reference:YouTube

大まかなストーリーは予告編の通りで、悪ガキパンクスの3人組がある夜、エイリアンが占拠している空き家でのパーティー(というか怪しい集い)に参加することとなり、そこでエンとザンが出会う。地球人と交流し色んなことを体験したいと望むザンと、48時間という限られた時間のなかで関係性を築き、恋をして、双方自己更新を果たすといったもので、これ以上でも以下でもない。

だが、ストーリーに絡みつく記号はパンク、エイリアンの他にも多種多様であり、それを周到に隠すことにより、まるで監督であるジョン・キャメロン・ミッチェルに「騙された気分はどうだい?」と言われているがの如く、映画は不思議な「これじゃない感」で突き進む。

と書くと、「そんなもん製作側が客入れようとして甘めに作ってんだろ」と言われそうだが、それすらも本作の冒頭からラストまで、延々と繰り返される「齟齬」への援護射撃にしかならない。

今回、コラムを書くまでに数人と感想戦をやったのだが、凄く面白かった、全然駄目だった、何か思っていたのと違ったけどエル・ファニングは可愛かったと、おおまかな感想としては三種類であった。

これはある意味、人間がはじめてセックス・ピストルズの楽曲に接した時の印象に近い。凄いこれがパンクか、滅茶苦茶じゃねえかこんな音楽、何か思っていたのと違うけどジョニー・ロットン(またはシド・ヴィシャスが)格好いい、といった具合に、人によって極端に反応が違う。なぜか。

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