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「スプリット」シャマラン監督が辿り着いた作品形態

こいぬまちはる こいぬまちはる


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出典:「スプリット」公式Facebook

シャマラン監督が気の毒です。

新作の度に「復調の兆し」やら「完全復活」やら騒がれて。何度、「復活」させられたらこの輪廻に終止符が打たれるのでしょうか、といいますか、そもそも復活するも何も、落ち目でしたっけ? 作家として死んでましたっけ?

シャマラン監督作品で1番好きなのが、やっぱり「シックス・センス」です。今では、ブルース・ウィリス、実は死んでました~という、多くの人がシャマラン作品に期待するビックリオチのラストですが、「シックス・センス」は「オチを知ってしまったらおしまい」的な奇をてらったものなんかではありませんでした。

出典:IMDb

霊がいかにもゾンビ的な見た目でなく、どわーっと脅かすように出るんでもなく、ぱっと見フツーだけど後頭部が血まみれで無かったりして、それがサッと横切るだけとか、霊が出現する前にぐぅっと気温が下がる描写とか、シンプルでシュール、分かりやすくてちゃんと怖かった。

あと、この作品のキモは何と言っても、衝撃のラスト手前の「おばあちゃんからのメッセージ」です。おかしな出来事や不思議な言動に困り果てている母親と息子が、本気で向き合う場面。

出典:IMDb

幽霊が見えるという息子の言葉をすぐには飲み込めない息子の母親。でも死んでしまった母親と自分の子供の頃の思い出を、知るはずのない息子が語り出し・・・という場面は、終始車の中で進み、回想シーンや特殊効果なども使われずに息子役ハーレイ・ジョエル・オスメントと母親役トニ・コレットの喋りのみのシンプルな演出。

ですがこれがもう、泣ける。おばあちゃんのメッセージを話すオスメント君の囁き声、それを驚愕し、感動や嬉しさが入り組んだ複雑な表情で聞くトニ・コレット。このシーンの2人の演技力は物凄いものがあります。

「シックス・センス」は何十回も観ていますが、今まで100%泣いています。疲れている時はYouTubeで上がっているこのシーンだけを観て号泣し、ストレス発散をしているくらいです。

私の中での「シックス・センス」は、ホラー映画でも、大どんでん返し映画でもなく、素晴らしい俳優2人のぶつかり合いが見られる「泣ける映画」として輝ける名作なのです。シャマラン監督はこれが撮れる監督なんです。

その後の作品も、確かにラストのビックリオチを煽ったものが多かったですが、オチだけの作品じゃなかったです。

「まじか!」なオチの「アンブレイカブル」だって、「そっか!」なオチの「ヴィレッジ」だって、オチではないけれど上手くファンタジックな結末を迎えた「レディ・イン・ザ・ウォーター」、オチが見当たらなかった「ハプニング」だって、「なーんだ!」ってオチの「サイン」「ヴィジット」だって、オチに至るまでの謎が深まるゾワゾワ感、登場人物や細かい演出に目を光らせる集中力の限界への挑戦など、他の作品では味わえない体験を何度もしているのです。そう、シャマラン監督にまんまと“体験”させられているのです。
 

今回の「スプリット」はどうでしょう。

思いっきり「ネタバレ禁止!」を前面に謳っちゃってるのですが、今回ばかりはオチを楽しみにしている訳ではない私でも、予想だにしないオチの方向に「そっちかーい!」と叫びそうになりましたよね。そういう意味では大成功のビックリオチだと思います。

ただ、今回もオチにとらわれちゃいけません。オチはあくまでただの“オチ”。そこに至るまでのゾワゾワ感、しっかりありますとも。

23人格に分裂した男が女子高生3人を誘拐します。誘拐系? 脱出系? いいえ、多重人格を体ひとつで演じ分けちゃうジェームズ・マカヴォイさんのスゴさ堪能系です。

社交的な中心人格のバリー、潔癖で誘拐の主犯であるデニス、女性人格のパトリシア、9歳の無邪気な少年人格ヘドウィグなど、テロップが出るわけでもカツラやメイクが大きく変わるわけでもないのに、その表情と声色や話し方で、後半には観客が瞬時にどの人格がわかるくらいの演じ分けです。

出典:「スプリット」公式Twitter

特に9歳のヘドウィグによるカニエ・ウェストダンスは必見。絶対にマカヴォイすげぇぇ! ってなりますから、ここだけ目当てで観て欲しいくらい。

出典:「スプリット」公式Twitter

でも、マカヴォイに目を奪われている内にストーリーがどんどんとんでもないコトになってくので油断してはいけません。

最後に、気持ちよくドッカーン! わっしょーい! となるには、シャマラン監督にしてやられることを負けとしないこと。文句を言いながらも、これまでオチじゃない部分を存分に楽しんできたと認めることです。

今回のビックリオチを経て何となく気がつきました。シャマラン監督は、自分にしてやられる事を悪としない、オチだけにとらわれずに自分の世界観について来られる観客を見極めるため、淘汰されずに残る観客を探し残していくために、ここまで作品を撮ってきたんじゃないでしょうか?

出典:IMDb

そう。シャマラン監督自身が「アンブレイカブル」におけるミスター・ガラスだったのではないか? そう気がついてから、次回作がもう楽しみで楽しみで仕方がありません。

なんたって、ミスター・ガラスによって淘汰されずに残ったこの身ですから。

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