私が映画コラムを書くときには、なるべく全国で公開中であるか、家で手軽に観られる作品をセレクトしているのですが、今回はちょっと当てはまらないんです。ごめんなさい。その理由は自分のルールを破ってでも紹介せずにはいられない映画に出会ってしまったからで、これはもうしょうがないということで、お赦しいただければ幸いです。
ついでに言うと、このコラムもいざ書きはじめたら書くことが多すぎて多すぎて・・・。すっかり締切を過ぎています。遅延を赦してくださった編集部に対しましても東京都は港区青山の方向に向かいまして、まずは土下座をさせていただきます。
そんなわけで「赦し」もひとつの大きなテーマである映画「タレンタイム〜優しい歌」について、いろいろと書いていきます。
まずは予告編をどうぞ。よくできたトレイラーですので、お時間ない方はこれだけでも観てってください。
Reference:YouTube
「タレンタイム〜優しい歌」は2009年のマレーシア映画で、8年の時を経て日本各地のスクリーンにかかっています。
実は3月からやっているのですが、渋谷のイメージフォーラムではまだまだ上映中(終了未定)でありまして、7月から上映する映画館も複数あります。詳しくはオフィシャルサイトを参照してみてください。
監督はヤスミン・アフマド。
出典:Wikipedia
2000年代以降におけるマレーシア映画の牽引役として活躍していた彼女は「タレンタイム(原題)」の公開直後、2009年の7月に51歳の若さで亡くなってしまいました。映画監督としての6年の活動期間のなかで、6本の長編を撮っています。
彼女は自身を監督ではなく、ストーリーテラーと称していました。作品を鑑賞してみるとまったくそのとおりで、ともすれば「普通」のお話を紡いでいくのがとても巧い人ですね。
そして、多民族・他宗教国家であるマレーシアにおいて、さまざまな「境界線」について描き続けた人でもあります。
物語は、室内の蛍光灯がポツポツと点きはじめる、非常に音楽的かつ象徴的な場面からはじまります。
塗装が剥げ落ちた廊下の柱、淡い色の窓、机を並べて座っている少年少女たちはどうやらテストの真っ最中で、ここが学校であることが分かります。海外の話であるはずなのに、日本人の私たちもなんだか胸が苦しくなるような懐かしさを感じるシーンです。
服装の違い、肌の違い、顔の違いから、舞台は多民族・多言語・他宗教で構成されていることも伺えます。
この辺りはとても丁寧で、マレーシアについて詳しくなくとも、なんとなく「いろんな民族がいて、言葉や宗教の違いがあるんだろうなあ」と分かかるよう演出されています。
さて、先生同士が何やら話しています。内容から察するに「タレンタイム」なる催し物が開かれるようです。そう、本作のタイトルでもあり、物語の大きな柱でもあるキーワードです。
タレンタイムとは学生による歌や踊りの芸能コンテストのことで、ラジオのタレント発掘番組から始まったなど諸説あるようですが、1950年代にはすでにシンガポールの高校で行われており、そこから各地に広がっていったそうです。
そのコンテストに出場する少年少女とその家族、送迎をすることになった少年とその家族のお話を中心に、本番当日に向けて物語は進行していきます。
この映画、良い意味でとても「分かりやすく」作られており、その姿勢は冒頭からエンドロールまできっちりと貫かれ、何の予備知識がなくとも一本の映画として楽しめるようになっています。
もちろん、ことは単純ではなく、民族、宗教、言葉、差別、偏見はもちろん、意図的に挿入される嘘や隠喩、わざと誤解させるなどの仕掛けが随所に埋め込まれており、一筋縄ではいきません。
この重たく、鈍いテーマを隠しながらも匂わせるのが本当に巧い。説教臭くならずにあくまでも青春・恋愛・音楽映画としてマナーが徹底されています。しかし裏には身動きできなくなるほどの重苦しいテーマが隠れており、単なる青春映画に収まらない深みを与えています。
一本道のストーリーのなかに、さまざまなレイヤーが重なり、ときに見え隠れするように作られているんですね。
話の筋に関しては上述した通り、登場人物と家族たちのストーリーがタレンタイムの本番に向かって進んでいくという単純なものですので、ここから先はより映画を楽しむためのサブテキストとして、そして私が勝手に想像・考察して楽しむために、映画の要素を切り分けてみることにしましょう。